バンデリージャの興奮で悪い牛でも、エル・ファンディが耳1枚が2回。

2005年4月16日セビージャ、レアル・マエストランサ(第1級)闘牛場の結果。

 快晴。Tシャツで暑いくらい。日が暮れて風が吹くと上着が必要。ガビラ牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、エル・トレロ牧場)。ソブレロ、パルラデ牧場。闘牛士、ヘスリン・デ・ウブリケ、ミゲル・アベジャン、エル・ファンディ。満員。ソルのグラダにて、観戦する。開始18時30分。終了は21時分頃。闘牛が始まる前に、パティオ・デ・クアドリージャで、アベジャンとアナスタシアさんのツーショットの写真を撮った。

 ヘスリン・デ・ウブリケは、いつ観ても眠くなる。特に今日のようにホテルを朝出て昼寝をしていないと眠さは倍増。昔は、アレナのタブラよりだけでしかファエナをしなかったが、去年あたりからアレナの中央でするようになった。その成長は買う。でも、基本的にクルサード不足。パセが全てピコ。面白くない闘牛の典型。牛をパセで動かしているだけの闘牛でセビージャでは受けるかも知れないけど、マドリードじゃ、「フエラ!」だ。それでも、こんな奴でも、ピカドールにそこに行けとか、バンデリジェーロに牛交換の時、プンティージャを刺すように指示したり、ディレクトール・デ・リディアぽっくなってきたのには感心した。経験は人を成長させるモノらしい。

 ミゲル・アベジャンは、この日全然ダメ。初めの牛はベロニカの後に左後ろ脚の繋ぎの部分を脱臼。ヘスリンの指示でブルラデロからプンティージャが1発で決まると闘牛場が喝采を送った。お見事!ソブレロは、パルラデ牧場。期待したがパセの時にムレタをはらわれてばかり。牛も良くないがアベジャンも良く牛を観ていない。5頭目の牛は、動かなかった。何とか動かしたパセの後、アレナに座ってしまった。非道ぇー牛だ。どうにも出来ず。

 エル・ファンディは、セビージャの観客を味方に付けて非道い牛でもパセを繋いで耳1枚が2回で肩車でプエルタ・デ・プリンシパルから退場した。何度も書くけど、史上最高のバンデリージャを打つ闘牛士だ。こんな素晴らしいバンデリージャを打つ闘牛士は観たことがない。80年代だから90年代、バンデリージャを打つ闘牛士で活躍したのは、史上最高のキエブロを打ったベネズエラの黒人闘牛士、モレニート・デ・マラカイ。常に牛の角の間でバンデリージャを打ったポルトガル人闘牛士、ビクトル・メンデス。そして、ポンセが出てくるまでバレンシアの闘牛を10年以上にわたって支え続けた、派手なバンデリージャを打つエル・ソロ。この3人が、今でも語り継がれるバンデリージャを打った闘牛士だ。

 ファンディは上記の3人にも真似の出来ないバンデリージャを打つ。だから、闘牛場が熱狂するのだ。ただし、モレニート・デ・マラカイの様な素晴らしいキエブロは打てない。あのキエブロは、マラカイだけが打てた技だ。綺麗だったし切れがあった。ビクトル・メンデスのようにいつも角の間で打っているわけでもない。あれは並大抵のことで出来るモノではない。エル・ソロよりも派手ではあるが。

 3頭目の牛のバンデリージャ。牛を誘い左後ろに走る。ファンディが描く曲線と、牛が描く曲線が交わったときに、牛の角の間でバンデリージャ打たれた。喝采がなる。近くに座っていたスペイン人はファンディが牛を誘って後ろに走り出すと笑い声を上げた。もう何をやるか判っているのだ。そして、ファンディはその期待にちゃんと応える。2回目は右後ろに走り、3回目は左後ろに走り角の間でバンデリージャ打って、牛が未だ着いてくると牛の前で左右に体を動かしながら牛に着いてこさせてから止めた。喝采がなる。観客に応えて挨拶をした。いつもながら素晴らしいバンデリージャだった。

 ファエナはアレナ中央からタブラにいた牛を誘ってデレチャッソを4回繋ぎパセ・デ・ペチョ。「オーレ」が鳴り喝采がなった。15m以上離れたところから牛を呼んでパセしたのには驚いた。みんなセサル・リンコンの真似をしているのだ。距離と間を取り、牛に向かう。ムレタを左右にゆっくり振って牛の動きを確認している。ファンディがこんな事を覚えているとは知らなかった。素晴らしい。これなら牛は動くだろう。デレチャッソ4回でパセ・デ・ペチョ。「オーレ」が続き拍手がなる。バンドがパソドブレの演奏を始めた。

 離れナトゥラル。ちゃんとムレタを左右にゆっくり振って牛の動きを確認している。決して綺麗なナトゥラルではないがファンディにしては上出来だ。3回繋ぎパセ・デ・ペチョ。離れナトゥラルを4回繋ぎパセ・デ・ペチョ。「オーレ」が鳴り喝采がなった。この牛はカポーテの時に、左角がおかしいと思っていたがちゃんと動かしている。離れデレチャッソでトゥリンチェラから長いパセデを繋ぎ体の前を通すシルクラール、後ろを通すシルクラールが繋がると「オーレ」が大きくなった。パセ・デ・ペチョで喝采がなる。剣を代えて、モリネーテからトゥリンチェラデレチャッソ、ナトゥラル、パセ・デ・ペチョ。スエルテ・ナトゥラルでコントラリアで剣は入った。耳1枚。

 最後の牛は、パセの後、逃げていく牛。一昨年のサン・イシドロのカリファを思い出した。それでも何とかパセを繋いで観客の期待に応えた。剣は、スエルテ・ナトゥラルで素晴らしいところに入った。ここで、夜行寝台の時間がせまっているので僕は下山さんと一緒に闘牛場を出た。アナスタシアさんからTELではやっぱり耳1枚が出たそうだ。下山さんと闘牛場を出ながら、最後の剣は凄かった!と意見が一致した。目の前7,8m所でファンディの正面で観ていたのではっきり見えた。実は5頭目が終わってから席を立ち違う場所で観ようとしていたら、グラダの通路で下山さんを会って、テンディドのカメラ席の下で一緒に観ていたのだ。

 アベジャンは空振り。非道い闘牛だった。下山さんはアベジャンがパティオ・デ・クアドリージャに入ってきたときに去年までの気迫というかやる気が感じられなかったと言っていたが、僕にはそれは判らない。ヘスリンでも、ディレクトール・デ・リディアぽっくなってきたのには感心した、と言ったら笑っていた。ファンディはセビージャの観客を味方に付けてトゥリンフォした。ちょっと甘い気もしたけどまぁ、耳2枚でも良いだろう。好き嫌いはあるだろうが、ああいう闘牛士もいなきゃダメなのだ。


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