マエストロが1人トレロが1人男が1人。セサル・リンコン偉大なる完全復活でプエルタ・グランデ!
エル・シドはそれが剣で消え場内2周。

2005年5月18日マドリード、ラス・ベンタス(第1級)闘牛場の結果。

 2005年サン・イシドロ第8日目。晴れ時々曇り。時々風が吹いてやりにくい場面があった。アルクルセン牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、カルロス・ヌニェス牧場)。ソブレロ、アントニオ・ロペス。闘牛士、セサル・リンコン、エル・シド、エドゥアルド・ガジョ=コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。プレシデンテ、マヌエル・ムニョス・インファンテ。今年3日目のノー・アイ・ビジェテ。何故なら今年1番良いカルテルだからだ。ソルのテンディド5バッホにて、Kadoyan、寿美さんと一緒に写真撮影しながら観戦する。19時開始、終了時間記録せず。しかし、プエルタ・グランデが終わってみんなと会った時間は、21時45分だった。とても感動的で充実した時間をラス・ベンタス闘牛場のアフィショナードと、そして、マエストロとトレロと共有できたことを闘牛の神様とマドリードの守護神サン・イシドロと、ラス・ベンタス闘牛場に感謝したい。感謝しても感謝しきれないくらいに感謝したい。本当にありがとうございました。本当にありがとうございました。本当にありがとうございました。10年間待っていた夢の様なこの時を本当にありがとうございました。

 エドゥアルド・ガジョのコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。本来今日の主役はエドゥアルド・ガジョ。でも、残念でした。主役と脇役2人に陰に隠れて目立たなかった。彼の見せ場は、6頭目の悪い牛で角が体の近くにあるのに動かずにパセを通した事だ。観客は恐怖でそんなファエナをやめるように口笛を吹いた。でも、彼はそのことによって男であることを観客の前に示した。勇気がある男であることを。最後に見せた、左手に剣を持ち、右手にムレタを持ってマノレティーナの様なパセを見せたが初めて見るパセだった。

 セサル・リンコン。この名前を聞くだけで僕はメロメロになってしまう。それは仕様がないことだ。何故なら1991年セサル・リンコンの闘牛を観て闘牛の奥深さと本物の感動を教えて貰ったのだから。セサル・リンコンがいなかったらこんなHPなんか作っていない。闘牛なんかどうでも良いと思っていたかも知れない。でも、私はセサル・リンコンを知っている。だから、闘牛は非常に重要な物だしこの素晴らしさを伝えようとHPを作ったのだ。能書きはどうでも良いって、バレ。それでは書きましょう栄光のプエルタ・グランデの全てを。ただし写真を撮りながらなので抜けているところがあるかも知れないけど・・・。

 2頭目の牛はブルラデロ前で止まる牛。しかしアレナを走り回っていた。すでにこの時に前脚がおかしかった。ベロニカが上手く繋がらない。ラルガで決めて牛を置き、ピカは左後ろに入り馬から牛が離れ膝を着いた。次のピカは遠くから牛を呼んだがピカが空振りした。その後、左後ろにピカが入った。エル・シドのキーテは、テンプラールなベロニカを2回メディア・ベロニカで決めて拍手がなる。テルシオが替わるが、セサル・リンコンが出てきてキーテ合戦になる。正面から牛を呼んでチクエリナ。1回目は足が動いていなかったが、2回目3回目は足を一歩引いていた。それが残念。レマテのメディア・ベロニカが決まると拍手が沸いた。良いキーテ合戦だった。

 バンデリージャ終わっても良い牛とはとても思えなかった。こんな牛でどういう風にファエナを構成するのか?おそらく出来ないだろうと思っていたが・・・。アレナ中央へ出てきてブリンディースは観客へ捧げられた。拍手がなる。それからテンディド10のタブラへ行きムレタを構えた。ムレタを動かすと2,30m先のブルラデロ前にいた牛は振り向いて動きだした。これがセサル・リンコンの距離も魔法の始まりだった。とても来そうにない距離から牛を呼ぶ技術は半端じゃない。尋常じゃない。これを魔法と言わずして何という?エスタドゥアリオと繋ぎトゥリンチェラのように引くナトゥラルが決まると拍手がなった。それから距離を取りデレチャッソで牛を誘う。30mあったかも知れない距離から牛を動かす魔法。牛はムレタに向かって走り出し4回パセをリガールすると「オーレ」がなった。パセ・デ・ペチョで拍手が鳴ると、牛も観客もセサルの物だった。

