おやすみ小鳥

  
松前〜函館
2004

  
 関西への旅
2004

  

  印が最新です


戻り読み

 

二 千 六 年

 

児童文学学校 −凹んだり浮かんだり−     七月七日

 二千六年 四月から、児童文学学校に通っています。
童話を書けるようになろう、と云う創作コースです。
と云っても、月一度、全十回、という講座。
どぎまぎしながら申し込んだのがもう、四箇月前。
早いもので、先日、第三回目の授業を受けてきました。

 第七期生、の生徒は二十数人。
驚いたのが、わたしは最年少!と云うこと。
しかも、定年を迎えられた方が多かったりして、想像するに、日々の時間に
余裕のある方々なのかしらん。
わたしとおなじくらいかもっと若者と出逢えるチャンス!とちょっぴり期待していたので・・
残念な気持ちが、少し。
格好良い男子など居たら・・・・・・・・・・
なんてムフフだったわたしがお莫迦?

 初心者でもOKと云うことば通り、第一回は、原稿用紙の書き方、から。
その他、正しい日本語についての講義で、とてもたのしかったです。
講師の先生は・・大学の国文科で教えていらっしゃる方だったかしら。
教え方がとてもお上手でした。

 第二回は・・ううーーん、如何かなあ?
お話がおもしろい先生でしたが(日本児童文学者協会北海道支部からいらっしゃった
と記憶)、脱線脱線の連続で、
「児童文学とはなにか」
と云うテーマでしたが・・ええーっと 汗、児童文学と文学の違い、などはプリントも
参考にしながら理解したつもりですが。。

 そして第三回。
ついこの間、受けてきました。
いよいよ、実際に物語をつくってゆきます。
テーマは、
「ファンタジイの書き方」。
ファンタジイとはなにか、メルヘンとファンタジイの違いは・・など学んだ後、おもむろ
に先生が黒板に書いた、三つの単語。

甘納豆

おかあさん

毛虫

 「この三つを登場人物にして、ファンタジイのあらすじを書いてください」

 時間は三十分。
皆、ノオトや原稿用紙に向かいます。

−皆さんだったらどんな物語が浮かびますか?
ちょびと、想像してたのしんでみてください。−





わたしは、ふと思いついた物語のあらすじを、メモの様に箇条書きや図でまとめました。
正直、「こーれはなかなか良いかもっ」と自信アリ、で快調に筆を滑らせました。
以下、わたしの考えたあらすじ。

 

*     *     *

*     *     *

 

 三十分で、途中までしか書けませんでした。
いえ、もしも時間があったとして、ここから先、筆が進んだとは思えません。
進んだとしても、それは破綻している、筈。

 ぱっと思い浮かんだ、自信アリのプロット。
起 承 転 結 に実らせるには、思いも寄らぬ脳の回路が必要なんだな、とガツンと
一発やられた気分になったのでした。

 ところで。
甘納豆ってどんなもの?!?!
お豆嫌いなわたしにとって、それは未知の、興味を惹くことすらないモノ。
ちょびとの知識で想像を膨らませましたが、限界がありました。

 皆が書いたあらすじを発表する時間が設けられたのですが、甘納豆を知らない、
と云ったわたしに、先生は、
「その、知らない、って云うことを使った物語もおもしろいんじゃない?」
と云いました。
 考えもしませんでした。知識の殆ど無い甘納豆について薄っすらと持っているかも
しれない情報のすべてを、頭の引き出し片っ端から調べて取り出そうとしていたわたし
だったのに、そうかあ・・発想の転換ね。

