por 林 栄美子
「ピレネーの向こう側」とは、普通スペインを指す。その場合、スペインはヨーロッパの辺境として語られるのである。フランスとスペインの関係においても、昔から、出稼ぎのため、亡命のため、有名になるために、ピレネーを越えるのは、スペイン人の方だった。
唯一つ、闘牛の世界だけはその方向が逆である。フランスに生まれながらトレロを志してしまった者は、高く険しいピレネーに象徴される、様々な障害・妨害を踏み越えて、輝ける中心マドリードに到達しようとする。
フランスでも、19世紀半ばからスペイン式の闘牛が行われている。闘牛地域はスペイン寄りの西南部に限られる。ニームを初めとする二級闘牛場が7つ、三級闘牛場が20あまりあって、一級闘牛場はないが、正式のコリーダだけでも毎年100回以上催されている。
フランス人闘牛士の歴史のなかから、いくつかの名前を上げてみよう。
まず、1920年代のピエール・《プリー》。正式のマタドールとなって10年あまり活動した後、戦後は1950年から84年迄、長きにわたってアルルの興行主となる。
そして60年代、若い闘牛士の卵たちのグループがムーヴメントを起こす。スペインに修行に出かけ、スペイン闘牛界に入り込もうと力をつくす一方、スペイン人ばかりが出ていたフランスの闘牛場に、出場の機会を求めた。
この運動の中心になっていたのが、《シモン・カサス》(フランス語ではカザス)と、アラン・モンクキオル・《ニメーニョ》。フランス人に対するスペイン闘牛界の壁は厚く、運動は成功したとは言えないが、フランス人闘牛士の存在を世に知らしめるきっかけにはなった。
シモン・カサスは、75年にニームでアルテルナティーバを行って正闘牛士になるが、直後に引退。その後、オルガナイザーの側にまわり、今や有名なニームのディレクター。ニームに注目を集めるため、話題性の高いビッグ・イベントの数々を企画し、ヘスリンやクリステティーナ・サンチェス等の人気闘牛士のマネージャーをつとめる、やり手のディレクターである。
一方アランは、自分の弟に類希な闘牛士の才能を見出してからは、弟を世に出すことに全勢力を傾ける。その弟とは、クリスチャン・モンクキオル・《ニメーニョU》、本当の意味で「ピレネーを越えた」と言える、フランス最高の闘牛士である。
77年5月、見習闘牛士としてマドリードのラス・ベンタス闘牛場に登場し、耳二つを勝ち取り、プエルタ・グランデから肩車で凱旋。(以後フランス人闘牛士でプエルタ・グランデから退場した者はまだいない。)その後、正闘牛士となって、スペイン各地に出場、スペイン人観客の心をもつかむようになる。
そして89年、この年は彼にとって最高に充実したシーズンの一つであったが、9月10日、アルルで二頭目のミウラ牛に跳ね上げられて頭から落下し、首を骨折する。奇跡的に一命をとりとめるが、全身不随。その後2年間のハードなリハビリにより、ほぼ完治するが、ついに左手だけは動くようにならなかった。闘牛でもっとも大切なパセ・ナトゥラルをする左手が。
91年11月25日、ニーム郊外の自宅で自殺。スペインの新聞各紙にも載ったこのニュースは、フランス中に衝撃を与えた。「彼は死に負けたのではない。牛に向かうように、自分から死に向かっていったのだ。彼はトレロとして生き、トレロとして死んだ。」(ジャン・コー)
古代ローマの闘技場をそのまま使ったニームの闘牛場の外には、今、《ニメーニョU》の像が立っていて、人々がたくさんの赤いバラを捧げている。彼の闘牛には、不思議な透明感を湛えた優雅さがあった。ちなみに私の作った闘牛アンソロジーの本(下の註参照)の後書きは、彼にあてて書いたものである。
さて《ニメーニョU》の後輩たちにとっては、今もなおピレネーは高く険しいようである。もうベテランといえる年になってしまったリシャール・ミリアン、もう少し若いデニス(フランス語ではドゥニ)・ロレなど、スペイン人であったらそこそこ評価されるだけの腕は持っていると思うが、主にフランスで活動するにとどまり、スペインではあまり出場機会を勝ち得ていない。しかしながら、アルルに闘牛学校もできていて、若い闘牛士が次々に出てきているようである。
ところで、闘牛の途中では音楽なんか鳴らさないというマドリード・アカデミズム(?)の徹底ぶりもすごいが、ニームの闘牛場の楽団の上手さも半端ではない。こういう違いもまた、面白いのであります。
註:『砂の上の黒い太陽――闘牛アンソロジー――』 林 栄美子編、人文書院、1996年刊行、2678円。闘牛を題材とする欧米や日本の様々な文章(小説・詩・評論・エッセイなど)を選んで編集。
ブラスコ=イバニェス、ガルシーア=ロルカ、コッシーオ、レリス、バタイユ、メリメ、ゴーチェ、コクトー、モンテルラン、ヘミングウェー、コリンズ&ラピエール、小川国夫、奈良原一高、佐伯泰英の文章の織りなす、闘牛をめぐる文学的想像力空間に身を浸せる。
奈良原一高と佐伯泰英の撮影による、今ではめったに見られない貴重な写真作品、および多くの絵画・版画の図版も収録。
−−98年11月定例会報告より−−
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