土砂降りの雨のあと、前代未聞の大失態!中止の放送が流れそのあと続行に変更になる。パディージャ耳にならず。

2005年5月31日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の結果。

 2005年サン・イシドロ第19日目。曇りのち土砂降りの雨のち小雨。風が吹いていた。牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、牧場)。ソブレロは2頭とも、プエルト・フロンティノ牧場。闘牛士、エル・フンディ、ホセ・イグナシオ・ラモス、ファン・ホセ・パディージャ。プレシデンテ、セサル・ゴメス・ロドリゲス。今年12回目のノー・アイ・ビジェテ。ソルのテンディド5にてYさん、Tさんと一緒に観戦する。19時開始、21時50分頃終了。

 エル・フンディは、今日何しに出来てたか。それは闘牛をやるためではない。だって何もしなかったのだから。彼の今日の役目はディレクトール・デ・リディアとしての役割を果たすためだけにやってきた。3頭目のパディージャの時に土砂降りの雨が降る。大粒でしかもザーザー降る雨。まるでスコールのような雨にアレナは水浸し状態になり、4頭目の彼の牛の時は滑って牛が何度も膝を着いていた。4頭目が終了した時点で、雨は小降りになり殆ど雨と感じない状態になっていた。グラダやアンダナーダは満席の状態だったが、テンディドは1/5以下しか観客が座っていない状態だった。

 土砂降りの雨で帰路に着いた人もいたが、客席の裏側の通路でTV観戦していた観客が殆どだったはず。雨が上がった状態で5頭目から客席に着こうとしている人が多くいたはずだ。その中で、ススペンション(中止)のアナウンスが流れた。客席にいた観客は怒り出して座布団を投げて抗議した。何故なら雨が小降りになったからだ。土砂降りの中でじっと観ていた観客は当然怒る。座布団が舞ったので危ないし、トイレに行きたかったので席を立った。トイレに行き闘牛場を出て、プエルタ・グランデを過ぎてメトロの入り口付近に来たとき再び、アテンションの放送が再び流れた。外にいたので何と言っているか聞こえなかったが、人の流れが闘牛場に戻ったので、慌てて、また闘牛場の中へ入った。

 バルの前にあるTVでは、エル・フンディや他の2人の闘牛士とクアドリージャがプレシデンテの1人ホセ・マヌエル・サンチェス・ガルシアと話をしている。闘牛士たちは怒った顔で抗議している様子だった。僕はそれを見て、プレシデンテ側が勝手に、中止にしたなと思った。中止にするしないは、レグラメント(闘牛規定)には、ディレクトール・デ・リディアに決定権があると明記されている。ディレクトール・デ・リディアとは、その日出場する闘牛士の中で1番始めにアルテルナティーバをした闘牛士のことである。つまり今日の場合はエル・フンディである。彼がやると言えばやらなければならないのだ。

 勿論手続きとしてホセ・イグナシオ・ラモスとファン・ホセ・パディージャと相談して合意して決めるのが基本ではあるが、仮に合意に至らなかった場合でも決定権はディレクトール・デ・リディアであるエル・フンディが持っている。それをプレシデンテが中止を決定する権利は持っていないのだ。これは前代未聞の大失態と言って過言じゃない。こんなの何年もラス・ベンタス闘牛場に来ているが初めて見た。全くお粗末。途中で帰った観客から裁判で訴えられたらどうするのだろう?そういう人がアフィショナードで出てくるべきだと思うし、こういう大失態を許すべきではないと思う。

 ホセ・イグナシオ・ラモスは、2つ良かった。1つは、2頭目の牛の剣刺し。これはフェリア中のメホール・エストカーダ候補になるほど良い剣刺しだった。そして、再開直後の5頭目のベロニカが良かった。テンプラール気味のベロニカが続くと闘牛場に、「オーレ」の声がこだました。メディア・ベロニカで締めて喝采がなった。彼の存在感を示した。2頭目の牛はインバリドで交換した。

 ファン・ホセ・パディージャは、3頭目の牛はインバリド交換した。ソブレロが出てきた辺りで雨脚が急に強くなるが、観客の多くが席を立つ土砂降りの雨が降る中で良いファエナをした。コリーダ・ドゥーラ系闘牛士、バリエンテなどとも言うけどパディージャは、あの雨の中で牛を良く動かしパセを繋ぎ、「オーレ」を叫ばせた。殆ど感動的だった。スコールのような土砂降りの雨の中でそれでも席を立たない熱心なアフィショナードはパディージャのファエナにアフィションを感じたのだ。残念だったのは剣がテンディダで決まったためか、それとも土砂降りの雨のせいで手を塞がれていた観客が多く、白いハンカチが、グラダとアンダナーダは一杯振られていたがテンディドの観客は非常に少なかった。その変わり耳を要求する口笛は物凄く吹かれたがプレシデンテのセサル・ゴメス・ロドリゲスは耳を許可しなかった。一部のファンの中には、特にテンディド7からはファエナが悪いという抗議の手拍子も起こっていたのも事実として書いておく。

 最後の牛は、左角が短い牛だった。デレチャッソでファエナを始めてナトゥラルを始めるとパセが短かった。ブスカンドもした。後半は牛がバテて、右角まで短くなった。それを剣を代えた後、右手で持ったムレタでモリネーテを繰り返して闘牛場を沸かせた。もうこの牛からはモリネーテのような短いパセしか引き出せないからパディージャはそれを実行したのだ。非常に良く考えてファエナを締めくくった。耳の出るようなファエナではなかったが熱い物を感じた。

 ミウラの牛は闘牛を知らない人でも世界的に知られている伝説の牧場である。しかし、去年10年ぶりにラス・ベンタス闘牛場に再登場し今年も続けて登場したが、ミウラのブランド・イメージを著しく落とす非道い牛ばかりだった。もうどうしてこんなに非道い牛ばかり出せるんだ!プレシデンテの犯した大失態がなかったら集中砲火を浴びてもおかしくない非道さだった。バンデリージャを打つ闘牛士が3人出場してバンデリージャの競演もエスプラ、フェレーラ、ファンディに比べれば非常につまらないバンデリージャだった。

 ホセ・イグナシオ・ラモスもファン・ホセ・パディージャも良くやった。特にパディージャは良い仕事だったと思う。3頭目の土砂降りの雨の中のファエナは素晴らしかったし、最後の危ない牛でも考えてファエナをしていた。エル・フンディは闘牛は全然良くなかったし批判されて当然の闘牛だったが、ディレクトール・デ・リディアの仕事を全うしたことは当然とは誉められるべきだ。

 闘牛が終わった後、Tさん、Yさんは3頭目の途中で帰ったのでいなかったが、M夫妻、三木田さん、番長、榎本さんの順で集まった。Mさんがこんな土砂降りの雨の中で観ている奴は馬鹿しかしない、と言った。でも、僕を含め6人も馬鹿が集まったのだから素晴らしい。変なもので雨が降る前は、降るな降るなと思っているけど、土砂降りの雨が降れば降るほどドンドン降れドンドン降れ、みんな帰れ、俺は絶対帰らないぞと強く思ってしまうのだ。自分で自分のことをこういう性格なんだと思ってしまう。大体わざわざ日本から来ているのに途中で帰れるか!


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る  2005年闘牛