沖縄チャート探訪記

 沖縄北部の本部半島にチャートを探しにゆきました。沖縄の先史(貝塚)時代の石器石材としてチャートが利用されていることはわかっています。また沖縄本島をはじめとする琉球列島、南西諸島などから少量の黒曜石も出土し、それらが西北九州から運ばれたものであることが熊本大学の小畑さんらにより明らかにされています。今回、沖縄にゆく機会があり、北谷町の中村さん、東門さんのご厚意で北谷町の伊礼原遺跡の石器群を見学させて頂きました。石器の主要石材をなすチャートについて、石材の質感を目に焼き付けました。今回はそれを忘れないうちに原産地を探そうと思ったわけです。僅か1日の探訪記ですので、誤りや間違い、的はずれなことも多いかと思いますが、つき合って頂ければ幸いです。
 なお、今回は事前に沖縄の表層地質図を入手して、踏査の参考にしました。素人の理解で恥ずかしいのですが、チャートが堆積しているのは主に中生代に所属する構造線上の与那嶺層群のようです。その隆起山体である本部半島の3カ所に絞って歩きました。
第1地点(本部町崎本部塩川)
 名護を過ぎて国道449号線を西に向かうと、広い海岸通りです。右側は石灰岩の採掘により禿げた山肌が大きく広がっています。コンクリート工場が点在し、原料となる採石場が続いているのです。木材が少ない沖縄では建築資材として大きな需要があると聞きました。それでも左側の海岸線は真っ青な海と空が広がります。最初の目的地はこの海岸線にあります。沖縄の西海岸では石灰岩や隆起珊瑚礁に海食を受け、浸食崖やこけしの頭の形をした岩礁が点在しています。表層地質図ではこの本部町の東側に構造線に沿った堆積岩が露出し、その中にチャート類が南北に点在していますが、その南端がこの海岸線に描かれています。堅い堆積岩の岩脈が露出しているなら、異なる形の岩礁が見られるはずです。車で崎本部付近までくると松林の向こうに白い砂浜が広がります。塩川ビーチです。やや気を抜いていると砂浜の向こうの波打ち際にやや角張った岩礁が見えました(写真1)。
すわ!急いで車を路肩のスペースに突っ込み、徒歩で海岸に向かいます。松林の中には数家族がシートを敷き、休日を楽しんでいました。リックにカメラ、地図、ビニール袋を持ち、急いで海岸に向かう私を奇異の目で見ているのがわかります。まず、砂浜にしゃがみ、じっくり観察。特有の珊瑚片が多く見られます。その中を良く探すと…ありました。石英やチャートの砂礫です(写真2)。近くに岩脈があるに違いありません。しばらく海岸を歩くと先ほど車から見つけた岩礁に辿り着きました。にんまり、チャート岩脈が含まれています。あまりにあっさり見つけたので気が抜けました。灰白色の色調で場所によると黒色のチャートが含まれています(写真3)。石質は粘りのある良質のものから岩脈の入る粗質のものまで多様ですが、石器に利用できる石材が含まれています。付近をしばらくあるくと、礫浜があり、拳大から人頭大のチャートが含まれています(写真4)。石材産地としては好条件といえそうです。改めて沖をみると、海岸の100mほど先に白い波頭が立つリーフとなっているようです。その内側は穏やかな浅瀬となっています。大きな船は海岸まで近づけませんが、小船なら寄り付きは可 能でしょう。ここから石材を小船で海上運搬することは可能でしょう。
  写真1 写真2 写真3 写真4

