☆ ★ ☆ 自動車運転免許 自主返納 ☆ ★ ☆

78才で【運転免許自主返納】したのを機に58年間の車歴を自分史の一部として振り返ってみた。

最初の免許は【軽自動車】 (1957/4=昭和32:19才)

我家にあったバイク【トーハツ】2サイクル200CC に乗り始めたのが車生活の始まり。
2代目のバイク【ホンダドリーム C70】(250CC)までは家業(建具店)に必要なサイドカー(側車)を取り付けていた。
そう、この頃のバイクはほとんど荷台が付いていて、荷物運搬用だったのだ。

【自動三輪車】免許 (後に普通車と統合)

我家にやってきたバーハンドル キック始動の中古【ダイハツ三輪トラック】屋根はあるがドアなし、足元に地面が見える風通しの良い車だった。
この免許取得の為に家の近所で練習中、緩い登り坂で変速出来ずエンスト…坂の上にお巡りさんが…こんにちは (+_+;)  書類には「免許外運転」と書かれていたような・・・

3代目のバイクは荷物運搬用から解放されて【ホンダドリーム CS71】250CC
当時は「浅間火山レース」に数万台の観衆 バイクが集まるなど、ツーリング等 レジャー志向の用途にシフトしてきていた。
小生も近所のバイク仲間達と連れ立って「浅間火山レース」を観に行ったりした。
マフラーの中を抜くとパワーアップする?と多くのライダーが中を抜き…騒音で「カミナリ族」と言われた時代。
多くのバイクがネジ1本で簡単に抜けたんだからメーカーにも問題があったような・・・
ただ、法規を無視して集団暴走するような行為はあまりなかったように思う。

今でこそ右足でブレーキ、左足でギアチェンジが当りまえだが、これが真逆の車種(メーカー)が国産 外車共に結構あった。知らないで乗っちゃうと怖いよね (-_-;)

近所の友人N氏と松島へのツーリング帰りにスピード違反…60km/hで…20km超過
N氏は 500CC の【DSK A50】(BMWのコピー車)だったので違反なし。
当時2輪の制限速度は 250CC 未満=40km/h  250CC 超=60km/h
これは たまらん!20km/h の差は我慢できんっ!と…

3番目の免許は 【自動二輪車】

排気量制限なしの大型二輪に挑戦。
実車持込試験だったのでN氏に同行依頼し 持込の【DSK A50】500CC で一発合格…そして…
4代目のバイク【ホンダドリーム CB77】305CC に乗り換えた。
これは名車 CB72(250CC) のボアアップ版で生産台数はごく僅かと思われるが… 一部の白バイにも使われていたと記憶する。
1962年12月に首都高が初めて京橋〜芝浦(4.5km)で開通。汐留〜芝浦の直線区間でカタログ最高速 160km/h を体感した。

次の免許は当然?[側車付自動二輪車] (後に自動二輪に統合)

側車(サイドカー)は家業の手伝いで自転車時代から馴染んでいたので軽い気持ちだった。
ところが…試験場の【陸王】(ハーレーのコピー車)がおんぼろで手に負えず不合格。
あんなボロ車に二度と乗る気にならず…4番目の免許となる筈だった側車付二輪を断念…最初で最後の挫折。
代わりに四輪車を目指した。

[小型自動四輪車]を飛び越えて【普通自動車】免許

当時の免許区分は【小型自動四輪車】(排気量1500CC未満) < 【普通自動車】(乗車定員10名以下、最大積載量5t未満) < 【大型自動車】
どうせ取るなら…小型(5ナンバー)はパスして普通車(3ナンバー)だ!
これまで教習所で正規コースを受講したことは無く、全て一発受験だったが・・・今回少しは練習せねば…と初めて教習所の門をくぐった。
教習所に臨時教習?制度があって時間単位で乗れたのだが、同乗する教員は教える義務も採点する必要もないのでほとんど無言で仏頂面…時々嫌がらせのように急ブレーキを踏みやがった。

試験車はでか〜いアメ車、シートがへたって身体が沈み込みダッシュボードの先が全然見えなかった事など強く印象に残っている。
当日の受験者は20名程で2班2台に別れ、一次〜二次試験があった。
一次試験を通過したのは全体でたった2名!!そして…二次試験を勝ち抜いたのは…なんと…小生1人だけ \(◎o◎)/!合格率5%を初挑戦で一発合格!だ。
「俺ってすご〜い!奇跡だっ!俺って天才だ〜っ!」と叫びたかったかも・・・お気楽 能天気であまり緊張しなかったからかな?

