闘牛へようこそ

荻内 勝之
(闘牛の会『テンディード・タウロ・トウキョウ』会長、東京経済大学教授)
 

 東京で闘牛に関心のある人があつまりました。闘牛を一度も見たことのない人もいます。100回も観た人もいます。好きだから毎シーズン見る人がいます。闘牛って何なの、といった問いがとけずに200回見た人もいます。

 会に顔を出すようになった動機もさまざまです。会の趣旨も、万あるわけです。名前も「同好会」が適当とは思えません。「亭」が合っていそうです。誰でもふらりとはいって、気に入ったらまた寄るし、それきりでもいいという居酒屋見たいなところです。のれんを出すなら「東京闘牛亭 TTT」でしょうか。

 このTTTを、日時を限らず、いつでも寄れる場所にしたいという声もあります。近くの酒屋で買った300円のワイン1本と、ちょっとした話をひとつ、袋に詰めて持ち寄る、なんて考えたら、うれしくなります。

 フラメンコと闘牛だけがスペインじゃありませんよ、と向こうの人は言う。同感です。さはさりながら、スペインを旅して何が印象にのこったか。闘牛です。

 闘牛は全国いたるところで行われています。何千年も前からあるようですが、記録を1000年ほど前からたどってくると、おめでたに催す事が多かったようです。王侯の誕生、結婚、載冠などの式典です。行幸の国王を迎えて村や町が開くこともありました。

 イスラム最後の拠点グラナダをおとした女王イサベルの帰還祝いの闘牛もあります。戦争で勝った、聖人の列せられたなどの記念にも闘牛が行われました。たとえば、ピサロがペルーでインディオに大勝した祝いの闘牛。マドリードの守護神サン・イシドロの祭りは金牛宮の5月と6月にまたがって今も開かれ、最大規模の闘牛祭となっています。

 牛は王家が育てていましたが、やがて貴族に、現在では一般にひろまって、闘牛士が牧場主ということも少なくありません。産地は大きい川の流域です。スペインは北の勢力がひとつにまとめあげた国で、闘牛はその過程でさかんになりました。闘牛士は騎馬から徒歩が中心になり、身分は騎士から平民が主になって、槍を剣に持ちかえました。

 牛の飼育も北が多く、しだいに南へと広がっていきました。若者が闘牛士をこころざすのは南、アンダルシア地方が多いようです。南にはフラメンコ、太陽、白い壁、地中海があり、闘牛はこれとかけあわさって人々を熱狂させますが、闘牛士志願が多いわけは、歴史の根深いところにあります。簡単に言うと、大土地所有制です。

 スペインの北では小規模の自営農が多いのに、南の土地は一握りの大地主のものです。農民も工場労働者もみな日雇いで生活が苦しく、いやでもハングリー精神がそだちます。闘牛士はアンダルシアの若者がめざす出世街道の代表でした。多くの若者が北へ旅しました。アンダルシアから北へのびる牛の多い街道筋で稽古をつみ、マドリードで檜舞台を踏むためです。

 牛の角に志をくだかれることのほうが多かったわけですが、この出世街道は流行歌や映画になって長く若者の胸をたぎらせました。アンダルシアのわずかな大地主の土地でできていることは今も昔も大差ありませんが、教育や労働の機械がふえ、出世の道が闘牛士一本なんてことはありません。

 逆に、成功した闘牛士の子供が闘牛士になる例が多く、金持ちでなければ闘牛士になれないという状況が生まれています。

 広大な土地でわずかな牛を野生をたもちながら育てるというぜいたくも、ゆるされにくい社会になってきました。そもそもが前近代的、中世の遺物ともいえる闘牛です。これがこれからの世の中の移り変わりとどうつきあっていくか、「東京闘牛亭 TTT」はそれを見守ります。

−−−東京闘牛の会(TTT)会報 『闘牛』 より−−−


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