エル・シドは剣で耳を失う。エスプラとボリバルは出来ない!

2007年6月2日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場のサン・イシドロ23日目(今年38回目)結果。

19時開始、21時19分頃終了。20時47分照明点灯。

プレシデンテ、マヌエル・ムニョス・インファンテ。ノー・アイ・ビジェテ。満員。

ビクトリーノ・マルティン牧場の牛

   全体的に、野性的で面白い牛が出た。
   1頭目、2頭目、3頭目、良い牛。
   4頭目、。5頭目、コンプリカド。6頭目、。


闘牛士

フランシスコ・エスプラ 沈黙、口笛。

エル・シド 挨拶アビソ1回、挨拶アビソ1回。

ルイス・ボリバル 口笛、沈黙。

 晴。風が吹く。日が陰ると寒い。ビクトリーノ・マルティン牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、マルケス・デ・アルバセラーダ牧場(コンデ・デ・サンタ・コロマ牧場))。闘牛士、フランシスコ・エスプラ、エル・シド、ルイス・ボリバル。ノー・アイ・ビジェテで満員。ソルのテンディド6にて観戦する。

 フランシスコ・エスプラは、頭で闘牛を判っていてもそれを実際に闘牛場で披露することは出来ない。初めの牛は耳が切れる牛だった。それで何にも出来ないじゃ、話にならない。風が強く吹いたがそれは言い訳できないでしょう。カポーテもバンデリージャ打ちもファエナも良いところがない。唯一、バンデリジェーロがバンデリージャ打ちの後に牛に追いかけられて危ないときに救ったキーテだけ良かった。後は、ディレクトール・デ・リディアとしてだけの価値しかなかった。

 エル・シドは、耳が切れる牛(2頭目)でちゃんと闘牛をしていた。彼がムレタを持って牛に向かうと闘牛場は静かになって見守った。右角の方が良い牛でそのこともちゃんと解っていた。膝を折ったデレチャッソから始め、デレチャッソ5回リガールすると「オーレ」が鳴りパセ・デ・ペチョで拍手。離れデレチャッソ6回で「オーレ」が続きパセ・デ・ペチョ。1回牛がブスカンドした。離れアレナ中央から牛を誘いデレチャッソを4回リガールして「オーレ」が鳴りパセ・デ・ペチョで喝采がなった。離れ風が強く吹いた。アジュダード・ポル・アルトからナトゥラル2回で牛が止まりクルサードすると拍手がなった。それから2回パセをしたが2回目がブスカンド。それでもクルサードしてパセ2回繋ぎパセ・デ・ペチョで喝采がなった。離れ牛に息を入れて、デレチャッソを4回リガールしてパセ・デ・ペチョで拍手なり、トゥリンチェラを3回繋ぎ「オーレ」がなって喝采がなった。剣を代えてピンチャッソ3回の後、カイーダ気味に入って牛が座った。5頭目の牛はコンプリカドで殆どファエナにならなかった。が、クルサードを続けて何とかパセを引き出そうとしたが良くなかった。が、観客 の受けが良く剣が1回で決まり、挨拶をした。その後、場内1周しようとしたが観客から抗議があり止めた。挨拶するに値しないファエナだった。

 ルイス・ボリバルは、ちゃんと闘牛が出来ない。同郷の英雄、セサル・リンコンには遙か遠く及ばない!クルサードしてパセが繋がない。ムレタがクルサードしている。だからパセがピコ。パセは外から外へ通すパセ。だからリガールできずにパセの後、ドタバタする。アポデラードはビクトリーノ・マルティンの息子。だからしょっちゅうテンタデロで相手にしているはずなのに出来ない。パセ・デ・ペチョだって途中で体が逃げている。返りが早いからそれを判っているのだろうが、あれじゃ物になるのに相当時間がかかるだろう。3頭目の牛は耳が切れる牛だったのにもったいない。

 昨日のアドルフォ・マルティン牧場と同じ血統のビクトリーノ・マルティン牧場の牛。名前からも判るように兄弟だ。ビクトリーノ・マルティンの牛の方が良かった。でも、エル・シド以外はトレアール出来ない。今日は、久々にモナキージョ・デ・コロンビアを観た。昔セサル・リンコンの所にいたバンデリジェーロであの頃を闘牛場を沸かせた物だ。今日は、同じコロンビアのルイス・ボリバルに付いていた。一時闘牛から離れてフロリダにいると、セサルの兄のルイス・カルロスが言っていたが、また戻ってきた。昔のように、バンデリージャ打ちの後に両手を頭の上でくっつける仕草をした。年は取ったが元気そうだった。エスプラのピカドールに付いているアンデルソン・ムリージョと一緒にセサルに付いて闘牛場を沸かせていた。その2人を同じ日に観ることが出来るなんて思わなかった。


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