おサルに関わることわざを集めてみます。おサルは地球上で人間にいちばん近い動物です。いわば人間にとって兄弟のはずです。でも、なんだかおサルをバカにしたような「ことわざ」が多くありませんか?とんでもないことです!(-_-;)プンプン
ここは私がおサルに関わることわざを集めて、古くから言いならわされてきたことが、如何に根拠がなくて、おサルさんに失礼であったかを的確に指摘するコーナーです。
ただし、私がサル知恵をしぼって考えてみても、おサルのことわざは少ししかありません。すこし、幅を広げて「サル」という言葉が入っていることわざ(これを「サルまねことわざ」とします)も含めてみましょう。
それでは、はじまり、はじまり〜
知らザルを知らずとなすこれ知るなり
おぉーっと、さっそく掟破りの「サルまねことわざ」です。
この意味は、知らないことは知らないと認めよう。これが物事を知る原点だ、という意味でしょう。知ったかぶりをしないということで、私の戒めのことばです。論語の一文からできたことわざのようです。最初からちょいとおもかったですね。(2000.2.7)
サルの尻笑い
サルが仲間のサルのお尻が赤いのを笑うことで、自分のことは棚に上げて人を嘲笑するようなことです。「目クソ鼻クソを笑う」と同じ様な意味ですね。おっと失礼。でも、ニホンザルのお尻が赤くなるのは成長し、生殖能力が生まれた証でもあるそうです。ですからサル同士が尻の赤くなったことを笑うわけはありません。発情期を喜んでいるのかも知れませんね。おサルをバカにしながらホントはおサルにバカにされていたりしていませんか。(2000.3.1)
猿猴捉月(えんこうそくげつ)
中国の有名な寓話から生まれたことわざと言うより、ことばです。水面にうつった月を取ろうと枝から手を伸ばしたサルが、誤って落ち溺死してしまいます。「身の程を知らないものは命をも失いますよ」という格言に使われます。これも寓話とはいえまったくおサルをなめていますね。美しい月を手に取りたかったのはなにより人間でしょうに、おサルが代役にされて迷惑がっています。(2000.4.3)
木から落ちたサル
「陸(おか)にあがった河童」も同じ意味ですね。頼るべきものを失いどうすることも出来ないたとえです。でも、べつにおサルでなくともよいでしょう。「政党を離れた政治家」とか、「バイクが壊れた暴走族」などなど、思わずうなずいてしまうたとえも出来そうですね。「直接資料にあたらない考古学者」も似ていますが、どうにかなると思っている人もいるようでこれはたとえになりません。おっと、白井さんの「九州沈没」にはまってしまった。(2000.5.3)
学びて思わザルは則ちくらし
「サルまねことわざ」です。論語の「学びて思わざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」からとって見ました。学んだだけで、考えなければ知識は生かされないし、考えるだけで学ばなければ正しい理解や結論に行き着くことはない、という意味です。い・ち・い・ち、ごもっともですが、まさに「言うは易し」ですね。自戒、後悔なく、自分を冷静に見つめ、着実に正しい学問や進路を進める人はこの世にはたして幾人いるのでしょうか。こんな言葉を発せられる孔子さん(失礼しました)の域に達するのはいつのことでしょうか。(2000.6.6)
過ぎたるはなお及ばザルがごとし
またまた論語からの「サルまねことわざ」です。程度をすぎたものは、なお達していないのと同じにつまらない、という事です。ある懇親会でXサルがサル師に問うた、YサルとZサルはどちらがよい酒飲みでしょうか。サル師曰く、Yサルはいつも大騒ぎ、Zサルは白けて先帰り。それでは、Yサルのほうがましなのですね、とXサル。サル師曰く、毎回呑みすぎて二日酔いで場をみだしまくっている。どっちもいっしょで正しいサル道ではない。(2000.7.3)
サル者は日々にうとし
