ビセンテ・バレラと共に

 

por 中村信子

 TTTの会報に私と一緒に写っている写真を載せていいかと電話で尋ねると、「勿論」とビセンテ・バレーラから弾んだ声が返ってきた。電話を切ったあと、今年5月から8月にかけて見た彼の闘牛を思い返し、一番感動的だったのは、7月のバレンシアのフェリアで見た闘牛だったと思った。

 バレンシアでは2日続けて出場し、1日目に耳を一枚、2日目は名門ビクトリーノ・マルティン牧場の牛から耳を一枚獲得し、バレンシアの勝利者に選ばれた。これより20日ほど前にコヒーダ(牛の角に引っかけられた)傷が、完治していなかったビセンテ・バレーラにとって、この2日間の闘牛は、精神的にも肉体的にもきつかったはず。

 この前に1級闘牛場でやったサン・イシドロ祭が最悪だったこと、ビクトリーノ・マルティンの牛と対戦すること、そして地元というプレッシャー等々、その時の彼からはいつも以上にピリピリした雰囲気が漂っていた。だからこそ、終了後に「自分の出来には満足している。何カ月か、このことばかりを考えていた」と笑顔で話していたビセンテが印象的だった。

 このこととは、ビクトリーノ・マルティンの牛とやること。2日共、わずかのところでプエルタ・グランデにはならなかったけれど、本人が満足しているのが一番。バレーラ家に居候する身としては、ご長男の大事な日の結果が良くてホッとしたのも事実。

 3ケ月、一人の闘牛士を見続けていると、いろんな場面に出くわす。ブルゴスでのコヒーダやラ・ロタで牛に足を踏まれて怪我した時は本当に驚いた。両膝をついてマノレティーナという技を披露してプエルタ・グランデとなったグラナダや、ビジャドブレ、トゥデラ等で生き生きとした闘牛を行う姿を見た時は、見ている私も幸せだった。

 見栄を切る時にカッコつけ切れなくて照れくさそうにする時や、アリカンテでカポーテを踏んでずっこけてヘスリンに肩を叩かれて恥ずかしそうに笑う姿が見れたのも楽しかった。最後に見たウエスカでの闘牛で、珍しく剣刺しに何度も失敗して座蒲団や空缶が飛び込むような結果になったのは残念だけど、全体的に去年よりもカポーテの動きが滑らかになり、剣刺しも一度で決まることが多く、彼がこの一年でかなり努力し、成長している印象を受けた。

 とはいえ、マドリードでまだ一度も牛の耳を取っていないことが彼の課題。あちこちのインタビューでそのことを言われ、少し可哀想な気がしたけど、99年こそは頑張って取って欲しいと思う。

 最後にバレーラの言葉を紹介。忘れもしない、ソリアのホテルのロビーでのこと。私がスペインで小説の仕事をしていて(バレーラの闘牛が見たいばっかりにワープロ持参で渡西して執筆していた)、「環境が変わったのでやり辛いよー」とついつい私が弱音を吐くと、バレーラは「自分で難しいと決めたら駄目だ。最初から出来ないと思ったら何も出来ない。自分でやれると信じないと。だから頑張って」と言って励ましてくれました。

 彼の闘牛観、人生観が感じられた出来事です。この人と知り会えて良かった、私もこの人に負けないような、恥ずかしくない人生を歩まなければ……と奮起。今、日本にいても、バレーラは私の心の中にいる。

 いろんな励ましの言葉、そしてすばらしい闘牛等々、たくさんの思い出と共に。3月まで会えないのは寂しいけれど、南米でのスエルテ(幸運)を祈りながら、次に彼に会う日まで、私は私で頑張って、自信を持って話せるような日常を過ごしたいと思う。3月、バレンシアで会う日まで……。


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