自己紹介

 

名前  斎藤祐司 

 現在、ペーニャ(闘牛ファンクラブ)テンディド・タウロ・トウキョウ(東京闘牛の会)会員。

テンディド・タウロ・トウキョウ(東京闘牛の会)T・T・Tは、会員約70人。

毎月第二土曜日に定例会を、門前仲町の東西文化センターで開いている。東京近郊で興味のある人は来てみて下さい。

 

 さて、闘牛歴は、91年のマドリードサン・イシドロを見に行って闘牛にはまった。その年は、セサル・リンコンが闘牛場を沸かせ、アフィショナード(闘牛ファン)を驚かせた。5月21日、22日、6月6日、10月1日とマドリードのラス・ベンタス闘牛場でプエルタ・グランデ(耳を2枚以上取るとファンに肩車されて闘牛場の大門から凱旋できる)をやった。

 世界一の闘牛場が、マドリードのラス・ベンタス闘牛場だ。そこの大闘牛祭で、プエルタ・グランデをするのは、とても難しい。一度もマドリードのラス・ベンタス闘牛場に出場できない闘牛士が一杯いる。仮に出場できても、そこで観客から拍手を受けることは出来ても耳1枚取ることだって並大抵ではない。

 しかし、91年のセサル・リンコンはいとも簡単にプエルタ・グランデを連発した。その年は、予定を延ばして7月のパンプローナのサン・フェルミンを観て、バルセロナで、セサル・リンコンのプエルタ・グランデを観て帰ってきた。

 日本に帰ってきてからも、ずーと闘牛のことばかり考えていた。あれだけ好きだった阪神タイガースはもうどうでも良くなっていた。だから、野球は見なくなった。

 

 10月セサル・リンコンはコロンビアに帰った。飛行場から沿道は熱狂した市民で埋まり何十万の人で溢れた。その先には、3組の夫婦が待っていた。元、前、現大統領夫妻が・・・。日本でいう“国民栄誉賞”受賞。彼は、コロンビアの英雄になった。

 

 日本で、熱中できたのは、メジロライアンやトウカイテイオーの競馬だけだった。

「ノリー」「岡部」「ライアン」「テイオー」競馬場の歓声は、闘牛場の熱狂に似ていた。  

 「よし、また来年も闘牛を観にスペインに行こう」そう思ったのは有馬記念を見終わったときだ。

 

 92年も、サン・イシドロから始まって、二回に分けてスペインに行った。セサル・リンコンを追っかけた。闘牛場や、ホテルで何度もセサル・リンコンと挨拶を交わし親しくなった。サインももらったし、彼の闘牛をやっている写真をプレゼントしたりした。

 

 それからまる5年。スペインには行かなかったが、1回だけセサル・リンコンからクリスマス・カードが届いた。

 

 97年4月26日、マドリード近郊のクバス・デ・ラ・サグラの闘牛場で待っているとセサル・リンコンがワゴン車でやって来た。声を掛けると5年降りなのにちゃんと覚えていてくれた。

 そこで、インタビューを申し込んだ。「いいよ。」あっけないほどあっさりしたものだった。5月2日朝に、ラス・ベンタス闘牛場に行って、兄でモソ・デ・エスパーダ(剣持ち)のルイス・カルロスに「闘牛服の着替えているところを写真に撮らせて欲しい」と、言うと「今日は難しい」と言う。「今度」と、言うので「19日なら良いのですか」「ああ、勿論」

 5月2日は、ゴジェスカの闘牛だ。つまり、画家ゴヤ時代の服装をして闘牛をする。セサル・リンコンは相手にした牛が悪すぎた。全く動かない牛や、片目の見えない牛だった。

 5月19日。朝、闘牛場でルイス・カルロスにあってホテルを聞き、待ち合わせ時間を決めた。

 待ち合わせ時間にホテルに行ったが1時間ぐらい待たされて部屋に通される。中にはセサル・リンコンと、アポデラード(マネージャー)のルイス・マヌエル・ロサノとモソ・デ・エスパーダ(剣持ち) のルイス・カルロスと、エドガールがいた。セサルに挨拶をしてインタビューの日にちを決めようとしたら、エドガールにTELして決めるようと言われた。彼にその事は任しているとのこと。明日TELでと言うが21日はまた、ラス・ベンタスでやるので22日になるだろうと思っていた。

 撮影は、30分。18時前には終わった。ピカドールのアンデルソンがドアを開けてセサルと挨拶をかわす。彼は91年からのクアドリージャ(闘牛士の配下のメンバー。セサルのチームの一員。)だ。

 ルイス・カルロスはグラスに水を入れていた。その水を服の紐に付けて固く縛っていた。後頭部にコレタ(弁髪)を付けたりしていた。着替えが終わるとちゃんと体が動くか、関節を動かして着心地を確かめた。

 その間、フラッシュは使わない。何故なら闘牛士が嫌う事を知っていたからだ。この部屋には、女は入れない。たとえ、女房でも。牛が女の匂いに嫉妬して角に刺されるから、とでも思っているのだろうか。とにかく、女人禁制の場所なのだ。