去る者は日々を以てうとく、来る者は日々を以て親しむ。どんなに親しい人でも亡くなったり、遠く離れてしまえば、しだいに忘れられてしまう。梁の「文選」に含まれた一文です。人生四十年もヘラヘラと過ごしてきた私ですが、すでに幾人かの友人の死に直面し、旅のような考古学人生を過ごすと、ふと想うこともあるのです。なにぃ!何も考えてない「お猿は日々うとい」だって?!しっ、しっけいな!(2000.7.17)
サル者は追わず
「サルまねことわざ」ばかり続きます。「われの科を設けるや、往く者は追わず、来る者はこばまない。いやしくもこの心をもって至らば、ここにこれを受けるのみ」孟子の中の一節からとられています。私の教育の場では、去って行く者は追わず、やってくる者はこばみません。かりにも道を学ぶ心があれば、すべて引き受けるのは当然です。という意味でしょう。世の学問・教育を職とする先生たちの多くは意識していることばでしょうが、ついなおざりになったりします。最近は少ないようですが、去る者にツバをはき、来る者に暴言を吐いたり、イジメたりする先生も時にはいたりします。それはそれで、孟子と対をなす貴重な反面教師ですので、大事にしましょう(2000.8.5)
沐猴にして冠す
“もっこうにしてかんす”と読みます。『史記』の項羽紀にある話からきています。「おサルが冠をつけて威張っているようだ」という中傷の意味です。ただし、おサルに烏帽子をつけて喜んでいるのは人間の方ですからお忘れなく。どの分野でも慣れぬ地位や名誉を得ると、とたんに態度が変わる人が居たりします。つい、このことわざを使いたくなるというものです。ところで、シドニーオリンピックもあと数日で終わります。忙しくてゆっくり中継を見ることが出来なかったのですが、やはり日本勢が金メダルを取ると嬉しくなってしまいます。本当は出場するだけでも大変なことなのに、つい、「もっと、頑張らんかい!」と叫んでいます。参加国が増え、国内外の予選や選抜が厳しい中では「参加することに意義がある」だけでなく、本当は参加出来ることに十分な意義があると言えるはずです。メダルを取った人も取れなかった人も、オリンピック終了後も気負いなく、失望なく過ごしてほしいですね(2000.9.29)
意馬心猿
四字熟語で“いばしんえん”と読みます。南唐書『参同契』発揮中からでた言葉です。馬の暴れる様子、猿の騒がしい様子をたとえて、煩悩や私欲で「おちつかない」「鎮まらない」ことをあらわします。馬はともかく、おサルはただ騒いでいるのではなく、テリトリーに入ってきた敵(人)への威嚇と、群れに対しての注意信号を発しているのでしょうに。ところでこの言葉、主に若者に対して使われますが、どっこい「いい年の者が意馬心猿抜けきれず…」と、いう場合も少なくない昨今です。人事みたいですねって、ええ、今日は腰痛と風邪でダウンして、それどころではないからです。早くおサルさんのように元気になりたいですね。(2000.11.2)
見ザル聞かザル言わザル
早いもので今年ももうすぐ終わります。この「お猿のことわざ」シリーズも今回で最後です。まさに世紀末で、アトムの誕生も間近です。さて、今年は旧石器時代研究上特筆される出来事がありました。藤村新一氏による遺跡捏造事件です。証拠の映像が紙上などで公開され、歴史捏造という破廉恥な疑惑が考古学研究者だけでなく、社会的な問題とまでなりました。おかげでイチローは大リーグに行ってしまうし、国内外の株価は低迷するし、いまだにアメリカ大統領も決まらないと言うありさまです。それでも、おサルの時代(旧石器)研究は、自分に関係ないとして、いっさい無関心な態度をとり、それについての批判的な発言すらしない考古学研究者がいます。こうした人の態度を「見ざる、聞かざる、言わざる」と三匹の猿を使って現わすのです。つまり、そんな人こそサルなのですね。あーっ、最後にサルを悪い例にしてしまった!(2000.12.8)