フエンテ・インブロの凄い牛、場内1周!でも、何も出来ない闘牛士たち。ラウル・ベラスコ引退。

2003年5月19日マドリード、ラス・ベンタス闘牛場(第1級闘牛場)の結果。

 晴れているが風が強いラス・ベンタス闘牛場。フエンテ・インブロ牧場の若牛。見習い闘牛士、ラウル・ベラスコ、ルイス・ミゲル・バスケス、マヌエル・エスクリバノ。ほぼ満員の入り。テンディド6でYさん、Tさんと観戦す。

 ラウル・ベラスコは、1番まともだった。が、何も出来なかった。1頭目は強風の中での闘牛で何度も危ない場面があった。左角が短く、パセの後の返りも早い牛で手を焼いた。ムレタも角にはらわれて何度も落とした。4頭目の牛は、右前脚が弱かったが気になるほどではなかった。バスケスがキーテの時にコヒーダされる。それで怖がったのか、ムレタの始めは走りながらパセを繋いでいた。何だこれ。右手のパセが繋がってオーレが少しなった。でも、パセ・デ・ペチョの後、牛の返りが早く危ない。パセは繋げる牛なのだからその辺は上手く捌けないとダメだ。ナトゥラルは牛が動いてから誘ってパセをしていた。ガッカリした。これじゃ闘牛士が牛をコントロールしてパセしていないと言うことだ。デレチャソの後、また、ナトゥラルを、牛の正面を向いてするが上手くできない。

 剣もダメ。メディアの後、ピンチャソ。3回目にコントラリアでエストカーダ・オンダに決まる。デスカベジョ1回。牛が良かったので牛に拍手。牛退場の後、アレナに出てきて、コレタ(弁髪)をハサミで切って無言で引退を宣言した。カジェホンに返った後にTVインタビューで泣いていたそうだ。もう29歳。年も年。そして、この牛で耳が切れなかったので闘牛士を辞めることを決意したのだろう。その潔さに対して拍手が起こった。そして、ラウル・ベラスコは見習い闘牛士として最後の喝采を受けた。

 ルイス・ミゲル・バスケスは非道かった。カポーテやムレタを振っても牛の動きと全然あっていない。何をやっているんだか、何をしようとしているのか判らない。5頭目の牛もちゃんとクルサードすれば良いパセを出せた牛だったはず。でも、クルサードできない。4頭目の牛でコヒーダされて痛いのかも知れないがそれは言い訳でしょう。左角がブスカンドする。怖いからちゃんと闘牛が出来ない。勿論、ムレタを振ったって牛の動きをコントロールできないからダメなんだけど。非道ぇーもんだよな。これじゃいつ耳切るんだろう?

 マヌエル・エスクリバノは最低。何にも判っちゃいない。これで良くラス・ベンタスに出来てきたもんだ。牛が判らない。距離が判らない。闘牛が判らない。牛が動いてからムレタを出してパセしてそれが闘牛か?クルサードして牛を誘ってパセをする。こういうことは何も出来ない。距離も判っていない。牛が動く距離にいるのにそれが理解できない。だから、牛が動いてしかムレタを出せないのだ。牛をコントロール出来ていないとかそういうレベルの問題じゃない。最後の牛は、ムレタを出すだけで簡単にパセが出来る牛だったのにその牛を相手にしても「オーレ」すら観客に言わせることが1回も出来ない。君、自分が情けなくないかい?あれはちゃんとした技術を持っている人だったら耳2枚切っていたよ。

 牛が場内1周をして最後に牧場の牧童頭が出てきて喝采に応えて挨拶をした。

 トレオ・デ・サロン(カポーテやムレタを振る練習)をやっているんじゃないから、パセの形が良くても意味がない。牛を相手にして初めて闘牛が成立する。その根本を全然理解していない。だから今日みたいに出てきた牛全てに拍手が送られたのに闘牛士は何も出来なかった。何もない。牛がいた。闘牛士がいなかった。と普通は言うが、今日は観客は牛に興奮しただけだった。ああ、ノビジェーロは何処にいるんだろう。今日は牛が全て。去年に続いてフエンテ・インブロは場内1周の若牛を出した。良い牛だったよなぁ。


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