 それからゆっくりと背中を牛に向けて歩いて行って距離を取り、遠くからデレチャッソで牛を誘うと牛はまた走り出した。5回リガールすると、「オーレ」がこだました。パセ・デ・ペチョが決まると喝采がなった。興奮でカメラを持つ手が震えてくる。観ろ!偉大なるラス・ベンタス闘牛場が興奮に包まれている。距離を取り今度はナトゥラル。遠くから牛を呼んで3回パセを繋ぐ。3回目でムレタを角にはらわれた。クルサードし直して手の低い長いナトゥラルが2回、その後、ファロールをしてパセ・デ・ペチョ。「オーレ」が続き喝采がなった。

 牛に背を向けて距離を取り、パセ・デ・フローレンスで、「オーレ」。デレチャッソをリガールして「オーレ」が続きパセ・デ・ペチョ2回で喝采がなる。ナトゥラル、トゥリンチェラを続けパセ・デ・ペチョで剣を代えた。最後は、ナトゥラル、トゥリンチェラを続けパセ・デ・ペチョで、「オーレ」が続きスエルテ・ナトゥラルで牛を置きカイーダのテンディダだったが牛が座った。闘牛場は白いハンカチで埋まった。耳要求の口笛が鳴り耳1枚。満面笑みのセサル・リンコンの場内1周が始まった。あー耳が取れたんだと、とても嬉しかった。

 4頭目の牛が出る前にとてもドキドキしてきた。悪い牛が出た方が心臓に悪くないかも知れないと思ったくらいだ。4頭目の牛も悪かった。とてもファエナにはならないだろうと思ってみていた。牛は出てきてブルラデロ前では止まったがアレナを走り回っていた。牛の頭が高い。後ろ脚を引きずっていた。パセがやりにくそうだ。ベロニカを繋ぐと、「オーレ」がなった。メディア・ベロニカが2回で「オーレ」と喝采がなった。牛は悪いがカポーテの動きに最後までついてくる。未だ見込みがあるなと思った。ピカは右前と左後ろに入った。メディア・ベロニカで馬の前に牛を置くとそのまま牛が馬に向かっていった。アドルフォは良いバンデリージャを打って拍手を貰ったが挨拶はなかった。

 ファエナはタブラ近くでデレチャッソから始めたがアレナの内側に移動した。距離を取ってデレチャッソで誘うと牛が動き出した。3回リガールすると、「オーレ」が鳴り、レマテはパセ・デ・ペチョ。拍手がなった。それからゆっくりと距離を取り間を取った。こうしないと牛が動かないのだ。そのことを知っている闘牛士は少ない。それを完璧に出来る闘牛士はおそらくセサル・リンコンだけだ。デレチャッソで2回パセを繋ぐと牛が止まった。クルサードし直してリガールすると、「オーレ」が続いた。パセ・デ・ペチョ、引くようなナトゥラルで喝采が沸く。

 離れデレチャッソを繋ぎ、手の低い長いナトゥラル続けファロール、パセ・デ・ペチョ。「オーレ」が続き喝采がなった。剣を代えて、最後の締めは、左手でナトゥラルとトゥリンチェラを繰り返し繋ぎ牛も前で見栄を切ると喝采がなった。後は剣だけだ。スエルテ・コントラリアで牛を置き声を出して牛を誘った。レシビエンドだ。1回目は牛が動かなかったが、2回目は牛が向かってきた。が、ピンチャッソ。闘牛場に溜息が漏れる。セサルは右手を挙げて悔しがっている。それから拍手がなった。次はボラピエで剣刺しに行きテンディダのカイーダで決まった。剣が決まるとセサルは何度も右手を振って牛が倒れるという仕草をした。牛が座った。闘牛場は徐々に白いハンカチに包まれていった。死んだ牛を引き出す3頭のラバが近づいてくると耳を要求する口笛が沢山鳴り響いた。プレシデンテは、プエルタ・グランデを決める耳1枚を出すことを許可した。