 でも、疑問ももちました、幾つか。
先生の意図していることを、皆は把握しきれていなかったと思います。
初めに、これらを使ってファンタジイを、とだけ、先生は云いましたが、皆のあらすじ発表を
聞きながら、
「ナンセンスならとことんナンセンスで」
と云うアドヴァイスを何度もするのです。
道徳的なオチにしないほうがいいよね、と云ったり。
いつ、ナンセンスなストーリイをつくって、と云われったっけ?
わたしはちょっと思っていました。
 皆は、その三つを巧く融合させて物語としてきちんと完結させよう、としている様に
見えました。もうなんだか訳がわかんない、でもおもしろい"ナンセンス"をつくろうと云う
姿勢には見えませんでした。
だって、それを望まれている、とは思っていなかったと思うんですよね。
なにか、メッセイジがあったり、途中は不可思議でも最後にはすとんと収まる、様な、
そんなお話を皆さんつくっていました。
 でも先生はナンセンスをつくってほしかったのかなあ・・突拍子もない登場人物で創作を
させるのだから、と云うことで。
それが未だにわかりません。
 後は、ざっとしたあらすじを聞いただけで、そこはクドい、それは要らない、それは・・
って、わかるのかなあー、と生意気ながらも思いました。
 もうひとつ、これは授業のあとふと思ったことなのですが、何でも与えられたものを
自動的に物語にできるなんて、それって凄すぎるじゃん、プロじゃん。
これを物語にしよう、と思いついたもの、ひと、事柄って、気持ちがこもっているものだと
思いませんか?
だいすきな色だったり、想いでがあるものだったり、瞳に焼きついていて離れない光景だった
り・・。
気持ちが入るから魂が入って、そして軽やかに動きだすんじゃないのかなあ・・って思っちゃ
ったんですよ。まあ、出来は別としてもね。
プロットは思いついてもそのあと蹴つまづいてしまったのは、結局、毛虫にも甘納豆にも
気持ちを入れられなかったんですね。
突然目の前に差しだされた材料だったと云うことと、偶然、好きなものではなかったから。
毛虫くん、甘納豆くん、と擬人化してみたものの、魂が入らなかった。
破綻の原因は、才能の他に、そう云うこともあるのだと思っています。

 と、疑問やぱっと晴れないぶぶんは、創作をして見て貰うことで晴らすしかありません。
自由参加の「ファンタジイ作品提出」、書こうと思っています。
 実は、この授業のあと、なんだかちょっぴり凹んでたんですよね。
わたしってやっぱ創作だめだなあ、とか、思っていたよりプロットは新鮮でなかったのか
なあ、とか、なんか、もう、色々。
 でも、諦める、と云うか、向いてないし、とは未だ未だ思えないじぶんもそこには居るの
でした。書くよ、わたしは、書いてみる、って。
上にも書いた通り、衝撃的だったその創造と破綻は、才能がない、だけでは片付けられない。
未だそう云い切っちゃう段階ではないのですもの。
 童話作家を生業に、とは思っても居ません。
実際、この学校に入学した動機は、「知りたかった」、そして「広げたかった」から。
わたしは創作をやれるのか、幼い頃のものを除けば一度も完成させた事のない、創作物語を。
そして、無事修了し、少しでも学んで自信が付いたなら、それは、今後の書き活動のなかでの
新しい一面になるのではないか。
 チャレンジと好奇と探究・・と云ったらカッコつけ過ぎですねえー。
でも、うん、そうなのです、できない、やったことがない、それをやってみたかった。

 で、ドがつく素人、な訳なのですが。

 提出する予定のファンタジイ。
淡い映像が頭のなかにあります。
 ちょっぴり、怖い。
だって、今わたしのなかにだけあるその光景、色が、リアルに起こしてゆく度に叉、
褪せてゆきそうで。
これでもだめだったら・・叉ゝ落ち込むだろうけれど・・
でも、きっと叉書くんだろうなあー 笑。

 提出する物語、できそうだったら、叉、ここに載せます。
あと、今日書いたあれこれについてのご感想や、「あなたの毛虫甘納豆プロット」、
是非是非聞かせてください!
こちらでも、こちらでも、こちらでも。

 第四回目の授業は、「リアリティ作品の書き方」。再来週です。 

 

 

 

