静岡を離れて10年になる。
インターネットが普及して、情報がどんどん入ってきても、彼らは生まれつきの保守性から、
その生活を変えたりはしないのだろう。
街を人に紹介する時、まずとっつきやすいところからと、名物から入るのは一般的である。
でも、どう考えても、私にとっての静岡は、お茶でもみかんでもサッカーでもないのである。
茶畑や、みかん畑は山に行かなければお目にかかれない。
海のそばに育った私には関係ない景色であった。
確かに冬になると、安価でみかんを購入できた。しかし、それが街の特徴とは、とても思えなかった。
街の印象とはおもしろい。例えば、私にとって大阪のイメージは新世界そのものであり、OBPなんてのは
大阪の印象とはかけ離れている。名古屋は蒸し暑さであり、東京は人が多いことに起因する孤独感。。
すべて、自分の経験からくる印象にわがままに彩られている。
地元住民であってもそうなのではないだろうか?
静岡に生まれ育ち、数十年暮らしていても、実際に自分が見た静岡が静岡だし、知らないものは
印象には浮かばない。でも、その自分に作られた印象そのものが、自分が持つ土地に対する
印象であり、愛着でもある。
このページはそんなわがままな視点で、わがふるさとを見つめ直してみたい。
まだ、構築中ではあるが、共感を得られる在住者、出身者がいたら、それは極めてローカルな
共感なのかもしれないが、それが真の共感なのではないかと思う。
故郷を愛さぬ者はいない