将軍エル・シド、マドリード制圧のプエルタ・グランデ!マエストロ、セサル・リンコンに捧げるグラン・ファエナ!

2005年6月3日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の結果。

 2005年サン・イシドロ第24日目最終日。曇り時々晴れ。蒸し暑いが風が吹いていた。ビクトリーノ・マルティン牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、マルケス・デ・アルバセラーダ(コンデ・サンタ・コロマ)牧場)。闘牛士、ルイス・ミゲル・エンカボ、エル・シド、ルイス・ボリバル。プレシデンテ、セサル・ゴメス・ロドリゲス。今年15回目のノー・アイ・ビジェテ。ソルのテンディド5にてTさんYさんと一緒に観戦する。19時開始、21時15分頃終了。

 入場行進の後、5月18日グラン・ファエナをしたエル・シドに対してオメナッヘの拍手が沸いた。エル・シドはエンカボとボリバルを呼んで3人で拍手を受けた。去年のセサル・リンコンがやったと同じ事をやった。こう言うところまで、セサルは手本になっている。

 ルイス・ミゲル・エンカボは、第2のエスプラになりつつある。本人が意識しているかしていないかは知らないが・・・。例えば、6頭目エイス・ボリバルがポルタガジョーラをやった。エンカボは、トリル前に行き万が一の事故に備えていた。またボリバルのバンデリジェーロで付いていたエル・ボニも他のバンデリジェーロにトリル前に行き事故に備えるように指示を出し、自分は1番近いブルラデロで待機してポルタガジョーラからベロニカに移るときにブルラデロから出ていつでも事故に対処できるようにしていた。エンカボもエル・ボニも裏方の仕事をきっちりと素晴らしくこなした。

 また、ボリバルや彼のバンデリジェーロが馬の前に牛を置けずにいると、エンカボは出ていってきっちりと馬の前に牛を置いて見せた。牛のことも判っているし、闘牛を全体から観て行動できる。でも、ビクトリーノの牛には手こずっていた。ファエナは上手くできなかった。

 エル・シドは、去年から続いていた剣刺しによる失敗からのようやく抜け出して初めてプエルタ・グランデすることが出来た。セビージャのフェリア・デ・アブリルのトゥリンファドールがサン・イシドロで本当のスターになった瞬間だ。それにしてもスターの顔じゃないんだけど、ファエナは凄い!それでは耳2枚取った2頭目から書こう。

 2頭目の牛はベロニカを繋ぐと後ろ脚を引きずっていた。メディア・ベロニカを決め拍手がなったが牛は動きが悪かった。初めのピカは左肩骨の上に入った悪い物だった。直ぐに刺し変えて右前に入った。2回目も右前に入ってバンデリージャが終わったが牛の動きは悪かった。ファエナは動かないだろうと思ってた。デレチャッソで試しのパセを左右に通すと牛は膝を着いた。闘牛場が溜息をついた。この牛はインバリドの牛と言っていいくらい後ろ脚を引きずっていた。だから、ファエナはこんな物だろうと思った。

 しかし、アレナの内側にへ移動してデレチャッソを繋ぐと牛が浮き出した。パセ・デ・ペチョで拍手がなった。距離を取りナトゥラルで牛を呼ぶと牛が走り出してナトゥラルを5回繋ぐと、「オーレ」がなった。レマテのパセ・デ・ペチョで喝采がなった。それでもこのままパセが繋がるか半信半疑だった。離れ手の低い長いナトゥラルが3回繋がり、「オーレ」が続きパセ・デ・ペチョで喝采がなった。離れまたナトゥラルを2回繋ぐと風が吹いて危なかった。ブスカンドしたようにも見えた。やっぱりダメか?と、思ったが、エル・シドは、左手から右手にムレタを持ち替えてデレチャッソを3回繋ぎパセ・デ・ペチョ。「オーレ」が続き、牛の前に立って見栄を切ると喝采がなった。

 離れデレチャッソを3回繋ぎパセ・デ・ペチョ。牛の前に立って見栄を切ると喝采がなった。剣を代え、アジュダード・ポル・バッホ3回繋ぎパセ・デ・ペチョ。「オーレ」が続き拍手が沸いた。スエルテ・コントラリアで牛を置き良いところに剣が決まった。牛が座った。白いハンカチが闘牛場を一杯にした。耳を要求する口笛が吹かれる。プレシデンテは白いハンカチを1回出した。しかし、観客はそれでも収まらなかった。未だ白いハンカチを振り続けた。口笛が鳴る。耳2枚には思えなかったが僕のハンカチを振った。そして、2回目の白いハンカチをプレシデンテが出した。エル・シドのプエルタ・グランデが確定した。すると、テンディド7を中心に耳2枚に抗議する手拍子が起こった。

