por 林 栄美子
「トレオ・コミコ」、つまり「コミカル闘牛」は、小人を中心とする一座が行うコミカルな見世物である。小人たちが闘牛士のような衣装を着て闘牛の真似をするのが、一番の見所。普通は各地の闘牛を催すお祭りの時に、闘牛の前日または翌日に闘牛場で行われているようである。
私が見たのは「エル・ボンベロ・トレロ」(ボンベロは消防士という意味)という一座。1995年9月4日、メリダの秋祭りのことだった。その時に撮影したスライドが残っていたので、闘牛の会のメンバーのほとんどが未だ見ていないということもあり、写真を見せながら、トレオ・コミコの紹介をすることにした。
トレオ・コミコには、このほかにも「ロス・エナノス・トレロス」(小人闘牛士の意)一座などがあるが、いずれも座員は小人だけではない。普通の大きさ(?)の座員もいる。彼ら「大人」たちは、闘牛士の格好はせず、ある者は、ちょっと着崩した感じのスーツ姿に帽子をかぶり葉巻をくわえて、といったいでたちでムレタをふったり、ある者は消防士やピエロの格好でカーパをあやつって、牛を相手にする。
牛はノビーリョぐらいの大きさで、正式なトロは使わない。使われるカーパも実際のものより小ぶりだった。登場人物たちは、かなり本格的な動作をしたかとおもうと、わざと転んでみたり、牛を飛び越えてみたり、尻尾をつかんでじゃれてみたりして観客の笑いを誘い、時には本当に吹っ飛ばされてヒヤリとさせたりもする。スーツの男が牛の仕留めに入るが、真似をするだけで本当に剣は刺さず、殺さないので、他の座員が牛をカーパなどで誘導して退場させる。
同じ一座でも、出し物の内容は何通りかあるようで、「エル・ボンベロ・トレロ」はその名のように、何人かが消防士の格好をして闘牛のまねをしている写真を見た記憶があるが、この日は消防士の格好は一人だけで、前面に出てはいなかった。
このあと、小人たちの柔道の真似事や、マスゲーム、小人チームと「大人」チームとのバスケットボールなどもあって、第一部は終了。第2部はいよいよ小人たちによる闘牛となる。
歴史的には、こういったトレオ・コミコが出来たのは、18世紀の終わり頃、すなわち、今あるような近代闘牛の形式が出来あがった、そのすぐあと、ということになる。馬上から槍で牛と戦う貴族の競技から、地面の上に立つ人間が牛と向かい合うようになって、闘牛が民衆のものになっていく時代に、やはり闘牛をコミカルに演じる出し物も生まれたということになろうか。
そのころは、闘牛とはおよそかけはなれた様々な衣装を着て闘牛の真似をするという形式だったようで、すらりとした長身に燕尾服を纏い、シルクハットを被って牛を操って見せるスターもいたらしい。先ほどの、スーツ姿の男は、それを現代的にくずした形なのかもしれない。また、小人たちが出演するようになるのはいつ頃からなのか、何がきっかけでそうなってきたのかは、今回調べた限りでは分からなかった。
闘牛とは違う文脈の格好をして(小人ではない人が)闘牛をする、という方法と、闘牛とそっくりなことを小人がする、という方法は、どちらも何かの仕組みを一部だけはずして見せる、という「笑いの仕掛け」なのだが、はずし方の方向が違うことになる。今では、この二つを併用する形がとられているわけである。
実はこの日、第1部と第2部の間に、本物の闘牛が行われた。とはいっても、ピカドールなしの見習闘牛、ノビジャダ・シン・ピカドレスである。この土地の若者のデビュー戦というわけだ。このクラスのものは、なかなか祭の時の闘牛場では行われないだろうから、トレオ・コミコの間に特別にやらせてもらったのかと思っていたが、このように正規の闘牛とトレオ・コミコがいっしょに行われるのは、かつては珍しいことではなく、正闘牛士(マノレーテなども)も出場していたそうである。(アントニオさんの話)
晴れがましく闘牛服を身につけた若者はなかなかの美青年で、多くのあたたかい声援もとんでいたが、牛が近づくと、どうしても足が動いてしまって、パセがきれいに決まらない。バタバタしている。やっぱりこわいんだろうなぁ、と思わず同情。残念ながら、感心できる内容ではなかった。なんとか仕留めまでやりおおせて、拍手をあびてご挨拶。でも、あまり将来性はないかも・・・。その後、消息を知らない。
さて、観客お待ちかねの小人たちの闘牛である。いでたちは正規の闘牛士と同じ。ちゃんとパセオをして登場する。牛は当然子牛。ただし、馬は使わないので、ピカドール役の小人は馬がつけるマットのようなものをまきつけている。馬役も兼任というわけだ。すべてのサイズが小さいことを覗いては、やることは真剣そのもの。
なかなかいいパセも決まる。さっきの若者と違って、足なんか動かない。豪胆ぶりをアピールする。立派なもんだ!(マタドール役の小人は人気者らしく、テレビや新聞に出ているのを何度か目にした。)見ている子供たちばかりか、親たちも思わず「オーレ!」 トレオ・コミコの観客はほとんどが子供連れだ。とはいえ、多くのお客の反応は、やぱり闘牛を知っている人のもの。物見遊山で入ってきた観光客とは違う。仕留めは、ここでも真似だけで、牛は殺さない。「死」の在る無しが、正規の闘牛(トレオ・セリオ)とトレオ・コミコを分ける。
最後にもう一つ、歴史上の話。トレオ・コミコの流れとは違うが、19世紀末がら20世紀にかけてのほんの3年間ほど、一世を風靡したタンクレード・ロペスという男がいた。そのスタイルは、白い服にとんがり帽子で、闘牛場中央に据えた白い台の上に腕を組んで立ち、牡牛が近づいても微動だもせず、彫像のように立ち続けるというもの。彼の亜流がいっぱい現われてその中から死者が出たり、最後には彼自身が台ごと牛に飛ばされて大怪我をしたことで、政府がこの種の見世物を禁止した。しかし、ドン・タンクレードは歌にも歌われるなど人気は衰えず、彼の名は、危険を前にした平静・豪胆の代名詞となって残っている。
言うまでも無いことだが、トレオ・コミコは、トレオ・セリオがあるからこそ存在する。だが同時に、その存在は、トレオ・セリオに、また別の光をあててくれるようにも思う。闘牛追っかけの旅の合間に、たまには同じ場所に1日余計に留まって、トレオ・コミコを見てみるのもいいのではないか、とお薦めしておこう。
--2001年1月定例会報告より--
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