コヒーダ3回!圧倒的な存在感で、しかも不死身のホセ・トマス!プエルタ・デ・ロス・カリファ!

2008年5月28日コルドバ、ロス・カリファ(第1級)闘牛場のフェリア・デ・マジョ5日目結果。

19時半開始、22時10分頃終了。20時53分照明点灯。

プレシデンテ、  。満員の入り。

ベガエルモサ牧場とハンディージャ牧場の牛。

   
   1頭目、。2頭目、。3頭目、。
   4頭目、。5頭目、。6頭目、。
   ソブレロ、


闘牛士

フィニート・デ・コルドバ 罵声、口笛。

ホセ・トマス 耳2枚、耳要求で挨拶。

ダニエル・ルケ 挨拶。耳1枚。

 曇。風が吹いて肌寒い。厚着の人が多い。上はTシャツとフリーズ、下は、ズボンだったがズボン下や長袖のシャツが欲しかった。寒くてトイレが近い。ベガエルモサ牧場(牛Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、ハンディージャ牧場)。闘牛士、フィニート・デ・コルドバ、ホセ・トマス、ダニエル・ルケ。満員。ソルのグラダにてビデオ撮影しながら、下山さんと一緒に観戦する。

 フィニート・デ・コルドバは、地元コルドバで罵声を浴びた。初めの牛は非道い牛だった。何もせずに剣を代えると口笛が鳴った。ピンチャッソ繰り返すと口笛は罵声に変わった。剣が刺せずにデスカベジョを持つとそれが大きくなった。デスカベジョが決まらず何度も繰り返されると闘牛場は罵声に包まれた。コルドバの王様フィニート・デ・コルドバは、もう終わったのかも知れない。まさにフィニート!!!

 4頭目の牛は、非常に良い牛だった。しかし、バンデリジェーロがブルラデロから余計なカポーテを振ったら牛はタブラに激突し右角を折ってしまった。それで牛が交換。そいつは、初めの牛のバンデリージャの時からカポーテの振り方が非道かったが、ここまで非道いとどうしようもない!闘牛を知らない。もう1人のバンデリジェーロのファン・モンティエルは、非常に優秀で有能なバンデリジェーロ。一緒に仕事をしていて、何も吸収できない能力には呆れてしまう。お前のせいで闘牛がぶち壊し。腹が立った。

 ホセ・トマスは、その存在によって人を黙らせ、その行いによって人を感動させる無言の詩人だ。詩人は言葉を発することはないが、それを観ている観客が言う言葉が、詩人の全てではないが、本質を言い当てている。彼は、言葉によって自分を語ることはほとんどないが、闘牛によって自分を語り、人生を語っている。そういう意味で、純粋な詩人といって良いだろう。

 2頭目の牛は、耳2枚切れるような牛ではなかった。フィニートのふがいなさにイライラしていた観客は、ホセ・トマスの闘牛になったら静かになり、それが熱狂に変わった。初めはアレナの内側に立ちエスタドゥアリオを続ける。「オーレ」がなる。それからデレチャッソでリガールをすると「オーレ」の声はさらに大きくなり観客は熱狂した。純粋で美しい時間だ。ホセ・トマスのファエナを観た観客はフィニートにヤジを飛ばす。それはこの美しい時間から覚めさせる事ではあるが、それ自体、ファエナの美しさを表している象徴ですらある。

 ファエナ後半は牛が動かなくなる。クルサードして牛の前に立ち牛を誘う。パセが短くなる。そして、背中を通すパセをすると観客は驚いた。パセ・デ・ペチョの後牛の前に立つと、闘牛場は喝采と熱狂に包まれた。この何と表現して良いのか判らない声のざわめきが闘牛場を覆った。それからナトゥラルを繋いでいたらコヒーダされた。体が牛の上で舞ってアレナに落ちた。太腿が刺されたように見えたが、平気で立ち上がりファエナを続ける。何という男だ。何という闘牛だ。剣を代えて、マノレティーナ。クルサードして体の近くを通す危険なパセだ。「オーレ」が続く。剣は、スエルテ・ナトゥラルでカイーダ気味に決まったが、牛が崩れ落ちた。闘牛場が白いハンカチに包まれ、「トレロ」コールが鳴る。耳を要求する口笛が吹かれた。耳2枚。ゆっくりと堂々とアレナを廻り観客の喝采に応えた。

