庭の梅が散り始めました。
吉野の老梅は今年も花を咲かせたでしょうか。
吉野といっても大和ではありません。豊後の吉野のことです。
大分市の南東部、石仏で有名な臼杵との境に吉野原と呼ばれる盆地状の土地があり、小さな集落があります。いまからちょうど四半世紀前、1977年の春、私を含め数名の学生で続けてきた大野川流域の遺跡分布調査でたまたまこの地を訪れたのでした。本来の目的は当時まだ十分明らかでなかった大野川流域の旧石器時代遺跡を確認し、そのカタログ作成と遺跡分布と火山灰層の関係を明らかにすることなどでした。この流域は本当に遺跡の宝庫で、丘陵上の畑地などを少し歩くだけで必ず数カ所の遺跡を発見することが出来ました。若いエネルギーで一日中歩き回り、ひたすら遺物をみつけ、観察・記録することを続けました。また、地元の方から昔話や土地土地にまつわる開発話や伝説などを聞く楽しみもありました。今回はその過程にあった幾つかのエピソードのうちひとつです。
さて、ようやく霜が解け始めた頃、私達は野宿も出来るような荷物をリックに詰め込み、吉野のとあるバス停から歩き始めました。
ある農家の畑まで来ると、麦藁帽子を被った農夫がこう言いました
「おや、さっきのサンカがまた戻って来たのかと思ったよ。」
聞くと、「サンカ」と呼ばれる人々が先ほどまで竹細工のカゴなど背負い行商にきていたとのことでした。
振り返って自分達をみると、お世辞にもきれいと言えない服装、長靴姿で、リックや寝袋を山のように背負い、表面採集用のビニール袋をもった怪しげな一団でした。
しかし、その農夫の言葉に、私は浮遊感を伴いしばし愕然としました。
「サンカ」って…。
そう、サンカとは「山窩」と書き、戦前まで日本の山中に住み遊動生活をおくっていたといわれる人々のことです。主に戦前活躍した大分県竹田市出身の作家三角寛氏の著作や論文などで広く知られるようになりました。私の好きな藤森栄一氏の著作にも登場しますし、柳田國男氏の山の民と重複して自分かってにイメージしていたものです。十数年前に「瀬振り物語」という映画が上映され、萩原健一扮するサンカが風のように山中を移動するのが印象的に描かれていました。
しかし、その実在や歴史性、性格には不確定要素も多く、民俗学的には疑問視する見解も多くあります。大分県では昨年逝去された竹田高校の鳥飼先生が聞き取りや追跡調査をされたことがあると聞いていました(これは近年著作集に含まれ刊行されました)。
でも、こうした話は既になにもかも過去の産物だと思っていたのです。
それが、ついさっきまでここに居たという事実に私は仰天しました。でもこれなら近いうちにめぐり合うことができそうという想いもふつふつと湧き上がりました。遭ったら、聞きたいことや確かめたいことがたくさんあったのです。
ところが、それから数年間大野川流域を歩きましたが、二度と彼らと遭遇することもなく、彼らの話を聞くことすらありませんでした。
あれは、幻だったのでしょうか。
実は「サンカ」なる集団ではなく、小売の行商人を農夫がそう呼んだのかも知れません。あるいは、先の農夫がかつて三角寛の大ファンであって、そう言う言葉を使ったたのかもしれません。何れも今となっては確かめようがないことです。
ただ、九州山地から臼杵−八代構造線に沿った祖母傾山系の険しい山並みの山麓にある、小さな集落で聞いた「サンカ」という言葉が、ごく日常的に用いられていたことに、驚きと微かなめまいを感じたことを今でも鮮明に思い出します。(2002.2.25)