取得した運転免許は・・・
1:軽自動車 ⇒統合整理
2:自動三輪車⇒統合整理
3:自動二輪車⇒大型二輪に再構成
4:普通自動車⇒中型免許に格上げ

挫折した側車付二輪を除いて取得した4種類の免許 全て一発合格だったが、統廃合で最終的には3・4の2種類になってしまった。

バイクは4代目の【HONDA DREAM CB77】が最後となり、興味は四輪車に移っていく


初めての乗用車 中古の【日産ブルーバード エステートワゴン】310系 1200cc

この頃からスキー行(全日本スキー連盟1級取得 1964/2)は列車から車へほぼ移行していく。

2代目は新車【初代トヨタ カローラ 2ドアセダン 】1200t に代替 1967/11

結婚直前から長女誕生まで2年弱乗った。

3代目【マツダ ファミリア ロータリークーペ 10A】に代替 1969/7

ロータリーエンジンを量産車に初めて載せた車で、ロータリーの評価を下げないよう細部まで丁寧に造られていた。
回転をレッドゾーン近くまであげても室内は静かで 抜群のパワーがあり山岳ドライブがとても楽しかった。

しかし、妻と幼い娘2人を乗せて荷物の多いスキー旅行に行くにはロータリークーペでは狭すぎるので…


4代目【マツダ サバンナ スポーツワゴン 10A】に代替

だが…この車にはがっかりさせられた。
ロータリーの高評価に気を緩めたのか、あちこちにコストダウンの跡が垣間見え、購入後まもなく重大な初期不良に2回も遭遇、2回共家族スキー旅行の帰りだった。

「発表直後の新型車は不具合が多いので半年〜1年過ぎてから購入するべし」と言われていたのでなるべく実践していたのだが・・・
後に軽貨物運送業に転業してから、自動車部品製造業のお得意様から「新型車が出てから1年以内は不良品が出やすいよ」とお聞きした事がある。

未就学の娘を連れてのスキー旅行はほとんど平日だったので宿の予約には困らなかったが、小学生になればやたらに休ませられない。


そこで…キャンピングカーが欲しい⇒高価で高嶺の花だ⇒そんじゃ自分で作ってしまえ…と一念発起

アウトドア雑誌などでトラックに箱型のキャビンを積載するトラックキャンパーに注目していた。
家業の建具店で小型トラック 【三菱デリカ】(750kg積)や 木材や機械があるし、木製のトラックキャンパー を小学校入学までに完成させようと。
コンセプトは機能重視 外観軽視 (^_-) スキー用に特化し全面断熱材入り、極小の二重窓、親子4人就寝可能、キッチン トイレ付


そして積み下ろし式の【トラキャン1号車】完成。

居住性はあまり快適とは言えなかったが…狭いながらも楽しい我家…子供達とのコミュニケーションもバッチリ!2-3泊のスキー旅行にも充分対応できた。
断熱材入り耐寒仕様は夏のキャンプでも想定外の効果を発揮、小さい窓は室内への直射日光の照り込みが少なく意外に快適だった。
連休でも宿の心配は無用だし行先も自由。すっかりはまってしまった。
しかし、子供の成長は早くすぐに手狭になり…中央道の登坂車線では60km/h以下迄落ちる等走行性能にも不満が出てくる。
日本オートキャンプ協会傘下の【トラックキャンパークラブ】(手作りトラキャンのグループ)に入会しグループキャンプにも参加、 仲間のトラキャンを参考にしながら2台目の構想を練る。
ブームに成りつつあったオートキャンプは各種のメディアに取り上げられテレビにまで引っ張り出された。

メディアに利用されるだけではつまらん! ⇒⇒ この機会を逆に利用してやろう…と。
取材された資料などを揃えて、数社にアタックした結果3社のスポンサーを獲得した。
スポーツ用品輸入商社様から家族4人のスキー用品一式 & タイヤメーカー様からスパイクタイヤ一式。
今では見られなくなったスパイクタイヤはスタッドレスに比べアイスバーンの走破性は抜群だった。
スキー用品は子供の成長に合わせて提供して頂き経済的に大変助かった。


【キャンピングカー2号車】のコンセプトは一号車と同じ…
スキー用に特化し断熱性に優れた木製トラキャンと…全然ブレナイ!
それにプラス、後部キャビンに乗車定員を確保して8ナンバー登録する。

