フガンド・ラ・ビダ!フェルナンド・ロブレニョ、プエルタ・グランデを逃し耳1枚。

2002年5月29日マドリード、ラス・ベンタス闘牛場(第1級闘牛場)の結果。

 晴ていて強風の吹くマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、4頭目、コンデ・デ・ラ・コルテ牧場。1,2,3,5,6頭目、ドーニャ・マリア・オレア牧場。闘牛士、ペピン・リリア、ファン・ホセ・パディージャ、アントニオ・フェレーラに代わりフェルナンド・ロブレニョ。ほぼ満員。テンディド6、バッホにてYさんと一緒に観る。

 ペピン・リリアは、ポタガジョーラなどやってやる気を見せたが牛が悪くダメだった。

 最悪だったのはファン・ホセ・パディージャ。今日はいつものやる気も感じられなかったし、バンデリージャ打ちも良くなかった。ファエナとなるとヘレスで観た良いファエナは影ほども感じられなかった。

 今日凄かったのは、アントニオ・フェレーラの怪我で代役で登場したフェルナンド・ロブレニョ。今年の4月にラス・ベンタスでプエルタ・グランデしてチャンスを与えられて登場。3頭目の剣が決まっていれば耳2枚でプエルタ・グランデだった。牛は走り方を見ただけでバランスの悪いことが判った。ペピンのキーテでメディア・ベロニカをすると牛が倒れた。牛はTVカメラに向かって捧げられた。右手の膝を折ったパセから始めアレナ中央へ行って、牛から20m位距離を取り牛を呼ぶ。牛が走り出し右手のパセを繋ぐと、「オーレ」がなった。パセ・デ・ペチョの後、充分距離を取り、また、右手の牛を呼びパセを繋ぐ。手の低い長いパセが繋がると「オーレ」が続いた。パセ・デ・ペチョ。喝采が鳴る。

 距離を充分取り、ナトゥラル。2回目のパセの時に、牛がブスカンドし危なかった。それでもクアドリージャに戻れと言うジェスチャーをしてナトゥラルと続ける。もう命懸けだ。彼の必死さ、ひたむきさが観客に伝わる。長いパセを繋いでパセ・デ・ペチョ。喝采が鳴る。デレチャソを牛の正面を向いて繋ぎパセ・デ・ペチョ。剣を代え、両手で持った剣とムレタで、膝を折ってアジェダード・ポル・バッホと繋ぎ、パセ・デ・ペチョ。剣が決まれは耳が出る。スエルテ・ナトゥラルで牛を置いて何とピンチャソ3回。その後良い剣が決まったが遅かった。デスカベジョ1回。喝采を受けて挨拶。この剣が決まったいたらプエルタ・グランデ出来たのに・・・。

 6頭目、最後の牛。俺はこのファエナの時のパセで涙を流した。凄いパセだった。ベロニカの時は、右角が通る方がパセが短いと思った。が、これはどうやら間違いだった。直ぐに前脚がコッホになって何度か膝を着いた。決して良い牛ではない。パセの時に大きく尖った角を振り回すので危ない牛。しかもブスカンドのする。しかし、それを怖がらずにパセを繋げば、“男”になる。命を懸けると言うことはそういうことなんだ。

 牛は、観客に捧げられた。右手で試しのパセをしてアレナ中央で、牛からかなり距離を取ってまた牛を呼ぶ。長いパセが繋がっていたと思ったら角で足をはらわれて転倒。悲鳴が上がる。助け起こされて、また、コヒーダされた右手のムレタで牛を誘う。根性がある。こんな言葉は使いたくないがこの場合ピッタリなのだ。上着の胸を左手開いて声を上げながら牛を誘いパセを繋ぐ。彼の必死さ一生懸命さが手に取るように観客には判った。だから、観客は自分たちの感情を絞り出すように彼の闘牛の中に入っていけたのだと思う。