 5頭目の牛は、力強さがなくとバランスが悪く、カポーテの後、2度アレナに角突き刺して転がった。両角が危なかった。ファエナ自体は牛が悪かったのでそれほど良い物でなかったが、感動的だった。危ない両角で2回コヒーダされた。この牛の初めのコヒーダは左角。アレナに落ちたと牛は頭を動かした。だから余計危なかったが立ち上がってファエナを続けた。その後に今度は右角でコヒーダ。体が牛の上に乗りそれから離れて立ち上がった。鼻から口、首に掛けて血が付いている。剣を代え、スエルテ・コントラリア決まった。牛は前脚を折り頭をアレナにくっつけているが、後ろ脚だけで踏ん張っている。そして何十秒かごに崩れ落ちると、闘牛場は喝采に包まれた。観客は白いハンカチを出して耳を要求した。耳を出すように催促する口笛が吹かれそれが大きくなったがプレシデンテは耳を与えなかった。

 ホセ・トマスは、観客の喝采に応えて挨拶をした。ホセ・トマスはかつてこう言った伝え聞く。「逃げるくらいなら、牛に体を預けた方が良い。それで怪我をしてもしょうがない」、と。そういう覚悟がこの日の闘牛には出ていた。ただの勇気だけではない、ちゃんとした技術に裏打ちされた勇気を哲学を持って闘牛をやっている。それがホセ・トマスだ。

 ダニエル・ルケは、つまらないパセを繋ぐ闘牛士。パセ・デ・ペチョの後に牛の前に止まって、観客から喝采を受けていたが、危なっかしい。いつ牛にコヒーダされるかと思ってみていた。いつか大怪我をするだろう。コルドバでは喝采を貰ったが、ラス・ベンタス闘牛場に行けば、化けの皮がはげるだろう。小ぶりの闘牛士で輝く物を感じない。ホセ・トマスを目立たせる脇役だ。それでもコルドバでは観客が立ち上がって喝采を送った。こういうのを観ると、闘牛をよく分かっていない観客が多いなぁという印象だ。これでも第1級闘牛場。勿論、ラス・ベンタス闘牛場でさえ闘牛を深く理解している観客は1割くらいどろうけど・・・。

 ホセ・トマスを育てたアントニオ・コルバチョ(現アレハンドロ・タラバンテのアポデラード)がTVEのホセ・トマスの特集で、毒舌を披露した。「闘牛場には2万人の馬鹿と、2千人のそこそこ闘牛を分かっている人と、2人の知識人しかいない。ほとんどの人間が闘牛を理解していない」、と。僕はここまで断言はしないが、ここまで言い切るコルバチョは、ホセ・トマスと同じで、遙か向こうの世界に行っている人だ。

 「記憶は、脳のニューロンの間の結合のパターンとして蓄えられる。具体的にいえば、ニューロンとニューロンをつなぐシナプスの情報伝達効率の変化が、記憶の定着に重要な役割を果たす。
 脳に長期の記憶が残るためには、ニューロンの結合パターンが変化しなければならない。そして、そのためには、ニューロンが、そのような結合パターンの変化を引き起こすような形で、発火しなければならない。
 結合パターンの変化(「学習」と呼ばれている)のルールを与えるのは、シナプスを挟んで前側と後側のニューロンが同時に発火した時にシナプスが強化されるというヘッブ規則だ。
 私たちの認識は、ニューロンの発火パターンによって支えられている。そして、そのような発火パターンにもとづいて、私たちの記憶も形成される。どのような発火パターンができるかは、外界から入力される情報と、脳の中のニューロンの結合パターンで決定されるが、その結合パターンの変化のルールを指定しているのが、ヘッブ規則なのである。」 ーー『生きて死ぬ私』脳科学者・茂木健一郎よりーー

 ホセ・トマスは、一体何処へ行こうとしているのだろうか?まるで剣豪が自分の技を磨くことを一生涯の目的にする様に、闘牛を極めようとする姿は宮本武蔵のようだ。イチローが、自分の野球を極めたいと思ってプレーをしているように僕には見えるが、それは、肉体的な準備をしたり、環境を整えたりして実行している姿にも重なる。しかし、決定的な違いは、直接的に自分の命を賭けているという点だ!!!これには、いかなるスポーツ選手でもなし得ない特権的な物が闘牛士にはあるのだ。そして、闘牛士の中でもホセ・トマスは、圧倒的な存在感を持っている。

 その証拠に、闘牛が終わり、出てくる観客の顔は満足感に満ちた笑顔や、幸福感が満ちている。そういう風に観客に感じさせるホセ・トマスは、物凄いのだ。つまり、フィロソフィア・デ・サムライ。今現在、侍の哲学を持っているのは、日本人ではなく、ホセ・トマスというスペインの特権的な闘牛士だけだと僕は思う。シナプスを挟んだ前後のニューロンが同時発火して記憶を刻む。ホセ・トマスが、望む望まないに関係なく観客は彼の闘牛を語らずにいられなくなる。何故なら、その時、刻まれた強烈な記憶をそのまま自分の中にだけに収めていられないからだ。必ず誰かに話したくなる闘牛がそこにあるのだ。


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