 横にいた寿美さんに、ピンチャッソ1回だから本来耳は甘いかも知れないけどセサルだから白いハンカチを振ったと言った。ファエナは耳1枚の価値がある。そして何よりもラス・ベンタス闘牛場のアフィショナードがそれを望んだのだ。寿美さんはうなずいていた。あーこれが観たくて毎年サン・イシドロに通っていたのだ。あれから10年目のプエルタ・グランデだ。開けるときは簡単だ。しかし、サン・イシドロでプエルタ・グランデすることがどれほど大変で、どれほど難しいことか、充分判っている。だからこそ、10年かかったのだ。セサル・リンコンは、91年に4回連続でプエルタ・グランデをして、95年のサン・イシドロでもプエルタ・グランデした。今日で6回目のプエルタ・グランデである。ラス・ベンタス闘牛場のプエルタ・グランデの記録はエル・ビティの12回が最高であるが、それは昔はプエルタ・グランデが出やすかったのだ。90年以降は、非常に難しくなっている。それで言えば、セサル・リンコンの6回は最高である。次がホセ・トマスの5回である。

 エル・シドは、セサル・リンコン以上に闘牛場を熱狂させた。しかし、気まぐれなグロリア(栄光)には振られてしまった。彼が掴んだのはペサディージャ(悪夢)だった。3頭目の牛は非道い牛で交換になったが代わった牛もどうしようもなかった。しかし、セサル・リンコンがプエルタ・グランデを決めた直後の5頭目の牛でグラン・ファエナをした。

 牛はブルラデロ前で止まる牛。ベロニカでは右角を振りながらパセが通っていたが、「オーレ」がなる。癖がある牛であることが判る。ベロニカが続きアレナ中央でメディア・ベロニカが決まると「オーレ」がやみ拍手が沸いたが牛は膝を着いた。牛は脚が弱いのだ。テンディド8に向かう途中の馬に牛が突進して1回目のピカが右上に入った。定位置について2度目のピカが左前に入った。牛が馬から離れエル・シドのキーテ。テンプラールなベロニカ2回をメディア・ベロニカで締めると、「オーレ」がなった後に拍手が沸いた。エル・シドはやる気である。目の前でプエルタ・グランデを開けられて黙っているわけにはいかないのだ。

 バンデリージャが終わると、アレナ中央へゆっくりと歩いていった。観客に牛を捧げるためである。モンテラを取って観客に挨拶をしていたら牛がエル・シドに向かって走り出した。バンデリジェーロがあわててカポーテを持って走り出して注意を引いたので再びエル・シドは観客に挨拶の続きをした。モンテラを足下に置きアレナ中央からタブラにいる牛を誘った。セサル・リンコンのように遠いところから牛を誘ったのだ。牛はムレタに向かって走り出した。手の低い長いデレチャッソが4回繋がりパセ・デ・ペチョが決まると、「オーレ」の後に拍手が沸いた。

 距離を取り、デレチャッソが4回繋がると、「オーレ」が続いた。パセ・デ・ペチョ拍手なる。距離を取り間を取り、ナトゥラルで遠くから牛を呼んだ。牛はムレタに向かって走り出した。手の低い長い綺麗なナトゥラルが繋がると闘牛場は、「オーレ」を叫んだ。パセ・デ・ペチョを決めると喝采がなった。それは凄いことになってきたと思った。また距離と間を取り手の低い長いナトゥラルが続くと、「オーレ」の声はさらに大きくうなるようにこだました。パセ・デ・ペチョで観客は立ち上がって喝采を送った。距離を取りまたナトゥラル。手の引く長いナトゥラルが続くと、観客は「オーレ」を叫んだ。パセ・デ・ペチョ2回で喝采がなった。グラン・ファエナだ。去年のビクトリーノ・マルティンの牛でやったファエナを思い出す。

