イバン・ガルシア、コンフィルマシオンで耳1枚。

2003年5月16日マドリード、ラス・ベンタス闘牛場(第1級闘牛場)の結果。

 雨上がりで曇り空のラス・ベンタス闘牛場。エル・プエルト・デ・サン・ロレンソ牧場。ソブレロは、エル・セラノ牧場。闘牛士、ヘスリンデ・ウブリケ、モランテ・デ・ラ・プエブラ、イバン・ガルシアのコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバ。満員。テンディド6でYさんTさんと観戦す。

 5月16日は、ホセリート・エル・ガジョの命日のため、入場行進の後、1分間の黙祷が捧げられた。

 イバン・ガルシアはコンフィルマシオン・デ・アルテルナティーバなので、モンテラを手に持って入場行進をした。この日は1頭目と6頭目の闘牛になる。1頭目は、クルサールして誘っても動かなくなる牛で良いファエナにはならなかった。今日は3頭牛が出てきたところでこのまま何もなく終わるのではないかと思った。5頭目のモランテの牛の時に、キーテで両脚を揃えた素晴らしいチクエリナを繋ぎメディア・ベロニカも良かった。何より近場で誘っているのに体が動かないことと、牛を体の近くを通していること、パセの時牛の頭が1番下になるときに体の横を通しているのが素晴らしかった。闘牛場はそんなに沸かなかったが、「ホセ・トマスみたいだ」を近くにいたおっちゃんが言っていた。その通りです。

 最後に牛はベロニカで飛ぶ癖牛だった。良いメディア・ベロニカで締めると牛が膝を着いた。彼はバンデリージャを自分で打つ。そんなに良いわけでなかったが挨拶した。さっき「ホセ・トマスみたいだ」と言っていたおっさんは今度は「ダメだ!」と怒鳴っていた。この牛もだけだろうと思っていたらちゃんと動かした。右手の膝を折ったパセから始めると左角がブスカンドする牛だった。だから始めは右手のパセを繰り返した。牛を誘う始めの時にクルサードがしっかり出来ている。時には角2本越してクルサードしている。そしてパセ後アグアンタールしてリガールすると闘牛場に「オーレ」がなった。パセ・デ・ペチョが決まると喝采が鳴った。素晴らしい闘牛をする19歳だ。

 牛を誘うときはクルサード。この基本を忠実に実行している。アンダルシア風闘牛ではない。マドリードの闘牛だ。クルサードの仕方も良かった。立っている位置も良かった。牛を誘うまでの牛との位置関係や牛の動きもちゃんと観ている。だから牛が動くしリガールできるのだ。パセ・デ・ペチョでコヒーダされそうになったがこれも左角の方だった。そして、ナトゥラル。ブスカンドするはずだがクルサードが効いている。ちゃんとパセが通る。「オーレ」がなる。長い手の低いパセだ。トゥリンチェラも綺麗。ナトゥラルを繋いでいるとパセの後、牛が逃げ出した。トゥリンチェラ、パセ・デ・ペチョで一連のパセを切った。拍手が沸く。右手の膝を折ったパセを繋ぎトゥリンチェラ。剣を代えた。

 剣は1回ピンチャソの後、スエルテ・コントラリアでカイーダで決まった。牛は口から血を吐き膝を着いた。シン・プンティジャ。剣が決まった頃からハンカチが振られた。ピンチャソ1回だから耳じゃない。と、Yさんと話していた。Yさんは、でも三木田さんが来ているから耳かも知れない。と、言っていたら観客の要求をプレシデンテが呑んで耳1枚が出た。甘いと思った。テンディド7は殆どハンカチを振っていなかったし耳が出た後、抗議をしていた。僕もそれには賛成だ。しかし、剣を除いたファエナだけを考えれば文句なく耳1枚だった。それに関しては異存ない。イバン・ガルシアの闘牛を観ているとマドリード闘牛学校の生徒の闘牛だろうということが判る。素晴らしい闘牛士だ。

 ヘスリンデ・ウブリケは、何しに出てきたのか?4頭目の牛の時に、ピカの馬の前に牛を置けずに大ブーイング。馬を右回りに動かすし観客からはそれでディレクトール・デ・リディアかと罵声が飛ぶ。パセはピコだけ。デスカベジョがロベルト・ドミンゲス風に決めたのは良かったが。

 モランテ・デ・ラ・プエブラは、自分の壺に入った牛だと良いけど、この日の牛は殆どダメ牛ばかり。時々美しいベロニカやデレチャソを見せるがそれだけ。バンデリージャを打っているときに牛を最後まで観ずにムレタを持っているのは良くない。人にはない輝く才能があるんだからそういうところから替えていかないと・・・。


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