快晴でとても暑いマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、1,3頭目、エル・ピラール牧場。2頭目、モイセス・フライレ牧場。4,5,6頭目、ホセ・ルイス・ペレダ牧場。ソブレロ、ラ・デエシジャ牧場。闘牛士、フィニート・デ・コルドバ、エル・カリファ、エル・フリ。ファン・カルロス国王がバレラにて観戦する。ノー・アイ・ビジェテ。テンディド6、バッホにてYさんと一緒に観る。
牛は悪い。それは観れば判る。大体サン・イシドロには良い牛はそんなに出てこない。だから、そういう牛を相手に良いファエナをするから闘牛士は輝くのだ。闘牛士がやる気になって、悪い牛を相手に何とか仕様としていても、テンディド7を中心とする過激なアフィショナードは、牛が悪いだけでプレシデンテへの抗議の口笛や手拍子を、闘牛士がムレタを持ってファエナを初めてもそれを止めず、闘牛士がちょっとクルサードしなくなると今度は、闘牛士への抗議の口笛を吹く。今日はおまけに、3頭目のフリの時、パセを繋ぐと、馬鹿にした、「オーレ」の声を出し続けた。
本当に良い闘牛が観たいという、彼らの考え方は良く分かるが、間違った騒ぎ方で、闘牛士をつぶしかねない。あれは、時々嫌気がさす。今日はまさにそういう嫌気がした。せめて闘牛士が真面目にパセを繋ごうとしているときくらい静かに観たらどうだろう。フリはどうでも良いけど、今日はフリ、フィニートはどうやればいいのか判らなくなるような観客の反応を感じただろう。
1頭目のフィニート・デ・コルドバは、タブラを越えて牛がカジェホンの中に入った。こんな牛だから足を止めたベロニカが出来ない。ムレタでは手の低いパセを続けようとしていると牛が頭を振り上げムレタを何度もはらった。そんな牛だからクルサードもできなくなる。益々口笛を吹かれる。4頭目は良い牛かと思ったらベロニカの後半から動きが鈍くなりピカの後は、前脚がダメになり、良く膝を着くようになった。それでも、フィニートはパセを繋ごうと真面目にクルサードして丁寧にやっているのに、観客は、プレシデンテや牛を馬鹿にしたような手拍子や口笛を止めない。フィニートは、遂に集中力か切れてクルサードしなくなり、牛の前でムレタを左右に振って剣を代えた。あれじゃ、やる気がなくなるのは判る。剣刺しは踏み込まず、横から手だけで刺しに行きピンチャソ2回。そして、剣刺しを諦めて、デスカベジョ。罵声や口笛が吹かれる。牛の頭が下がらず3回失敗。4度目にようやく決まり、物凄い口笛が吹かれた。やる気という気持ちは観客の反応で砕かれた。
エル・カリファの牛は非道かった。2頭目はベロニカを何度か繋いだだけで、膝を何度も着き、牛が交換された。ピカが入る前に交換する牛って非道すぎないか。代わった牛は頭が高く右角が体の前を通るときにブスカンドする。ナトゥラルを始めるが頭が高いからパセの時直ぐに頭を振ってムレタをはらった。どうしようもない。だから、観客も口笛を吹かなかった。5頭目はこの牛はブスカンドはしなかったが、頭の高い牛。手を低くして牛を誘いパセをしてもムレタは何度もはらわれた。あまりに強くはらわれるから、カリファは2度ほど、腕を押さえて痛がっていた。こういう牛をスペインでは、ムイ・コンプリカドと言うが、これは確かに扱いにくい牛ではあるが、頭が高いという身体的特徴から来ているのだ。こういう牛はいくら調子が良い闘牛士でもファエナにならないものだ。
こんな事をいちゃぁあれだけどエル・フリ可哀想だった。3頭目の牛は非道かった。観客はプレシデンテに牛を交換するように手拍子や口笛、緑のハンカチを振って抗議したが膝を着かなかったから交換しなかった。牛を国王に捧げると一斉に抗議の口笛が吹かれた。その気持ちは分かる。非道い牛だからだ。その後がいけない。フリは牛を国王に捧げたのだから真面目にパセを繋いでいたが、テンディド7を中心に明らかに馬鹿にした、「オーレ」の声が続いた。パセ・デ・ペチョの後、拍手も沸くが、口笛の方が多い。あれじゃ折角、良いところを見せようと出てきても台無し。
6頭目は今日出た牛の中では1番良い牛だった。頭が高くパセの時、首を振る牛だったが良いベロニカが出来た。「オーレ」がなる。バンデリージャもフリが打ったが今日は良い出来だった。ムレタになったら牛は動かなくなった。クルサードも段々おろそかになる。だから、罵声が飛び、口笛が鳴る。剣は凄い剣を決めたが、退場の時1番大きな口笛を吹かれていた。
ラス・ベンタス闘牛場のサン・イシドロは世界最高の闘牛の祭りだ。ここで耳1枚取ったり、耳2枚取ってプエルタ・グランデすればフィグラへの道が開かれる。そして、そういう闘牛に出会うと、闘牛の感動の最高のもの、闘牛の真実を知ることが出来るのだ。が、ここの観客は気むずかしく、気まぐれである。その観客を黙らせ、興奮させることは非常に難しい。まるで、万馬券を1点で取るほど難しいことだ。今日みたいに、闘牛士をつぶしかねない危険さをいつも持っているのだ。気の弱い闘牛士は、涙に暮れて、有名闘牛士への道を諦めさせるには充分の迫力と怖さを持っている。
そういう意味からいっても、闘牛士とは並の人間じゃ出来ないのだ。うーん、明日に期待だなぁ。
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