 それは、当然だ。耳2枚のファエナではなかったからだ。それは観客も判っていたことだろうと後で判った。何故なら剣が決まったときに耳を出しておかないと、いつ剣が決まるか判らない。だから、耳2枚には足りないファエナだったが1度プエルタ・グランデをさせておこうというような雰囲気があったのだと思う。耳2枚を両手に持って場内1周をするエル・シドは泣いていた。去年は耳2枚取れずに泣いていた男は、1年たって耳2枚を両手にかざして嬉し泣きしながら観客の喝采に応えている。素晴らしいじゃないか。

 5頭目のファエナは文句なしに耳2枚の価値があった。このファエナを観たら2頭目で耳2枚出したことを不満に思っていた人も納得しただろう。牛は出てくると観客から拍手を受けた。形が美しいからだろう。ブルラデロに当たる攻撃的な牛だった。ベロニカを繋ぐと「オーレ」がなった。メディア・ベロニカを決めると拍手が沸いた。2頭目よりこっちの牛の方が良い。ピカは右後ろに入った。次が右前に入った。キーテはベロニカを繋ぎメディア・ベロニカを決めた。全て左角を通していた。バンデリージャが終わるとモンテラを持ってソンブラの観客席へ歩いていった。18日、一緒にやったセサル・リンコンへブリンディースをした。非常ーに美しい光景だ。翌日の新聞は、ドス・トゥリンファードーレス・デ・サン・イシドロとタイトルして写真を載せた。

 デレチャッソの膝を折ったパセを繋ぐと、「オーレ」がなった。パセ・デ・ペチョの後、拍手が鳴り、アレナ中央へ行った。距離を取り牛を呼んでデレチャッソを4回繋ぎパセ・デ・ペチョ。「オーレ」が続き喝采がなった。離れデレチャッソを4回繋ぐと、「オーレ」が続きパセ・デ・ペチョで牛の前に立ち見栄を切ると喝采がなった。場所を移動してデレチャッソを3回繋ぎパセ・デ・ペチョ。ナトゥラルが繋がりパセ・デ・ペチョ。拍手なる。ナトゥラルよりデレチャッソの方が良いパセが出来る。デレチャッソを繋ぐと「オーレ」の声は大きく闘牛場に響いた。トゥリンチェラ、パセ・デ・ペチョで喝采がなった。剣を代えて、スエルテ・コントラリアで牛を置いた。前脚が揃っていない。ピンチャッソ。次も前脚が揃っていない。テンディド7からそれを指摘されて、頭を縦に振って、判っています置き換えますというような仕草をした。が、またピンチャソ。その次にようやくカイーダで剣が決まった。しかし、耳2枚は消えて場内1周になった。観客は思っただろう。2頭目の牛で耳2枚を出しておいて良かったと。

 ルイス・ボリバルね。折角母国の英雄セサル・リンコンが観に来ているんだから良いところを見せたかっただろうけど、格も物が違いすぎる。彼には可哀想だが事実なのだから仕方ないだろう。セサル・リンコンはスペイン人闘牛士の手本にもなっている偉大な闘牛士だが、彼はその辺の2流闘牛士だ。とてもビクトリーノ・マルティンの牛を相手にしてちゃんとしたファエナが出来るような闘牛士じゃない。クルサードって事を知っているのか?と、思ってしなうような闘牛だった。手を低くして長いパセを通せばそれが闘牛と思っている節がある。そう言うパセもクルサードして始めて良いパセになる。それを置いておいても、パセの美しさや迫力があるならそれでも通じるかも知れないが・・・。今のままじゃダメですね。

 ビクトリーノ・マルティンの牛にはガッカリした。セビージャで観たあのシン・パラールの牛は何処へ行った。これじゃ他の牧場と同じ牛じゃないか。しかし、それをカバーしたのは、今やグラン・トレロになったマヌエル・ヘスス・シド・サラ“エル・シド”だ。彼は今年のサン・イシドロを盛り上げた闘牛士の1人だが、本当のスターになった。セサル・リンコンと、もう1人センセーションを巻き起こしたフランス人闘牛士、セバスティアン・カステージャの3人は素晴らしい闘牛を見せた。この日、エル・シドが5頭目でセサル・リンコンに捧げたグラン・ファエナ。僕の中に長く記憶に留めることだろう。素晴らしい闘牛士は、偉大な闘牛士を判っている。エル・シドはこれからも上を目指してアレナに立つことだろう。今年1年この3人が闘牛場を沸かせることだろう。


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