駅の階段

 むかし、といっても数年前だが、階段を急いで駆け上り、電車に
乗りこむと、心臓がドキドキしてしかたないことがあった。電車が
動き始めても、まだドキドキしていた。

 あのころからだろうか、駅の階段の“段数”に興味をおぼえたの
は。
 というのは真っ赤な嘘である。未完成ならともかく、出来上がっ
ている階段の数に興味を覚える人間など、世の中には私を含め、ほ
とんどいないだろう。駅の階段の数など、10段でも20段でも、
どうでもいいではないか、という人は多いはずだ。

 ところが、2月の暖かい日、私は何を思ったのか、その「興味を
覚える」 人間に突如、変身してしまったのである。
 ぽかぽか陽気のせいかもしれない。いや、もしかしたら、時の経
過が、私にあの日の無念を晴らすための勇気を与えてくれたせいか
もしれない。
 その日、私は山手線の内回りの電車に乗りこみ、大きな駅の階段
の段数を調べるための、小旅行に出発したのである。

 そして、その結果は……。
 以下は、改札口のある地点を0段としたうえの、プラットホーム
までの段数である。

 池袋駅中央口    35段
 高田馬場駅早稲田口 36段
 新宿駅中央東口   32段
 渋谷駅南口     35段(外回りのホームまでは36段だった)
 品川駅       32段(改札からは下り階段) 
 新橋駅       38段(踊り場が2ヶ所あり)
 東京駅中央口    34段(並列してエスカレーターがあり)
 神田駅       34段(改札口から数段のぼってからの段数)
 秋葉原電気街口   31段(改札口から17段のぼってからの段
               数)
 おまけ、
 西武池袋線池袋駅
      中央口  36段

 な〜んだ、たいしたこと、ないじゃん。
 そう、たいしたことはなかったのである。
 なにがたいしたこと? と、いわれても困るが、とにかく、こと山
手線に限っては、ある意味では、たいしたことがなかったのである。
 
 話は数年前にさかのぼる。
 あの日、私の体調は疲労感がひどく最悪だった。おまけに首筋から
肩にかけて原因不明の激痛が走っていた。
 会社の帰り、私はフラフラとした足取りで、その駅の階段をあがっ
ていった。なぜ、階段を選んだのかはわからない。ふだんは横のエス
カレーターを使うのに……。

 最初はよかった。
 ところが4分の1も行かないうちに、息切れがしてきた。
 息切れ程度ならまだいい。そのうち吐き気がしてきた。吐き気なら
まだ許せる。さらに胸も息苦しくなってきたのだ。
 ほとんどの乗客はエスカレーターを利用していた。それがあの駅で
の常識だった。

 途中まできてしまった私は、もう戻るわけにはいかなかった。
階段を利用しておいて、やっぱり疲れるからと引き返し、あらため
てエスカレーターを利用する人などいないのだ。

 動悸も激しくなってきた。意識も朦朧としてきた。やばい、私は踊
り場でしばらく休んだ。
 しかし、体は一向に回復する気配がなかった。むしろひどくなって
いく。深呼吸を繰り返しても、体は元にもどらなかった。
 上を見上げれば、「頂上」はまだはるか先だった。私は東京のど真
ん中で、あの日、酸欠状態の登山家になっていたのである。

 のぼり切るのに、15分はかかったかもしれない。
 頂上を極めても、私の体は目眩と吐き気で、救急車を呼ぶ寸前の状
態だった。私は、頂上のベンチでさらに30分休んだ。
 その、悪魔の階段とは……。地下鉄半蔵門線永田町駅から、地下鉄
有楽町線永田町駅までの階段だった。

 私は山手線の調査を終えたあと、懐かしの階段を数年ぶりに訪れて
みた。そして、ゆっくり、慎重に上りながら数えていったのである。
 その結果は……。40段?、50段? 
 いや、な、なんと、山手線の約3倍、96段だった。
 クローしたわけだった。              

参考:ちなみに、その階段、都内の駅で一番長いそうです。


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