最初の耳2枚には疑問を持ったが、合計耳3枚取ったポンセ、文句なしのプエルタ・グランデ!アントン・コルテス、耳1枚。

2002年5月24日マドリード、ラス・ベンタス闘牛場(第1級闘牛場)の結果。

 晴れているが、強風の吹くマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、1〜4頭目がハビエル・ペレス・タベルネロ牧場。5,6頭目がホセ・ルイス・ペレダ牧場。闘牛士、クーロ・バスケス、エンリケ・ポンセ、アントン・コルテス=コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。ノー・アイ・ビジェテ。テンディド6、バッホにてYさんと一緒に観る。

 今日は、アントン・コルテスのコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。だから、1頭目は彼がやった。丁寧で真面目な闘牛をする。遠くから牛を呼んでデレチャソを繋いでいた。ナトゥラルをすると体の方に向かって来る牛。パセの後、膝も着いた。扱いにくい牛をクルサードして丁寧にパセを繋いでいた。剣がダメだったけど挨拶。

 クーロ・バスケス、2頭目の牛でトゥリンチェラを繋いでいると何故か、「オーレ」がなった。手の高いゆっくりしたデレチャソでまた、「オーレ」。訳が分からない。でもそれだけだった。後は何もない。4頭目では牛の前で左右にムレタを振って直ぐに剣を代えた。要するに何もする気がない。罵声と口笛が鳴る。今年で引退だって?もっと早く辞めるべきだった。

 エンリケ・ポンセは、去年までと違う。信じられないように突然変異した92年を思わせる闘牛を今年はやっている。何処が違うってパセするとき、腰が動かないのが良い。綺麗なベロニカを繋ぐと、「オーレ」がなった。ラルガを連続して繋ぎ喝采。この牛、ピカの時、右側からカポーテを振っても来なかったので右目が悪いのかと思ったが、特にそんなことはなかった。キーテは、ベロニカを繋ぎ、メディア・ベロニカ。きれいに決まって「オーレ」がなる。ピカは左側に2回入った。馬から離れて牛が膝を着く。バンデリージャは、マリアノが良いのを決めた。

 ファエナは、右手で膝を折ったパセから始めトゥリンチェラ、パセ・デ・ペチョ。「オーレ」がなる。充分距離を取って、デレチャソ。クルサードして綺麗に繋ぎ、パセ・デ・ペチョ。脇が開いているが、盛り上がっていく。余裕を感じさせるムレタ捌き。パセが綺麗。腰が動いていないのが良い。92年の様な闘牛だ。アジェダード・ポル・アルトからナトゥラルを繋ぎ、モリネーテ、パセ・デ・ペチョ。正面を向いて足を揃えたデレチャソを繋ぎパセ・デ・ペチョ。「オーレ」が続いた。剣を代えて、膝を折った手の低い長いパセを繋ぎトゥリンチェラ、パセ・デ・ペチョ。スエルテ・コントラリアに牛を置いて、良いところに決めた。牛が直ぐ倒れ、何と耳2枚。信じられない。1枚でしょう今のは。ともあれ、ポンセは、久々にラス・ベンタスのプエルタ・グランデを開けた。

 5頭目のポンセ。これも良かった。ここまま終わったら、あの耳2枚はないだろうと言われていただろう。が、頭の高い牛で、しかもカポーテでは、走りきらない牛で、やりにくいはずなのに、パセを良く繋いだ。偉い。1番の見せ場は、背中越しに、デレチャソで体の前から通しシルクラールを3回続けたところ。あれで一気に盛り上がって耳1枚に繋がった。剣はバホナッソ気味だったが、耳1枚。これで、文句なしのプエルタ・グランデ。

 アントン・コルテスの最後は一生懸命さが伝わってくるファエナだった。牛は前後の脚が悪かったのに、良く牛を動かした。クルサードを丁寧にしてその時、ムレタを体の後ろに隠して、それから牛を誘っていたので牛が動き出した。ナトゥラルも手が低く長いパセをしていた。こういう無名の闘牛士が一生懸命ファエナしていると耳を上げたくなる。ご祝儀だったかも知れないけれど、良いファエナだった。剣は、少しずれていたけど耳1枚。おめでとう。

 今日は、耳4枚出た。サン・イシドロでこんな日あったかなぁ。思い浮かばない。ポンセが復活を告げる耳3枚。今日は良い闘牛だった。サン・イシドロで1人の闘牛士が耳3枚取ったのは90年までさかのぼっても、記録にないことだ。今年は、これで丁度半分が終わった。耳が合計で8枚出て、しかもプエルタ・グランデが3回、3人の闘牛士がした。こんな事、知らない。東京に帰ればサン・イシドロ50年の記録があるがそれを調べないと詳しいことは判らないが物凄いことだ。

 困ったことに、今年のサン・イシドロの報告はどうなるのだろうと思ってしまう。去年は、何をするか考えなけれがならなかったが、この3つをやらないわけには行かないだろうし、この後、どんな闘牛があるの想像がつかない。フェレーラの闘牛を観たとき、今年は3回プエルタ・グランデが出そうだと思ったけれど、その通りになった。でも、未だ半分しか終わっていないのだ。未だ、フィグラは一杯出てくるのに。本当にどうなるんだろう。全く判らなくなってきた。

 ポンセの経歴は今更書かなくても良いと思うけど、考えてみれば、闘牛士紹介には未だ書いていないものなぁ。今なら書けるかも知れない。

 アントン・コルテス。本名、アントニオ・マヌエル・コルテス・バルガス。1980年12月4日、アルバセーテ生まれ。闘牛士、セバスティアン・コルテスの息子。シウダ・マンチャゴの闘牛学校に入学。1番始めに闘牛服を着た日。95年8月24日、カサスマロ(クエンカ)。見習い闘牛士デビュー。98年9月16日、アルバセーテ。エル・フリと一緒に出場。トマール・デ・アルテルナティーバ。2002年3月15日バレンシアで、パドリーノ、エンリケ・ポンセ、テスティーゴ、エル・フリ。

 その前に、闘牛が終わった後、Yさん、番長、Wさん、寿美さんにあった。今日は寿美さんに、「おめでとう」が言いたかった。寿美さんは満面笑み。腰が動いてなかったじゃない。と言うと、「ちゃんと入ってないもの」と、言っていたが、笑顔で顔がゆがんでいた。そりゃー嬉しいだろうなぁ。俺なら泣いているだろう。寿美さんは自分の感情をかなり抑えているだろう。それでも、笑顔に溢れていた。


http://www2u.biglobe.ne.jp/~tougyuu/以下のHPの著作権は、斎藤祐司のものです。勝手に転載、または使用することを禁止する。


ホームに戻る  2002年闘牛観戦記に戻る