第2地点(本部町満名川中・上流域) 
 最初から石材産地を見つけ、気を良くした私は地質図で目標にしていた次の目的地に向かいます。本部大橋の手前で右に折れ、県道87号線に入ります。満名川という小河川に沿って石材を探します。この道路は本部半島を横切る道路です。河口のわずかな平野も数分走ると両側の山間が迫ります。車を止めて川原に降り立ちました。並里のまんな橋付近の川は両岸がコンクリートブロックで工事され、岩肌などは見ることができません。川原の転石を観察しました。石灰岩、砂岩、粘板岩、そしてチャート・石英が含まれています(写真5)。ここのチャートは灰〜青灰色、淡赤色、などがあり、石質は岩脈が残り概して粗質です。石は拳大程度で、これでは石材としては不十分です。もう少し上流に進むべきでしょう。この場所から地質図を見て、川原から地形をみると、南側の山塊が怪しいようです。この山は本部半島最高峰の八重岳(454m)北麓斜面です。早速アタックしましょう。比較的大きな谷を見つけ、車から降り、山に入ります。時刻は10時を過ぎ、気温はぐんぐん上がります。ハブさんも暑くて休んでいることでしょう。途中までは荒れたミカン畑や山道がありましたが、斜面が急になると道が途 切れます。やむを得ず、谷あいの岩をたどってさらに進みます。予想に反して石灰岩だらけです。とうとう急な崖に行き当たりました。クライミング装備はありませんので、仕方なく引き返し、別の谷に沿って再度アタック。山中ははじめて見る植物、昆虫、陸生貝類がいっぱいです。こうして幾度目かの谷あいでようやく堆積岩を探し出すことができました。谷底にチャートを含む巨礫が点在しています(写真6)。川原の石材同様に石材としてはあまり良質ではありません(写真7)。しかし露頭として岩脈を見つけることはできませんでした。山中をうろつくこと2時間あまり、すでに膝が笑っています。

写真5 写真6 写真7 写真8

第3地点(今帰仁村天底)
今度は本部半島を横断し、今帰仁村天底に向かいます。ここは本部半島の東側に位置します。近くの運天港は、半島と古宇利島及び屋我地島に囲まれた天然の良港です。琉球王府時代は「今帰仁間切所」が設置され、北部の行政要所でした。また人類発祥伝承説話の残る古宇利島への渡船もあります。半島側と屋我地島の間は幅数百mの海峡となっています。両岸は切り立ち海岸から急な崖なのです(写真9)。なんとか、その斜面に近づこうと、まず天底の高台から挑戦です。ちょうど半島側と屋我地島の間の架橋工事が始まっていて、その工事現場付近から斜面を下ることにしました。しかし、斜面は予想以上に険しくソテツなどの棘が行く手を阻みます。また崖上部の露頭は石灰岩です。これがけっこう崩落しやすい状態なのです。途中まで下り、やばいと感じ、このルートを断念。やや遠回りですが、運天港から歩いて波打ち際を進むことにします。港に車をおき、岩肌が洗われる場所を見ると、次第に水位が上がり始めています(写真10)。満ち潮です。行きはよいよい、帰りは泳ぎかって。無理ですね!この場所はあきらめました。周辺の踏査に変更です。じつはここへ向かう途中に今帰仁村スルミチ の造園用に集められた庭石のなかにチャートを見つけていました(写真8)。庭石は石灰岩転礫が主であり、大井川上流付近で採取(採掘)されたものと考えました。その付近から呉我山あたりを探索します。付近の小河川には僅かですが、石英やチャートが含まれています。そのまま海岸線まで進み、海岸線を歩きます。河口近くに礫が点在しています。礫の中には石英、チャートがあります(写真11、12)。石英はやや良質ですが、チャートは粗質です。

  写真9 写真10写真11 写真12

終わりに
 今回は、1日という限られた時間で、不十分な踏査内容でした。そのため、まだまだ歩いていない多くの地点が残りました。また、いつか機会があったら再訪したいと思います。不確実な私の印象でいうと、遺跡で出土する良質のチャートが本部半島に産出し、灰色や青灰色、黒色のものも見られました。沖縄先史時代の石材の給源がこの地域にある可能性は高いと感じました(2006年7月23日吉留記)。