出来る牛なのに、出来ない闘牛士たち。注意力がない、考えてない、牛を観ていない!
全体的に言って、テクニックがなさ過ぎ!

2006年5月31日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場のサン・イシドロ22日目(37回目)開催の結果。

19時開始、21時08分頃終了。

プレシデンテ、マヌエル・ムニョス・インファンテ。今年20回目のノー・アイ・ビジェテ。観客は満員。


パラ牧場
   全体的に、カポーテやムレタに素直に反応する牛が多かった。
   1頭目、割と良い牛。2頭目、良い牛。3頭目は、割と良い牛。
   4頭目は、割と良い牛。5頭目、良い牛。6頭目は、割と良い牛。


闘牛士

ラファエリジョ 沈黙(アビソ)、沈黙(アビソ)。

ラファエル・デ・フリア 沈黙(アビソ)、口笛(アビソ)。

ルイス・ビルチェス 沈黙(アビソ)、沈黙(アビソ)。

 追記:

 晴れ。日が暮れると寒くなった。強い風が時々吹いていた。パラ牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、ピント・バレイロス、ファン・ペドロ・ドメク、バルタサル・イバン牧場)。闘牛士、ラファエリジョ、ルイス・ビルチェス、ラファエル・デ・フリア。満員の入り。ソルのテンディド5にて観戦する。

 基本的に闘牛は主観的な感じ方でモノを観る。牛にしてもそうだし、闘牛士にしてもそうだ。オーレの声にしてもそうだし、耳にしてもそうだ。いい加減と言えば、いい加減である。だから、耳の基準なんて闘牛場によって違うし、観客の反応も様々だ。しかし、マドリードのラス・ベンタス闘牛場には、目の肥えた闘牛ファンが多い。中でも、サン・イシドロ中の満員の観客は、1つの基準を提供している。時々間違うことがあるがおおむね正しい。この観戦記もそういう基準を基に書いている。主観であるが、闘牛場で闘牛を観て書いているので、主観と言い切れない部分が多いのだ。何故なら、サン・イシドロで闘牛を長い間観てきたのでそういう物が染み込んでいる。色々な闘牛、色々な場面、様々な知識を自分の中で集約して書いている。新聞やネットで出ている記事と大筋では違わないという自信がある。そういうことはこのHPを読んでいる人は解っていると思うが。

 前置きが長くなったが、今日は出来る牛が出ていた。でも、闘牛士たちは出来なかった。何故?そう何故そうなったのかを書こうと思う。

 ラファエリジョは、初めの牛でコヒーダされた。2回続けざまに。コヒーダされてアレナに落ちた。四つんばいになった頭の方から牛がやってきて首を振った。彼の体は空中5mくらいまで上に飛ばされて牛の頭に落ちてきた。そこをまた、牛は角を振り上げた。人間の体なんて人形のように簡単に空中に上がるものだ。角傷がなかったのは、奇跡的なことだ。

 何故コヒーダされのか?その時は、牛が悪いからだと思っていたが・・・。どうやら違うというのが、2頭目の牛を相手にしているときに判った。ベロニカが繋がるとオーレがなった。特に左角が良い。膝を着くが牛は良い。牛は観客に捧げられた。デレチャッソで左右に牛を交わしてアレナ内側へ。それからまたデレチャッソを繋ごうとするが繋がらない。それはそうでしょう、左角の方が良いんだから。そしてナトゥラル。パセが繋がるがパセのあと、ドタバタ。パセ・デ・ペチョ。

 距離を取らずにナトゥラルでムレタを角にはらわれた。レマテのあと、牛から7,8m距離を取るのが基本。それが出来ていない。パセの時に角とムレタの距離が一定でないから牛が変な動きをする。角が体の方に来てもおかしくないのだ。パセも短くなった。牛の動きを見ずにムレタを振っているからだ。これじゃ、出来る牛が出ているのに、出来ないよね。コヒーダされたのも、つまりそういうことだったんじゃない?同情だけでは、拍手は貰えないよ。

 ラファエル・デ・フリアもダメ。2頭とも良い牛だったのに出来ない。1頭目は、右角が良い牛だった。オーレもなったし、手の低い長いパセも何度か通して観客を沸かせた。でも、何かだらしなくない。2頭目の牛。観客に捧げた牛であのファエナ。膝を折ったデレチャッソからドタバタ。デレチャッソを2回繋ぐと牛がブスカンド。ナトゥラルを剣添えてやってムレタを角にはらわれて落とす。パセすれば怖くて腰が引ける。パセすれば、牛が1頭入るかと言うほど体から遠くを通している。それでも1回だけ良いナトゥラルが決まったけど・・・。初めのカポーテで牛に動きを教えないからこう言うことになる。どうしてそういうことを注意深く観ないのだろう。どうして、何処が、何故、と考えないのだろう。パセをするときに、アグアンタールして牛を観れないのだろう。全体的に言って、テクニックがなさ過ぎ。プエルタ・グランデはマグレだったと言われるよ、こんな事じゃ!

 ルイス・ビルチェスもまたダメ。彼はまず牛が出てきて初めにパセをするベロニカをする立ち位置が悪い。タブラに近すぎる。牛にベロニカで動きを教えて闘牛が始まるのに、タブラに近すぎるからパセが詰まってしまい、結局アレナ中央へカポーテを小さく振って連れて行くしかなくなる。これでは、良い動きをする牛でも、もっと良い動きを引き出すことが出来ずに、自分で牛をダメにしている。本当にもったいない行為だ。

 それから、ファエナの初めの部分でクルサードして牛を誘っていない。これがセビージャ風かオレ流かどうかは知らないが、牛に自分が振るムレタを見続けさせて良いファエナをしようという気持ちも意欲もない。牛が動かなくなってクルサードして牛の前に立ってももう遅い!それとやっぱり、カポーテの振り方だけじゃなく、ムレタの振り方も牛をちゃんと観ていないような気がする。

 今日は出来る牛が出ているのに、何故出来ないかと言うことを書いた。勿論、風が吹いて危なかったとか、出来なかったという理由も成り立つかも知れない。でも、闘牛のやり方がおかしいのじゃないかという問題点は、依然として残るはずだ。これを改善しないと、平均して良い闘牛は出来ない。と言うことは、有名闘牛士にはなれないと言うことだ。良い牛が出てきたときだけ、良い闘牛が出来るのなら当たり前だろう。多少難しい牛が出てきても観客を引きつけて放さないような、魅力はこのままでは出てきようがない!

 本当は、僕は闘牛士をあまり悪く書きたくないのだ。何故なら、牛の前に立っているだけでも、素晴らしいことなのだから。僕など、怖くて出来ない。それをやっているだけでも闘牛士は凄い!でも、闘牛を長く観ていると、どうしても粗が見えてくる。もっと良い闘牛が出来るのにと、思うことを自分の知識の中から書いている。


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