闘牛反対からバルセロナを守れ!!!セラフィン・マリンがソリタリオで耳3枚プエルタ・グランデ。

2005年4月17日バルセロナ、モヌメンタル(第1級)闘牛場の結果。

 快晴。Tシャツでは寒い。日が暮れて風が吹くと上着を着ても寒い。マドリードまではいかないがセビージャよりずっと寒い。ロス・チョスペス牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、ダニエル・ルイス牧場)。ソブレロもロス・チョスペス牧場の牛。闘牛士、セラフィン・マリン。ソリタリオ(ウニコ・エスパーダ)。観客は半分弱。ソルのテンディド1列目(38ユーロ)にて、写真撮影をしながら観戦する。開始18時。終了は20時25分頃。

 闘牛反対が決議されたバルセロナに、12時から、バルセロナの闘牛を守ろうという集会が闘牛場で開かれた。そこには、バルセロナの闘牛関係者だけでなく各地からペーニャなどの人達が集まった。これはムンドトロ・コムやブルタデロ・コムなどで入場申し込みをしていたようだが、当日は誰でも入れるような感じだった。そして、目玉は何といってもそこに集まった闘牛士たちだ。その中には、ホセ・トマスも参加した。彼は、バルセロナのイドロなのだから・・・。主な顔ぶれを書いておく。闘牛士、ホセ・トマス、エル・フリ、セサル・ヒメネス、アントニオ・バレラ、セラフィン・マリン、クーロ・バスケス。牧場主、ビクトリーノ・マルティンなど。そして、この日がバルセロナの闘牛の開幕である。地元のセラフィン・マリンのソリタリオにしたは、興行主やアジェンタメントの意志があるのだと思う。バルセロナの闘牛士で開幕し闘牛を守っていくんだという決意がここにあるような気がする。

 また、僕が確認できた所では、ホセ・トマスとアントニオ・バレラ、ビクトリーノ・マルティンが闘牛を観に来ていた。バルセロナの闘牛を守ろうとここに集まった人達に敬意を表したい。闘牛まで見に来ていたホセ・トマスとアントニオ・バレラ、ビクトリーノ・マルティンは、特に、讃えられるべきだ。

 1頭目が始める前に、ソリタリオをするセラフィン・マリンに喝采が鳴り挨拶をした。1頭目。ベロニカを繋ぐと前脚がおかしくなった。ベロニカを繋いでいってアレナ中央でメディア・ベロニカを決める。良いカポーテ捌きだった。特にメディアが良い。「オーレ」が鳴り喝采がなった。ブリンディースは、カジェホンの中の人に捧げた。デレチャッソを3回繋ぐと牛が膝を着いた。離れ長いナトゥラルを4回パセ・デ・ペチョとすると、「オーレ」が鳴り拍手が沸いた。バンドがパソドブレの演奏を始めた。離れナトゥラルを2回、膝を着く。それと内側に来る。パセ・デ・ペチョをすると返りが早くなった。それでデレチャッソに代えて4回通しパセ・デ・ペチョ。こっちも内側に来る。そしてデレチャッソ3回からパセ・デ・ペチョで、剣を代えた。スエルテ・コントラリアでピンチャッソ1回の後、スエルテ・ナトゥラルでカイーダで決まった。耳1枚。ピンチャッソの分甘い。しかし、観客は熱狂的だ。

 耳を持って場内1周の時に鶏がセラフィン・マリンに向けて投げ入れられたが、紐で繋いでいなかったのでアレナの中を逃げ回って爆笑が起こった。結局、カジェホンの中に追い込んで捕まえた。

 2頭目は、ベロニカをすると転ぶ牛で、交換になった。変わった牛はベロニカの時に左角が短かった。ファエナは、タブラに座ってデレチャッソを繋ぐと、「オーレ」がなった。立ってデレチャッソを繋ぎパセ・デ・ペチョとするとバンドがパソドブレの演奏を始めた。アレナ中央へ行ってナトゥラルを繋いでいたらコヒーダされた。やっぱり左角が危なかった。セラフィンは大丈夫だった。デレチャッソを繋ぐがこっちもブスカンドする。クルサードして手に低い長いパセを繋ぐ。「オーレ」が大きくなった。パセ・デ・ペチョで喝采がなる。離れデレチャッソを繋ぎパセ・デ・ペチョ。また、ブスカンドした。デレチャッソ、手を代えてナトゥラル、パセ・デ・ペチョを繋ぎ牛の前に立って見栄を切ると喝采がなった。剣を代えて、スエルテ・ナトゥラルでカイーダ。耳1枚ともう1枚要求があった。

 3頭目のファエナはそれほど良い出来ではなかったが剣が良いところに決まり、耳要求で場内1周。4頭目は牛が悪く何もなかった。ピンチャッソ1回の後、カイーダ。この時のバンデリージャでセサル・ペレスが良い打ち方をして挨拶をした。5頭目は良く転ぶ牛で、何もなし。剣はカイーダで決まり、デスカベジョ1回。

 6頭目は、牛が出てきて走り回り落ち着きがない。でも、ベロニカを繋ぐと大きなゆっくりとしたベロニカが繋がり、「オーレ」がなった。アレナ中央でメディア・ベロニカが決まると喝采がなった。最後の牛は、観客に捧げたれた。膝を折ったデレチャッソからファエナは始まった。パセ・デ・ペチョをすると牛が膝を着いた。牛から離れアレナ中央へ行きデレチャッソで牛を誘い3回繋ぎパセ・デ・ペチョをすると、「オーレ」と喝采がなった。バンドがパソドブレの演奏を始めた。デレチャッソからパセ・デ・ペチョ。離れキキリキからデレチャッソを繋ぎパセ・デ・ペチョ。トゥリンチェラからナトゥラルを繋いでいたらコヒーダ。左角が危ない。直ぐにデレチャッソに代えてパセを繋ぎ剣を代えた。スエルテ・コントラリア良い所に決まった。耳1枚ともう1枚要求。場内1周の後、肩車されて場内1周。スペイン国旗が横で振られている。

 この日は、闘牛反対を決議したバルセロナで、闘牛存続を訴える集会が開かれ、バルセロナ出身のセラフィン・マリンがソリタリオをやり、バルセロナやスペイン中のペーニャが集まってその意志を示した重要な闘牛だった。だから、その趣旨に賛同して闘牛士たちが集まったのだ。とりわけ、ホセ・トマスがここに来たことに、大きな意義があるのだ。彼は、バルセロナのイドロなのだから。勿論、闘牛界のイドロでもある。

 闘牛が終わって外に出た。もう車に乗って帰っている物だと思ったら、未だ、肩車に担がれてセラフィンがプエルタ・グランデの前にいた。大勢の人が彼を囲んでカメラマンがフラッシュをたいていた。横に、セサル・ペレスがいたので写真を撮らせて貰った。取った後、「ありがとう、セサル」と言ったら、とても嬉しそうな顔をしていた。こいつちゃんと俺の名前まで知っている、そんな感じだったのだろう。それから、セラフィン・マリンの写真を撮ってサンツ駅に向かった。バルセロナの闘牛は今後も続けられる。そういう意志をここに集まったファンが示したのだ。だから、この日の闘牛は甘い耳が出たがそれで良いのだと思った。そういう意味での耳3枚ともう1枚要求が2回と、場内1周だったと思う。とても良い気分でバルセロナを後に出来た。


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