ケ・グラン・タルデ!観客総立ち、耳が痛い喝采!アントニオ・フェレーラ、プエルタ・グランデ!エル・ファンディ耳1枚。

2002年5月17日マドリード、ラス・ベンタス闘牛場(第1級闘牛場)の結果。

 曇り空から雨粒が落ち風が吹くマドリード、ラス・ベンタス闘牛場。牛、カリキリ牧場。闘牛士、フランシスコ・エスプラ、アントニオ・フェレーラ、エル・ファンディ=コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。大体満員の入り。テンディド6、バッホにて三木田さんと一緒に観る。

 今日は、バンデリージャを打つ3人の闘牛士の競演。エル・ファンディのコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。見せ場はそれだけでも良いと思って闘牛場に行ったら、三木田さんがいた。Yさんが熱を出して代わりに来たのだという。開始直前に、ビニール・カッパ三木田さんが買って直ぐに雨が降り出した。今日はカメラを持っていく予定だったが、雨の心配とかったるくなって辞めた。闘牛が始まると雨が強く降ってきた。それでも最後までいなきゃ闘牛を観たことにならない。耳が出るのは明日の騎馬闘牛の時が始めだろうと思っていたが、でるもんです。耳が3枚も・・・。

 1頭目は、エル・ファンディのコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。始めからやる気があった。ラルガ・カンビアールからベロニカを繋ぎメディア・ベロニカ、セルピエンティーナ。「オーレ」がなり沸く。キーテは、膝を着いたチクエリナ繋ぎ、立ってメディア・ベロニカ。牛が左後ろ脚の甲を着くようになる。バンデリージャは自分で打った。右へ走りながら角の間で打った。沸く。次は牛を誘って、左後ろに下がりながら角の間で完璧にバンデリージャを打った。最後は、右手に2本持ったバンデリージャを右側に走りながら、頭越しに打つビオリン。観客は立ち上がって大喝采を送る。もう、始めの牛から耳が痛い。一瞬難聴になったような感じだ。

 お決まりの、アルテルナティーバの儀式。エスプラからエル・ファンディに助言が送られ、ムレタと剣をファンディに、カポーテがエスプラに渡りフェレーラとも握手をしてムレタが始まった。そこでは良かったが、牛がどうもダメだ。デレチャソは何とか繋げるが、ナトゥラルの時はパセが短くなる牛。何とか仕様として牛を動かしているが良いパセにならない。強い雨の中、風のあり、コンディションが悪い中で良くやった。やる気が観客に充分伝わった。

 フランシスコ・エスプラは、今日は良い牛に当たらなかった。それでも随所に良いところを見せて挨拶した。この日2,3,6頭目の牛の時に3人の闘牛がバンデリージャを打ちの競演をした。1番良かった6頭目を後で書くとして後は割愛する。始めの牛は強い雨の中、風のあり、コンディションが悪い中で、デレチャソをやるとブスカンドする。4頭目のバンデリージャは自分で打った。左へ行って角の間で打った。次も左に行ってタブラ近くで角の間で打った。最後は2回目よりももっとずっとタブラに近いところで角の間で打って喝采。牛に向かってモンテラを投げつけてドッと沸いた。この牛もナトゥラルの時にブスカンドする危ない牛。良いパセを出来なかった。

 実は、今日1番期待していなかったアントニオ・フェレーラが、まさかプエルタ・グランデを開けるとは思っても見なかった。3頭目の牛はマンソの牛でやる気を見せたが良いパセを引き出せなかった。が、去年までとは闘牛のやり方が違っているのに気づいた。クルサードするときに、体の後ろにムレタを持っていくことや、距離が判ってきていた。だから、耳2枚切った5頭目の時も、別に不思議に思わなかった。

 5頭目。ベロニカをすると体の方に寄ってくる危ない牛。おまけに左前脚がコッホだった。牛のケレンシアはテンディド2〜4辺りにありそうだった。ピカは左右に1回ずつ入った。ファンディのキーテは、膝を着いてのチクエリナを繋ぎ立ってラルガ。「オーレ」がなり喝采が鳴った。フェレーラも負けじとキーテ。牛を誘ってから一歩も動かないチクエリナを3回、ベルモンティーナを決めるとまた、「オーレ」がなり喝采が鳴った。こういう意地の張り合いは見ていて実に面白い。エスプラもキーテをどうぞとジェスチャーされたが彼は出ていかなかった。それは正解だろう。2人とも良いキーテをやったからだ。