 剣を代え、最後はアジュダード・ポル・バッホを繋ぐと「オーレ」が続きパセ・デ・ペチョで喝采がなる。後は剣だけである。剣が決まれば間違いなく耳2枚出でる。スエルテ・ナトゥラルで牛を置いてボラピエで剣刺しに行ったがピンチャッソ1回。闘牛場が溜息に包まれた。それでも、未だ大丈夫だ。拍手が沸く。今度はスエルテ・コントラリアでピンチャッソ。また失望の溜息が漏れる。また、スエルテ・コントラリアでピンチャッソ。もう完全に耳が消えた。勿論、プエルタ・グランデも・・・。それからスエルテ・ナトゥラルカイーダで決まったが、時すでに遅し!牛が座ったがハンカチは殆ど振られなかった。牛の退場に拍手が鳴り、エル・シドに対して喝采がなった。なかなか出てこなかったが、観客に挨拶をして場内1周が始まった。去年は剣を失敗した悔しさから泣きながらの場内1周だったが、今日は泣いていない。場内1周が終わっても拍手が鳴りやまずもう一回場内1周をした。合計場内2周。物凄い感動があったファエナだったが、エル・シドはプエルタ・グランデの栄光を掴むことが出来なかった。セサル・リンコンは栄光を掴むことが出来たマエストロで、エル・シドはペサデ ィージャ(悪夢)を掴んでしまったトレロだ。

 6頭目が終わった後、直ぐにプエルタ・グランデに向かった。もう人垣が出来ていたが、セサルの車の前に行った。セサルのお父さんがやってきたので、「おめでとう」と言った。とても嬉しそうだった。それからプエルタ・グランデが開きセサルが肩車でやってきた。人が一杯で警官の暴力で排除されてセサルに挨拶できなかった。でも、お父さんにホテルを聞いた。それからみんなと会った。Mさんは満面笑みで声を出して笑っていた。会うなり、「完全復活だね。おめでとう」と言われた。嬉しかった。いつも厳しいMさんがそう言うのがとても嬉しかった。三木田さんも僕を観ると、「おめでとうございます」と言った。その前にMさんに、奥さんによろしく言っておいて下さい。もう一生忘れませんと、奥さんの替わりに来た三木田さんが言っていた。

 Mさんが飲みましょうと言ったがホテルに行くからとお断りを入れて、一緒に行くというKadoyanとホテルに向かった。途中くまさんがからTELが入った。シーラさんと会っていないがそっちに向かっているだろう事を伝えホテルに行った。シーラさんには、終わったらくまさんたちと食事する事になっていたが、こう言っておいた。万が一、万が一、セサルがプエルタ・グランデしたらホテルに行くから食事には行けないと言っていた。それはISOさんにも言った。セサルの車があり運転手に部屋を聞き出して部屋に行った。もう凄い人。それでドンドン後から人が入ってくる。ゆうに50人以上の人が来た。100人いたかも知れない。プエルタ・グランデするとこんなにもホテルの部屋に来る人が多くなるのだ。ルイス・カルロスやクアドリージャ、エドゥガールにおめでとうを言った。

 セサルに挨拶して、今日のムレタを欲しいと言ったが、それは非常に難しいと言った。部屋にいるときに下山さんからTELがあった。TVでセサルがプエルタ・グランデが決まったとき、コメントを求められたアントニェーテが泣き出してコメントできなかったことを聞く。セサルにその事を言うと声を出して嬉しそうに笑っていた。本当にありがとうセサル・リンコン!俺はこの日を10年待っていた。通えど通えどなかなか開かなかったプエルタ・グランデに立ち会えたことが本当に夢の様だ。俺はこれから泣く。誰にも邪魔なんかさせない。俺はこれから思いっきり泣く。思いっきり泣く。誰にも邪魔はさせない!誰にも邪魔なんかさせないで泣く!


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