 とても、貴重な写真だし貴重な体験だった。

 その日、セサルは耳は取れなかったが、場内一周をした。着替えの写真を撮らせてもらってさんざんな闘牛だったらどうしようと思っていたので、ほっとした。

 21日は、切符に10倍以上のプレミアがついたが、牛が悪くて、セサル・リンコン、ホセリート、エンリケ・ポンセの3人の闘牛士は耳を取ることはできなかった。

 22日エドガールからTEL。23日11:30にガソリン・スタンドで待ち合わせに、決まった。

 23日は、夢のような日だった。セサルの家から出たのは、15時過ぎだった。通訳の人に闘牛用語を教えたり、闘牛そのものを教えて、インタビューは成功した。下準備はしっかりしていなくては駄目なのだ。

 97年は、4月21日から11月5日までスペインにいた。7月13日にバルセロナでアラブ人の強盗にやられて右肩骨折、右の肋骨3本骨折。でも、その日のセサルの闘牛はこの年最高のものだった。観ていて涙が頬から流れた。

 10月28日に、2回目のインタビュー。感謝感激だった。

 こんなわけで、闘牛狂いは続いている。

 今年も、サン・イシドロに行ってセサルに会ってきた。91年頃のような闘牛はなかなか観られなくなってきたが、それでもセサルは超の付く一流だ。

 この時観た観戦記も、ホーム・ページに収録した。カメラとカセット・テープ・レコーダーを持って大変だった。テープが途中で切れているものもあるので、全部入っていないものもある。悪しからず。

 

 好きな闘牛士。勿論、セサル・リンコン。ホセリート、ホセ・トマス、マヌエル・カバジェーロ。そして、エウヘニオ・デ・モラ。片目の闘牛士ハビエル・バスケスも好きです。闘牛士のタイプ1。理念先行型闘牛士が好きです。

 

 このホーム・ページを使って、“アフィショナード宣言”をする

 闘牛ファンよ!ここに集まれ。

 

 自己紹介になってたかな?

 

 最後に、闘牛以外の好きなものを書いておこうと思う。

 好きなミュージシャン。ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズなど。ちなみにLPなら800枚ぐらい、CDなら200枚位持ってるかな。定かではない。本は2000冊位かな。数えたことないからなぁ。

 好きな小説家。山田風太郎。

 好きな本。アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルの書いた一連の本。

       立花隆の宇宙以外の本。最近読んでいるのは『環境ホルモン入門』

 

 立花隆の影響で競走馬や闘牛用の牛の血統や飼育及び、生物学や動物観察に興味がわく。

競馬で言えば、パドックで馬を観て馬券を買うのを基本としている。

 言い換えれば、興味の対象は精神ではなく、肉体だ。唯その一点にある。

 馬の体(馬体)。牛の体(牛体?)。闘牛士や騎手の体。つまり、肉体そのものに興味がある。養老孟さん風に言えば、脳もまた、肉体の一部なのだ。つまり、肉体。

肉体とは、つまり現実なのだ。

 今、一番面白いものが、肉体であり、現実だと思う。

 闘牛は、まさに牛と人との肉体のもつれ合いなのだ。それを観ていると興奮せずにはおれない。競馬のゴール前と同じだ。

 そこには、ドラマがあり、人生がある。

 

 今年のオリンピックの後に開催された、パラリンピックにでた身体障害者が一様に言っていた言葉を思い出す。 

 「怪我で、こんな体にならなかったら目標のない人生を送っていたでしょう。こんな体になったからこそ毎日毎日楽しく張りのある日々を送れるんです」と。

パラリンピックを見ていた老人が一言、言った「あの人達は、我々にはない強さがある」

実は、人間が生きている姿そのものが感動なのかも知れない。それは、美しかろうが、醜かろうが・・・。

人それぞれの人生は本来美しいものだ。

 

 だが、疑問は多分こんな所から始まる。

 アーネスト・ヘミングウェイの『日はまた昇る』の一節ににこんなのがあった。

「人生がどんどん過ぎていくのにその人生を本当に生きていないと思うと、僕はやりきれないよ」

 それを聞いた友人が答える。

「闘牛士でのないかぎり、人生を徹底的に生きてる人間はいないよ」

 

 何も闘牛だけがそうとは言いません。アーネスト・ヘミングウェイじゃないんだから。でも闘牛は本当に体から感じるものです。

 

 人が、外部から得る情報のほとんどは“目”から入って来ます。

 情報をインプットするのは、目。分析して、考えるのが頭です。

 スポーツ、フラメンコ、絵画、活字などの文章も、またそうです。そして、闘牛もまたそうなのです。

闘牛をどういう風に観ればいいのか?それは 

そう、ただその場にいて観さえすれば良いいのです。本当に簡単なのです。

 自分が観て感じたことを1つ1つ積み重ねていけば良いのです。それが、一番の近道です。


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