大人になったエル・フリが耳1枚。ヘスリ・デ・トレセラが剣とデスカベジョで耳2枚消える。

2005年4月13日セビージャ、レアル・マエストランサ(第1級)闘牛場の結果。

 快晴。Tシャツで暑いくらい。日が暮れて風が吹くと上着が欲しくなる。トレアルタ牧場の牛(Procedencia actual=現在の起源<基の血統>、マリベル・イバラ牧場<マルケス・デ・ドメク、ハンディージャ、トレストレジャ牧場>)。闘牛士、フィニート・デ・コルドバ、エル・フリ、ヘスリ・デ・トレセラ。満員。ソルのグラダにて、お客さんを連れて観戦する。開始18時30分。終了は記録していなかった。

 フィニート・デ・コルドバは、はっきり言って牛に恵まれなかった。2頭とも非道い牛を引き当てた。この日最悪の牛とその次に悪い牛を引いた。どうにも出来ないフィニートに口笛が吹かれた。退場の時は座布団が投げ入れられた。

 エル・フリは、それほど良い牛に恵まれたわけではない。初めの牛を無難にこなし、次の牛では耳を切った。この牛も取り立てて良い牛であったわけではない。おそらくフィニートがやっても耳は切れなかっただろうし、昔のフリでも耳は切れなかっただろう。彼がそれだけ成長しているから耳になったのだと思う。根気よく丁寧にデレチャッソを繋いだ。良いパセではなかったが、それで牛にパセの仕方を教えて良いパセを引き出そうとしていた。それが実を結ぶ。

 角2本分クルサードし遠目から牛を呼び手の低く足の長いパセをリガールすると「オーレ」がなった。パセ・デ・ペチョをして距離を取るとバンドがパソドブレの演奏を始めた。ナトゥラルを繋ぎパセ・デ・ペチョをして牛の前に立つと喝采がなった。距離を取り遠目からデレチャッソを1回やりムレタを持ち替えて手の低い長いナトゥラルが続くと「オーレ」は大きく闘牛場に響いた。5回繋いでパセ・デ・ペチョの後、牛も前に立ち止まって見栄を切ると喝采がなった。剣を代え、アジュダード気味のナトゥラル、デレチャッソを繰り返した。「オーレは続いた。スエルテ・コントラリアでピンチャッソ。ため息に包まれた。スエルテ・ナトゥラルで良いところに剣が入り牛が直ぐに倒れた。闘牛場が白いハンカチに包まれる。耳を催促する口笛が吹かれる。耳1枚。剣が良かった。嬉しそうにゆっくりと場内1周をした。

 フリは変わった。昔のフリならあんなに冷静に闘牛が出来ていない。癇癪を起こしたり、頭に血が上ったままになったりして牛を調教して上手くファエナをしようという考えが出来なかった。しかし、今のフリはアポデラードのロベルト・ドミンゲスの教育が浸透し始めたのか非常に良いファエナが出来た。2年前まではおよそ考えられないこと。一時のフリ・ブームの時は勢いで耳が切れたが、そんな物は長続きする物ではない。今日のような闘牛が出来るようになればフリは10年、20年フィグラとして闘牛が出来るだろう。今日は大人になったフリを観た。これから楽しみだ。

 ヘスリ・デ・トレセラは、2頭とも良い牛だった。特に初めの牛は癖がなく耳が取りやすい牛だった。やる気もあったし牛も良かった。ベロニカもチクエリナも良かった。初めから「オーレ」がなった。この日1番良い牛だった。いくらでもパセが通るような牛だった。ファエナは、膝を折ったデレチャッソからパセ・デ・ペチョでアレナの中央部付近へ行った。牛を遠くから呼んでデレチャッソが繋がる。「オーレ」がなる。パセ・デ・ペチョで喝采がなった。バンドがパソドブレの演奏を始めた。牛に背中を向けてゆっくりあるいて距離と間を取る。こう言うところは素晴らしい。

 遠くから牛を呼ぶ。牛が走り出してデレチャッソ。大きなデレチャッソをリガールすると闘牛場に「オーレ」がこだました。パセ・デ・ペチョで見栄を切ると喝采がなった。ナトゥラルの時に風が吹いてムレタを角にはらわれたのが残念だ。剣を代え、デレチャッソとトゥリンチェラを繰り返し、スエルテ・コントラリアでピンチャッソ。ため息が漏れ応援の拍手がなった。スエルテ・ナトゥラルで入るもアトラベサーダ。デスカベジョ1回で耳は出ず挨拶。ちゃんと決まっていれば耳は出ていた。また、ナトゥラルがもっと良ければ耳2枚のファエナになっていただろう。それも残念だ。

 最後の牛は、右角がおかしかった。ファエナで調子に乗ってデレチャッソを繋いでいたら案の定、コヒーダされた。角は足の間に入っていたので大丈夫。しかし、女性客の悲鳴が闘牛場に響いた。隣に座っていたお客さんの女性も悲鳴を上げた。ビックリしたのだ。良い感じでパセを繋いでいたから。でも、牛の動きを見ればヤバイかも知れないと僕は思っていたので、右角がおかしかったと、言った。それから、セビージャの観客は、ヘスリ・デ・トレセラの感情移入してファエナを見守った。右角をやめて、左角でナトゥラルとすると牛は体の周りを回った。「オーレ」が鳴りパセ・デ・ペチョで見栄を切ると喝采があり、バンドがパソドブレの演奏を始めた。観客は闘牛士の見方だ。ナトゥラルを繋ぎパセ・デ・ペチョをして牛の前で見栄を切ると喝采がなった。剣を代え、トゥリンチェラとデレチャッソを繋ぎスエルテ・ナトゥラルで剣がカイーダで決まった。しかし牛が倒れず。デスカベジョ2回で耳がまたも消えた。

 何と言うことだ。闘牛場をこんなに盛り上げたのに1枚も耳が切れなかったのだ。お客さんがこんなに良かったのに何もなし?と言うので、いくら良くても剣が決まらなければ何もなしですと言った。厳しいですね。と、言うから、厳しいです。せっかくのチャンスをこうやって逃して消えていく闘牛士は星の数ほどいるんですよと言った。可哀想。そう、可哀想なのだ。しかし、闘牛とはそういう風に厳しい物なのだ。

 フリは変わった。去年どうだろうと観ていたがあまり変わったとは感じなかった。しかし、今年は良い。明らかに変わったと実感できたのが今日の闘牛だった。大人になったフリ。大人に成りきれない俺か。


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