軽貨物運送業を始めて約3年間小さな組織(チェーン)に所属して、色々な業務形態(宅配、ルート配送、スポット、
運転代行等)を経験した。
宅配は担当区域から外に出ることはないし、ルート配送はほとんど同じコースで変化がなく性に合わなかった。
やがて組織を離れスポットと小引越しに重点を置くようになった。
小引越しは個人客があちこち電話しまくって料金の比較をするので成約率は低い。都市部の引越しは高額見積で敬遠、長距離は安く引き受けた。
スポットは…例えば、事業所の発,配送ミスのリカバリーとか・・・遠方の現場で資材が不足し職人さんが遊びになってしまうとか・・・納品した部品の不良品発生で代替品を至急届けないと製造ラインが止まってしまうとか・・・
依頼主にとっては信用問題、損害賠償にも発展しかねない要因で、料金など度外視 という依頼が緊急スポットには多かったが「頼られている」との昂揚感、緊張感でやりがいがあり 楽しかった。
携帯,自動車電話,カーナビ等がなかった時代は、紙の地図帳だけが頼りだったので一生懸命地理を覚えたが、カーナビに頼るようになると全然道を覚えなくなる。
往路は一刻でも早く!だ。行き先は未知の土地が大半なので不安もあり緊張する。
少しでも速いと思えば遠回りでも高速優先、途中で「何時に着く?」と電話が入ることもあり、常に到着時刻を計算したり、帰りはどんなコースで・・・
絶景ポイントは・・・名物料理は・・・と 脳みそはフル回転、深夜の長距離でも睡魔に襲われる暇はない。
無事納品が完了すれば帰路は高速をあまり使わず自由気ままなドライブ = 旅 だ。
高速を避けるのは一般道を熟知し、どこのインターで降りても応用が効くようにとの心構えだ。
25年間にわたる運送業でいろいろな場所を訪れたが、特に印象に残っているところを一か所、近距離中の近距離…都心…日本銀行本店の地下… 一番下の階
(確かB3だったかな?)ちなみに 現金や金塊を運んだわけではないよ!当然だがチェックも厳しいし…行きたくとも行ける場所ではない。
すぐ上の階に窓の無い大型バスのような現金輸送車と思われる車両が並んでいた。
ある時、高速道で見覚えのある大型車がパトカーをお供に走行していたが、これを日銀の現金輸送車だと判る人はあまりいないと思う。
いつ、どこへ…予想もつかない突発の緊急長距離スポットはまさに 旅 そのものだ。 なんといっても交通費はお客様の負担!官費旅行だね!
忙しい時期には早く帰って次の依頼に備えたいのであまりのんびり出来なかったが、長距離の帰りが週末にかかった時はうれしかった。
大好きな山岳ドライブ、温泉、観光、グルメ、時にはスキーも。
深夜の峠道も好きだ。山腹の連続カーブでは昼間と違い、相手のヘッドライトで早くから対向車を認識できるので安心して飛ばせる。
記憶に残っている主な長距離は…青森県五所川原、三重県鈴鹿、兵庫県小野…等々、中でも秋田県男鹿半島はきつかった。
墨田区をAM出発、秋田の工場へ夜到着、持って行った部品の加工をして、それを栃木県鹿沼の納品先へ朝の始業時までにお届けという御依頼だった。
なんとか夜明け前に到着、それが限界で誰かが出社したら起こしてもらおうと門前に横付けしてバタンキュウ!
この職業に就いた1985年には軽自動車の排気量は550ccと非力で、高速道では登坂車線の常連さんだった。
愛車は25年間を通してスバルサンバー。最大の特徴は軽貨物車唯一のリアエンジンだ。駆動輪の上にエンジンが載っているので雪道でもグリップがとても良かった。
他の軽トラは座席の下にエンジンがあるのでうるさいし夏は床暖房になるが、リアエンジンだと騒音が運転席までは届かないので長時間運転でもストレスが少ない。
緊急長距離の途中で故障でもしたら大変な事になるので、不具合が出始める14万〜17万kmで乗り換えていたが25万km超乗る同業者も結構いるようだ。
あっ、脱輪した!車の話になってしまった。
本題の旅の話に戻ろう。
ここからは仕事を離れてプライベートの旅の記憶だ。運転好きなのでプライベートでも基本的にマイカー旅行が圧倒的に多くなる。
写真をクリックすると外部の旅行投稿サイトへ飛びます。「とむ」の名前で出ています。