マティアス・テヘラ、プエルタ・グランデ。イバン・ガルシア耳1枚。

2002年5月30日マドリード、ラス・ベンタス闘牛場(第1級闘牛場)の結果。

 晴ていて暑いマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、ロマン・サランド牧場。闘牛士、マティアス・テヘラ、サルバドール・ベガ、イバン・ガルシア。ほぼ満員。テンディド6、バッホにて観る。

 今日はいつも使っているノートが昨日で書ききって、新しいノートになるはずが、忘れて持って行かなかった。ノートなしの観戦で詳しいことは書けない。記憶に頼って書くしかない。

 マティアス・テヘラが毎年のお約束通りプエルタ・グランデした。何が良いと言われても印象の薄いファエナだった。牛はそんなに良いわけではなかったから良くやったと思うけど、やっぱり、見習い闘牛の耳という感じがした。それでも今日出た中では1番ちゃんとファエナをしていた。クルサードもしていた。マドリード闘牛学校出身だから当然だけど、パセ・デ・ペチョの後の距離の取り方はやっぱり足りない。これは、ラス・ベンタスのようにアレナが広いところでの経験が少ないからと言う考え方もあるかも知れないが、最低でも7以上は牛から離れないと牛が呼吸を整える事が出来ず直ぐに疲れてしまうので、この辺は今後の大きな課題だと思う。

 4頭目の牛の3回目のバンデリージャ打ちの時、牛は後ろ脚を痛めた。あの牛は良い牛だったので残念だった。本当はもっと動いたはずだ。そんな牛を相手に良く動かした方だろう。それでも、だしの取れていないみそ汁のような物足りないファエナ。剣が良かったから2頭とも耳が切れたけど、そうじゃなかったら、そのまま終わっていただろう。

 サルバドール・ベガはパセを繋ぐのだが、コロカシオン(立ち位置)が悪い。クルサードも足りない。パセ・デ・ペチョの後の距離の取り方が足りない。この前観たときに膝を着いたパセで観客を沸かせたのだからまた、それをやればいいと思うのだがやらなかった。真面目にパセを繋げば繋ぐほど能力のなさが判る。

 イバン・ガルシアは6頭目の牛で耳を切った。どさくさに切ったような感じだが、ムレタの試しのパセで、右角が通るとき内側に来ると、それを理解しナトゥラルから始めたのには判っているなと思った。バンデリージャ打ちは標準。特に際だった特徴があるわけではない。ファエナは、リガールしてパセを繋いでいたから沸いたけど良いパセは少なかった。

 ここ何年か見習い闘牛士が毎年、プエルタ・グランデしている。でも、98年のミゲル・アベジャンや、2000年のハビエル・カスターニョのような衝撃的なファエナはなかなか観れないものだ。今日は寿司屋に行く前に、そば屋で盛りそばを食べたようなもの。本当に食いたいものは金がかかるから、美味しいものを少しだけこれから食べたくなる。まっ、貧乏人の寿司の食い方だけど。


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