アドルフォ・マルティンの野性的な牛に、エスプラ、ロブレニョ不発。ペピン・リリアもダメだった。

2005年6月2日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の結果。

 2005年サン・イシドロ第23日目。曇りのち雨のち曇り。風が吹いていた。アドルフォ・マルティン牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、マルケス・デ・アルバセラーダ(コンデ・サンタ・コロマ)牧場)。闘牛士、フランシスコ・エスプラ、ペピン・リリア、フェルナンド・ロブレニョ。プレシデンテ、マヌエル・ムニョス・インファンテ。今年14回目のノー・アイ・ビジェテ。ソルのテンディド5にてTさんYさんと一緒に観戦する。今年2回目のエレナ王女がロイヤル・ボックスにて観戦する。19時開始、20時57分終了。コリーダ・ドゥーラだから早い。

 フランシスコ・エスプラは、4頭目の牛で間違いを犯した。ベロニカを繋ぐと返りの早い牛。こういう牛に対しては、カポーテを大きくハッキリ外に振って牛に動きを覚えさせて行くべきなのに、ちょこちょこ小刻みにカポーテを振って牛を交わしたので牛はそういう動きをするようになって、ファエナではまともにムレタを振れなくなった。ただでさえ、ブスカンドする牛の特性がこの牧場にはある。こういう扱いをしたために、初めから右も左もブスカンドする非常に危ない牛になったのだ。だから観客から口笛を吹かれる。厳しいけど当然です。それともう一つ記述しておくことがある。1頭目の牛の時、レマテのパセ・デ・ペチョして牛に背を向けて歩いていたときに牛がエスプラ目掛けて走ってきた。危ないので観客が声を上げると、エスプラは左手に持っていたムレタをとっさに振って牛を交わした。こういう事は若い闘牛士だったらおそらくやられていただろう。ベテランの味が出たところだと思う。

 ペピン・リリアは、2頭目の牛のファエナ前半で観客を沸かせた。ブリンディースは多分彼の母親に捧げられた。膝を折ったデレチャッソを繋ぐと、「オーレ」がなった。アレナ内側でデレチャッソを4回繋ぎパセ・デ・ペチョ。「オーレ」と喝采がなった。離れデレチャッソを3回繋ぎパセ・デ・ペチョ。最後は牛が廻りながら返るようなパセだった。離れナトゥラルを3回で牛が止まり、それから2回手の低い長いナトゥラル、クルサードし直してナトゥラル2回、クルサードし直して2回ナトゥラルの後、トゥリンチェラで拍手がなった。が、牛はもう動かなくなっていた。ファエナ後半は緊張感に欠けた。

 5頭目の牛は、前脚が弱かった。ファエナはナトゥラルから始めたがパセが短かったし返りが早かった。デレチャッソに代えたが、ビビッたのか腰が引けたパセになっていたしムレタを何度も角にはらわれていた。ペピン・リリアが相手にした牛は2頭とも角が広く上に向いて尖っていた。Yさんのコメントを借用すれば、即死型の角をしていた。あんな角でブッツリやられたらまさに即死しそうな角だった。それはビビルわな。

 フェルナンド・ロブレニョは、5月2日に見せた気迫ある闘牛を再現することは出来なかった。1番の見せ場は、3頭目の牛のピカドール。遠くに置いた牛を誘って呼んで左前ピカが入った。2回目のピカも遠目から呼んで左上にピカが入った。フェルナンド・ロブレニョはもうピカは良いとプレシデンテにテルシオを代えるよう求めたが、続行になった。3回目も牛を遠くに置いた。ピカドールは牛を誘ったが来なかった。そこで1回廻ってピカを刺そうとしたが、フェルナンド・ロブレニョはもっとテンディド7の方まで行くように指示した。ピカドールはその指示に従いプエルタ・グランデ付近から馬の向きを変えて牛を誘うと牛が向かって来て、左前にクイダッソした。観客は立ち上がって喝采を送った。ファリア中最高のクイダッソだった。ピカドールのマルシアル・ドミンゲスは帽子を取って観客に挨拶した。退場の時には客席から彼に向けて拍手がなった。おそらく、メホール・ピカドールはマルシアル・ドミンゲスになるだろう。フェルナンド・ロブレニョのピカドールに与えた指示は的確だった。

 3頭目は、デレチャッソで内側に来る、ナトゥラルではパセが短い、おまけにブスカンドする非常危ない牛で良いパセを牛から引き出せなかった。最後の牛は頭が高く、前脚も後ろ脚も弱い牛。パセの後に膝を何度も着いた。この牛でも良いパセを引き出せなかった。

 アドルフォ・マルティン牧場の牛は難しい。今日は脚の弱い牛が多かったが、闘牛のやりにくい牛ばかり。現時点でこの牧場の牛を相手にちゃんとしたファエナが出来る闘牛士はいないようだ。


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