por 斎藤祐司
2007年4月26日セビージャ、レアル・マエストランサ(第1級)闘牛場の結果。 18時半開始、記入しなかったが多分21時10分頃終了。19時56分照明点灯。 ノー・アイ・ビジェテで、観客は満員。 ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛 全体的に、ムレタやカポーテに着いている来るが力強さが足りない。 1頭目2頭目 3頭目4頭目 5頭目6頭目 闘牛士 フィニート・デ・コルドバ 拍手、沈黙。 セバスティアン・カステージャ 拍手、耳1枚ともう1枚要求。 ホセ・マリア・マンサナレス 沈黙、沈黙。 追記: |
晴れて熱い!満員で人の熱気と直射日光で汗が流れ出る状態。帽子と水は必需品。ファン・ペドロ・ドメク牧場の牛(Procedencia
actual=現在の起源<基の血統>、ファン・ペドロ・ドメク牧場)。闘牛士、フィニート・デ・コルドバ、セバスティアン・カステージャ、ホセ・マリア・マンサナレス。ノー・アイ・ビジェテで満員の入り。ソルのグラダにて佐々木さん他9人で観戦する。
フィニート・デ・コルドバは、初めの牛で良いファエナをした。フィニートらしい、パセを繋いで、「オーレ」が続いたが、剣がダメで耳を1枚失った。クルサードは薄めだが、パセの繋ぎは流石だった。
セバスティアン・カステージャは、5頭目の素晴らしいファエナをした。アレナ中央付近に立ってブルラデロにいる牛を誘う。牛はなかなか動かない。2,3分経ってようやく牛が動き出した。日本人には、“間”という感覚が存在する。こういう風に動かない時間の中に、“間”を感じることが出来るのだ。退屈な時間ではなく、これから何が起こるかという緊張感がある時間だ。こう言うところでも、日本人には闘牛という物が分かり易い物としてあるのだと思う。動かないでパセを繋ぐ。パセ・デ・ペチョの後も一歩も動かないで牛の前に立っている。直ぐ近くに牛の角があるのに。
後ろの観客がセバスティアン・カステージャに対して、「コラソン・フリオ」と言って感心していた。日本語に直訳すると、「冷たい心」になるが悪い意味で言っているのではない。闘牛士としての冷静な心とでも訳せばいいのだろうか?賞賛の言葉だ。驚きと賞賛が、「コラソン・フリオ」という言葉になって口から出るのだ。非常に危険な闘牛。それでも、それに動じない心と体。セバスティアン・カステージャの闘牛はだから闘牛場を興奮させるのだ。危ないことが目に見える形で表現されている。それは意志だけの問題でなく、状況として伝わるのだ。
ここにここ2,3年闘牛場を沸かせている理由がある。「フィグラ(有名闘牛士)になれないなら闘牛士を辞める」と、セバスティアン・カステージャは言った。彼はまさに命を賭けて闘牛をやって観客を虜にしているのだ。しかし、剣刺しが悪いのが気になる。ファエナだけなら耳2枚の価値があった。だからセビージャの観客も耳1枚出てももう1枚を要求したのだ。でもな、カイーダじゃ耳2枚はでないよなぁと思った。
ホセ・マリア・マンサナレスは、それなりにやっているが、クルサードが出来ていないし、パセも繋げない。去年よりは良くなっているが、観るべき物が殆どない。ナトゥラルが良いというかも知れないが、それだって、他の闘牛士はもっと良いナトゥラルをしている。親の七光り。
今年もセバスティアン・カステージャは、非常に良い。剣次第だがサン・イシドロでプエルタ・グランデ出来るだけの状態にある。彼は、カンプサーノが開いている闘牛学校に14歳で殆ど家出同然でフランスのベジエからセビージャにやってきた。2000年見習い闘牛士でサン・イシドロに出場したときは、美しいパセの形をしようとする闘牛士だった。でも、あの頃は、牛が全然判っていなかった。闘牛士になってからしばらくサン・イシドロ出てこなかったか、2004年のサン・イシドロで非道い牛でやったファエナは、涙が出た。
あそこまで、必死になって牛に向かい、体を張って命賭けで闘牛をやれば、耳がどうのと言う問題ではない。非常に印象に残るファエナだった。それ以降、サン・イシドロでは、耳が切れるようになり、いつプエルタ・グランデするかという状態になっている。今年こそやって欲しい闘牛士の1人だ。
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