 バンデリージャは自分で打った。左へ行って角の間で打った。次も角の間で打った。最後は遠くから牛に向かって走っていって誘うが1度は牛は来なかった。もう1度かなり後ろに下がってまた、牛に向かって走っていくと牛が動き出した。フェレーラはそこで止まって牛を向かえる。右側にフェイントをしてその残像が残る方を牛が通るとき牛の横からキエブロを決めた。その後、コヒーダ。角傷がなかったのが幸い。グラン・オバシオン。耳が痛い。一瞬難聴になったような感じだ。でも、こんな耳の痛さなら毎日あってもかまわない。

 さて、これからである。ここまでの闘牛でも充分すぎるくらい楽しんだ。思いもよらないプエルタ・グランデが待っているとは。牛は観客に捧げられた。アレナの中央で牛を誘う。来ないので10m位まで近づく。そして、デレチャソでパセを繋いだ。手の低い長いパセが繋がると、「オーレ」が鳴り響いた。パセ・デ・ペチョ、良いトゥリンチェラが決まると喝采が鳴った。こんな牛だっけ。カポーテの時は体の方に向かってくる危ない牛だったのに。でも、そこがみそ。クルサードをちゃんとやってその時にムレタを体の後ろに隠していたから牛がちゃんと動き出したのだろう。

 手の低く長いデレチャソがまた繋がると、「オーレ」の合唱は大きくなっていった。パセ・デ・ペチョ、トゥリンチェラが決まると喝采が鳴った。彼のトゥリンチェラってこんなに良かったっけ。驚きだ。牛から離れてナトゥラルを始める。こっち側がより体の方に向かってやってくるので危ない。それでもちゃんとクルサードしてムレタを体の後ろに隠しすという、手順を踏んでいる。長いパセが繋がると、「オーレ」がなった。パセ・デ・ペチョ、体に隠すようなする、トゥリンチェラソが決まると立ち上がって喝采を送る。

 そして、距離を充分にとって、牛を誘う。デレチャソで手の低い長いパセが決まると「オーレ」はより大きく叫ばれた。パセ・デ・ペチョ、良いトゥリンチェラ、またパセ・デ・ペチョが決まると喝采が鳴った。牛の前で見栄を切ると観客は総立ちになって喝采を送った。剣を代え、長いデレチャソを繋ぎパセ・デ・ペチョ、良いトゥリンチェラが決まると喝采が鳴った。後は剣だけ。スエルテ・ナトゥラルでちょっとだけずれていたが1発で見事に決まった。剣の刺さった瞬間観客は総立ちになって喝采を送った。牛は直ぐ倒れた。闘牛場に白いハンカチの雪が降った。耳2枚。これだけやったのなら文句ないだろう。良くやった!この危ない牛で。ラス・ベンタスのお客さんはちゃんとした闘牛をやれば評価してくれる。フィグラへの道、ラス・ベンタスのプエルタ・グランデを開けてしまった。おめでとう。良い闘牛だった。完全に見直した。耳を受け取るときも耳が痛いくらいの喝采だった。

 6頭目、エル・ファンディ。耳2枚が出た直後で、こっちも男だけどやる気満々。ポルタガジョーラ。牛が勢い良く来なくタイミングが外れ、それでも倒れながらカポーテを振った。良く怖がらずやるもんだ。ラルガ・カンビアール、ベロニカ。この牛もパセの時に体の方に来る。右角が体の方を通るとき危ない。ピカが入った後のキーテ。体の内側に向かってくる牛なのにベロニカからガオネラを繋ぎラルガ。恐怖をどうやって闘牛士は克服するのだろうかと思った。

 そして、3人の闘牛士のバンデリージャ今日最後の競演。もう総立ちになった。男だけじゃなく、女まで立っていた。エスプラは左へ行って角の間で打った。エスプラが打った後、フェレーラが牛の目の前を通って気を逸らせる。見事なコンビネーションだ。喝采が沸く。フェレーラも左へ行って角の間で打った。フェレーラが打った後、ファンディが牛の目の前を通って気を逸らせる。見事なコンビネーションだ。喝采が沸く。最後はファンディ。牛を誘い後ろに下がりながら角の間で打った。喝采が鳴る中、ファンディが打った後、フェレーラが牛の目の前を通って気を逸らし、ファンディ、エスプラも加わってそれぞれがそういう役目をした。すると3人の闘牛士が約7,8mの正三角形なり、その中央に牛が止まっていた。3人はそれぞれ牛の方に手を向けて立っていた。観客は総立ちになって喝采を送った。耳が痛い。一瞬難聴になったような感じだ。それにしても凄い拍手の音だ。フラメンコの国は拍手の音も違うのだ。僕のいた席の近くでは小さいが、「トレロ」コールも起こった。こんなに凄い3人の闘牛士のバンデリージャの競演は見たことがない。感激して目に涙がたまってきた。

