サンタ・コロマの血統の牛でドタバタ闘牛。

2006年5月30日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場のサン・イシドロ21日目(36回目)開催の結果。

19時開始、21時10分頃終了。

プレシデンテ、トリニダ・ロペス・パストル。満員に近い入り。

牧場

ブカラ
   全体的に、コンプリカドが多かった。
   1頭目、。2頭目、。3頭目は、。
   4頭目は、。5頭目、。6頭目は、。


見習い闘牛士

イスラエル・ランチョ 弱い口笛、沈黙。

ラウル・クアドラド 沈黙、沈黙。

メディ・サバジ 口笛(アビソ)、沈黙(アビソ)。

 追記:イスラエル・ランチョが4頭目の牛の時に、右足首を痛めた。

 曇りだが時々日が照っている。風が時々吹いていた。ブカラ牧場の若牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、サンタ・コロマ、ホアキン・ブエンディア牧場)。見習い闘牛士、イスラエル・ランチョ、ラウル・クアドラド、メディ・サバジ。満員に近い入り。ソルのテンディド5にて観戦する。

 今日はビクトリーノ・マルティン牧場と似ている血統でサンタ・コロマの血を引くブカラ牧場の若牛。どんな闘牛をするのか楽しみにしていたが、やっぱりみんな出来なかった。毛色が芦毛でこれもビクトリーノ・マルティン牧場に似ていた。

 イスラエル・ランチョ。多分こいつが1番牛の扱いも、闘牛も、剣刺しも、上手かった。2頭とも初めはポルタガジョーラ。トリルの前でひざまずいて3回十字を切り、ネクタイに付けた多分キリストへキスをしてそれから牛を迎えた。2頭目の牛でポルタガジョーラをしたときに、おそらく右足首を痛めた。捻挫だろう。だから、足を引きずってのファエナ。デレチャッソで3回続けてムレタを角にはらわれて落として口笛を吹かれた。牛とムレタの距離が一定でないからだ。パセが切れないのは、やはりムレタの振り方が悪いからだろう。

 ラウル・クアドラドは、どうしてサン・イシドロへ出てきたのだろう?去年結構闘牛をしているけど、殆ど見る物がない。年も行っているので、これで踏ん切りが付いて闘牛を辞めるかも知れない。

 メディ・サバジは、何をやりたいのかよく判らない。カポーテ技のバリエーションもある、バンデリージャも自分で打ち見せ場を作る。でも、ムレタを振るとダメ。振る形は良い。でも、パセをしたあと、後ろにドタバタ足を動かして距離を取りリガールなんて1回もしていない。パセ・デ・ペチョの時は必ずと言っていいほど、体を回転させて反対側でやっていた。それは、牛が動かないときにやることでしょう。だから、その度に口笛を吹かれていた。そして、パセ・デ・ペチョのあと、牛の返りが早いので逃げるように牛に下がっていた。あれじゃ、成長しない。何故ならパセのあとの返りが早いときは、ムレタの振り方で調整しようと思わないと・・・。1頭目の牛で角を間違えていた。

 パセも繋いでいるし、形も悪くない。でも、フランスやセビージャなどのアンダルシア向けの闘牛だ。パセを繋げば良いという。少なくても、ラス・ベンタス闘牛場では、受け入れ難い物だ多い。彼の闘牛はエスパルタコがやったデポルティスタの闘牛だ。それでも思うのは、彼くらいの技術があるのなら、サンタ・コロマの血統の牛の時に出るのではなく、ファン・ペドロ・ドメクの血統の牛でやるべきだ。でも、アポデラードがルック・ジャラベール(フランス人でアルルの興行主。そして、ファン・バウティスタの父親)。もっと特徴がないとこのまま埋もれてしまうかも・・・。

 今日はサンタ・コロマの血統の牛で、それでも、イスラエル・ランチョとメディ・サバジが自分の闘牛をやった。焦ったり、自分を見失ったりして、自分本来の闘牛が出来ずにラス・ベンタス闘牛場を去っていく闘牛士、見習い闘牛士が一杯いるが、この2人はちゃんと自分を出した。それは立派だが、内容は良くなかった。若牛はいたが、見習い闘牛士がいなかったと言われるだろう。彼らにはちょっと難しすぎる。個人的に思うのは、見習い闘牛で、サンタ・コロマの血統の若牛を出すというのはどういう考えなのだろうか?やっぱりやりやすい血統の若牛を出した方がこれから闘牛界のためになると思うんだけど・・・。


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