設計図を引きキャンプ仲間の友人に構造計算をお願いし陸運事務所に事前相談。
ベース車に低床小径ダブルタイヤ【マツダボンゴトラック】1t積(BA2系 1800t)をセレクト
サバンナロータリーを処分して…新車トラック購入 あおりと鳥居を撤去し荷台の上で制作開始
1号車と同じく「木材+ベニヤのパネル工法」で外装は耐久性を考慮し「ベニヤ+アルミ複合板」とした。
機能性に影響しない部分は工期短縮と経費削減で外観は二の次 (^_-)
陸運事務所の検査をパスし 晴れて乗車定員7名 世界で1台しかないキャンピングカーが誕生した。
1号車と違い積み降ろしの手間がなく、飲料水を給水すればすぐ走りだせる。
スキー行では目的地を決めないまま出発し、車中で気象情報等を聞きながらスキー場を決めたり…連休の渋滞回避に時間をずらしたり…とキャンピングカーの機動性を満喫した。

娘が中学生になると学校行事に制約されたり…小生も諸事情で軽貨物運送業に転業したりで、ファミリーキャンプの機会が激減し…売却、我家のキャンピングカー時代は終わった。


1985年 軽貨物運送業に転業した頃、免許を取得した 用に中古の【スバルサンバー バン 4WD】550CC を購入したが長続きせず「ペーパードライバー」の道へ一直線。
代わって社会人になった娘が乗り回すようになったりで…貨物ナンバーではあったが 一応[5代目の乗用車] と位置付け。


乗用車6代目【スバル ジャスティ 4WD ECVT】1200CC に代替 1989/8

コンパクトで燃費も良く 雪道を軽快に走れる楽しい車だった。

7代目【日産セレナ ワゴン 4WD AT】2000CC に代替 1991/12

家族スキーはキャンピングカーで終わっていたが、小生はこの頃まで正月休みと5月連休ぐらいはスキーに行っていた。しかし、ゲレンデにはスノーボーダーが増殖し… 斜面のあちこちに所構わず座り込み、非常に邪魔 & 危なくて…スキー熱が急激に冷めてしまった。

15年乗ったのは歴代最長だが距離はいくらも乗らなかった。

8代目【スバル サンバー バン MT】660CC に代替 2006/12

貨物ナンバーだが乗用車として使用 ⇒ 2009/7 営業ナンバーに変更 ⇒ 2010/11 軽貨物運送業を廃業 73才

9代目【ダイハツ ミラカスタム CVT】ターボ 660CC に代替 2010/11

この軽乗用車が運転歴の最終ページとなる。

次に…仕事車、バイク、乗用車、キャンピングカーと時期が錯綜したので時系列に並べて置く。

免許 仕事車 イク 乗用車、キャンピングカー
1957 軽自動
トーハツTH55
1958自動三輪 ダイハツ三輪バーハンドル ホンダ C70

自動二輪

マツダ三輪T600丸ハンドル ホンダ CS71
1964 普通車 コロナピックアップ 1000cc ホンダ CB77 ブルーバードワゴン1200cc中古
1968

カローラ2ドアセダン 1200cc
1969 ボンゴトラック(RR) 800cc
ファミリアロータリークーペ 10A
1971 デリカトラック 1200cc → → → キャンピングカー1号車(積載型)
1977 サンバートラック 550cc
サバンナロータリーワゴン 10A
1982

ボンゴ(改造用)1800cc
キャンピングカー2号車8ナンバー
1985 [軽急とみや運送店]開業
サンバーパネルバン550cc運送業:1


1989 サンバーパネルバン550cc運送業:2
サンバーバン 4WD 550cc中古

自動車電話(ショルダーホン)導入
ジャスティ4WD AT 1200cc
1991 サンバーパネルバン660cc運送業:3
セレナワゴン 4WD AT 2000cc
1997 サンバーパネルバン660cc運送業:4

2001 サンバー幌車660cc中古運送業:5

2006

サンバーバン660cc
2009 サンバーバン用途変更→運送業:6 ← ← ← 
2010 運送業廃業(73才)
ミラカスタム 660ターボ
2015免許返納 自主返納(78才)


近年高齢者の事故が多発、自分もその仲間にはなりたくないので…免許更新をせず 2015年6月:78才で自主返納。58年間の車生活に終止符を打った。