 ムレタは、アレナの内側からタブラにいる牛を右手で呼んで背中を通すパセから始めると「オーレ」がなった。デレチャソを繋ぎパセ・デ・ペチョ。牛から充分距離を取ってナトゥラル。長いパセを繋ぐがやっぱりこっちは危ない。返りも早い。それで変えて長いデレチャソを繋ぐ。背中から誘いシルクラール。パセ・デ・ペチョ。剣を代え、スエルテ・コントラリアでカイーダ気味に決まった。それでもご祝儀のような耳1枚。パセはそんなに良くなかったがこの雰囲気の中では仕方ないのかも知れない。今日の入場料は安かった。

 こんなに楽しめた闘牛はなかなかない。殆ど観れないと言った方が良いだろう。ケ・グラン・タルデ!エスプラにも何かご褒美をあげたいくらいだ。バンデリージャ打ちの競演だけが見せ場と思って来たのにこんな闘牛になるとは。嬉しい誤算。

 何か今年は、初めてサン・イシドロを見た91年に気候が似ていると思っていて、あの時のように無名の闘牛士がプエルタ・グランデするんじゃないかと思っていたけど、アントニオ・フェレーラがするとは・・・。ノー・マークだった。帰りのメトロでプログラムを見ていたら、アポデラードがルイス・アルバレスじゃないか。彼は、モレニート・デ・マラカイ、セサル・リンコンに続き3人目の闘牛士を、世界一評価の厳しいラス・ベンタス闘牛場のサン・イシドロ祭でプエルタ・グランデを通したことになる。今頃、ルイス・アルバレスの携帯TELは鳴りっぱなしじゃないかな。各地の闘牛場から出場依頼が来ていることだろう。29日フェレーラはまた出てくるなぁ。楽しみだなぁ。

 アントニオ・フェレーラ。本名、ホセ・アントニオ・フェレーラ・サンマスコス。1978年1月19日、イビサ生まれ。父親は、グアルディア・シビル。1番始めに闘牛服を着た日は、91年8月15日アルクエスカル(カセレス)。見習い闘牛のデビューは、95年2月5日サラゴサ。マリ・パス・ベガと一緒に出場。見習い闘牛士の成績は、78回闘牛をやって142枚耳を切った。トマール・デ・アルテルナティーバは、97年3月2日、オリベンサ(バダホス)でビクトリーノ・マルティン牧場の牛を相手に耳4枚切る。パドリーノはエンリケ・ポンセ、テスティーゴは、ペドゥリート・デ・ポルトゥガル。コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバは、99年3月28日。カリキリ牧場の牛。パドリーノはミゲル・ロドリゲス、テスティーゴは、ハビエル・バスケス。2001年まで正闘牛士として、173回闘牛をやった。去年は42回闘牛をやり74枚の耳と9つの尻尾を切った。

 エル・ファンディ。本名、ダビ・ファンディラ・マルティン。1981年8月13日グラナダ生まれ。父親はバンデリジェーロをやっていた。1番始めに闘牛服を着た日は、96年9月16日バエサ(ハエン)。見習い闘牛のデビューは、98年4月19日サンタ・フェ(グラナダ)。ベルガラ牧場の牛で耳4枚と尻尾1つを切っている。99年4月30日ラス・ベンタス闘牛場のフェリア・デ・コムニダでパコ・オヘダ牧場の牛で耳1枚を切る。ラファエル・デ・フリアと一緒に出ている。見習い闘牛士として60回出場し104枚の耳と7つの尻尾を切った。トマール・デ・アルテルナティーバは、2000年6月18日グラナダ。ガルシ・ヒメネス牧場の牛で、パドリーノは、ホセ・マリア・マンサナレス、テスティーゴは、エル・フリ。そして、今日コンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバを受ける。2001年までの正闘牛士として66回闘牛をやり153枚の耳を切る。去年は40回闘牛をやり93枚の耳と7つの尻尾を切る。彼はモーグルか何かのスキーの元スペイン・ジュニア・チャンピオンである。闘牛でスターになった方が儲かるのだ。


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