 ナトゥラルはデレチャソよりパセが短くなって危なかった。それでも、必死に牛をパセしようとしてクルサードしムレタを出していた。手の低い長い良いパセが不思議のな事に繋がった。女神は命を懸けている闘牛士には微笑むものだ。「オーレ」が続きパセ・デ・ペチョ。喝采が鳴る。牛からかなり距離を取って右手で持ったムレタを体の後ろに隠しクルサード。そのままの格好で牛を誘うと何と牛が彼に向かって走り出した。走り出してからようやく体の後ろに隠していたムレタを体の右側に出して牛を向かえパセをすると「オーレ」の声は大きくより感情を帯びて叫ばれ出した。フガンド・ラ・ビダ!フガンド・ラ・ビダ!命懸けだ!こんな牛の誘い方は初めて見た。物凄いパセだ。頭の中に電流が走ったような感動で胸が熱くなる。

 もう牛も、観客も彼のものだった。リガールする牛じゃないからパセの後、また、充分距離を取って上着の胸を左手開いて声を上げながら牛を誘いパセをする。必死の形相が顔の表情から伝わる。「オーレ」。また、充分に距離を取って上着の胸を左手開いて声を上げながら牛を誘いパセをする。「オーレ」。手も体の前に出している。凄く良い。牛の正面を向いてクルサードして牛を呼ぶ。「オーレ」。カメラを覗いているから右目を閉じているが、その閉じている右目から涙が流れる。凄いパセだ。感動した。何とか耳を取らせて上げたいと思った。160cmない小さな体で命懸けの闘牛をやる。必死さがジワジワ伝わってくる。

 剣を代え、スエルテ・ナトゥラルで牛を置き、コンセントラシオンして、1発で決めた。剣は少し前に刺さっていたが良い剣だ。デスカベジョが1回で決まると、観客は一斉に白いハンカチを振った。こんな闘牛をしたんだから耳を上げたくなる。闘牛場は白いハンカチで埋まった。口笛が鳴る。観客の必死の悲鳴のような口笛が鳴り続き、プレシデンテは耳の要求に応え耳1枚と承認した。

 耳を受け取り満面笑みで場内1周。そりゃあー嬉しいだろう。サン・イシドロの出場機会がなかった闘牛士だったのに、怪我でそのチャンスを掴んで、耳を切ったのだから。あの歓び様を観ていたらこっちまでまた胸が熱くなって涙がこぼれる。良くやった!本当に良くやった!フィグラへの道は遠いかも知れないけれど、君の必死さに女神はきっと微笑むだろう。

 闘牛が終わって寿美さん、Wさん、Yさん、番長と立ち話。みんな、6頭目の正面を向いてムレタを隠して牛を呼んだこと言っていた。あれは最上級、極上のパセとして語り継がれるパセだったと思う。今日は本当に良いものを見せていただきました。フェルナンド・ロブレニョよ、ありがとう。命を懸けるって事は本当に感動的だ。こういう生きの良い若者の必死さは美しい。彼にとって怖いのは牛ではなく、“男”としての誇りや闘牛士として名誉が傷つけられることが、怖いのだろう。今日も良い酒が飲めるぞ。

 フェルナンド・ロブレニョ。本名、フェルナンド・ガルシア・ロブレニョ。1079年9月13日、コルメナール・デ・オレハ(マドリード)生まれ。マドリード闘牛学校出身。見習い闘牛士デビュー、97年5月4日、コルメナール・デ・オレハで、ビクトリアーノ・デル・リオ牧場の牛で、ウニコ・エスパーダ。こんな事もあるんだ。見習い闘牛士の時初めてのラス・ベンタス闘牛場出場は、99年7月16日、エルマノス・ソランド牧場の牛でエル・ファンディと一緒に出て耳1枚を取っている。99年8月13日にも出場して耳2枚取ってプエルタ・グランデした。見習い闘牛士の時に68回出場して97枚の耳を取り、4つの尻尾を取った。トマール・デ・アルテルナティーバ。2000年6月20日、トレホン・デ・プエブラで、トレアルタ牧場の牛で耳2枚切る。パドリーノ、モランテ・デ・ラ・プエブラ。テスティーゴ、エル・フリ。コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。2001年7月22日。バルベルデ牧場の牛で、パドリーノ、カナレス・リベラ。テスティーゴ、マノロ・ベハラノ。今年の4月にラス・ベンタス闘牛場で耳2枚切りプエルタ・グランデした。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る  2002年闘牛観戦記に戻る