二 千 五 年

 

aiko  五月二十三日

 愛車の、六枚コンパクトディスクチェンジャはたいていの場合、
六枚とも、椎名林檎及び東京事変の指定席になっています。
 なのになのに今ではなんと、うち三枚がaiko。
これは、第二・・三次?aikoブーム到来の証。

 大変すみません; なのですが、立て続けに三枚、「借りて」きて
しまいました。夢の中のまっすぐな道 暁のラブレター 夏服。
次は買います。

 何故突然、aiko。

 少し前ですが、テレビで、いつもの様に可愛いaikoちゃんが
喋っていました。新アルバムについて。
aikoちゃんはずっと好きで、ここ最近は音楽は特に聴いていなかった
のですが、身に纏った雰囲気が、お喋りが(柔らかい関西弁)、
お洋服が、前髪が、好きでした。
 テレビで、「ファンの子がね、『aikoのこと大好きなんよ、こんなに
好きなの、それわかってる?』って云ってくれてね。」
と云っていた彼女の様子が何故だかずっと忘れられなかったことと、
ある曲の中の歌詞 "すきだよ すきだよ" と云う部分について、
「声が割れているけれどそのまま収録されていて、それがかえって
とてもグッとくるよねー。」と聞き手の方が云い、
aikoちゃんが「そう?良かった!普通だったら没テイクになる唄い方
だったけれど、ディレクターがこれで行こうって云ってくれて・・」
と嬉しそうにしていたそのエピソードに惹かれて、久々に聴いてみたく
なりました。

 聴き始めて最初は、「ああーaikoだー。」と思って、なんというか
aiko節、みたいなのがめちゃくちゃはっきりあるぢゃないですか、それを
改めて感じました。
詩も、難しい表現はなく凄くストレイトで100%恋が唄われていて、
正直、ちょっぴり恥ずかしい気持ちになったりしました。
ああなんかもうわたしには云えないことば、とか、わたしと夫の間には
温かい想いはあってもこんな、触れるだけでぴりぴりくる様な恋は
もうないからこそばゆいな、とか。
 でも、繰り返し聴いてゆくうち、歌全体が持つ温かいまるい空気が
心地良く思えてきて、aikoちゃんの伸びやかな唄声もドライヴには
ぴったりだし、好きだよって唄うまっすぐな想いをまっすぐ受け止め
られる様、じぶんの心が解れていくのがわかりました。

 恋とか愛とかとは全く関係のない悩みを抱えちょっぴり傷を負ったある日、
車の中に響く彼女の声が、何故だかとても優しくて、涙がでました。
aikoちゃんだって、いっぱい傷付いて悩んで、巧く行かない場面もたくさん
経験したんだろうな・・と自然に思えて、良い迷惑!かもしれないけれど、
彼女をとても近くに感じて、きっとおんなじだ、おんなじ気持ちを知ってる
筈だ・・と慰められたことがありました。
恋愛の悩みではなかったのに、その歌に声に助けられただなんて、とても
不思議。
でもきっと、彼女の存在そのものが、わたしに穏やかな心をくれたのだと
思うのです。
強いばっかりじゃない、いっぱい泣いたり笑ったりしながら歩いてきたの
だろうなあ、と思わせるその等身大の彼女の姿。
それが、世の乙女たちに「aikoのことが大好きなんだからね!」と云わせる
理由なんだろうなあ。

 すきだよ すきだよ と伝える曲のタイトルは "青い光"。
切なく伸びるaikoちゃんの声は最後に少し割れていて、それは、
積もって積もって溢れる想いそのままで、静かに心に残ります。
青い光 はとても良い曲。

 日によって、胸に響く歌詞が違います。
わたしじしんが、毎日少しずつ違っているということなのでしょう。
それは当然のことなのだろうけれど、特に変わりのない暮らしをしていると
思っていても、まったくおんなじ心を携えている日なんて一日たりとも
ないのですね。
なんだか、草や葉の動きに、目に見えない筈の風が見える、と云うことと
とても似ている様な気がしました。

 未だ暫く、aiko carでの通勤が続きそうです。
皆さんにとっての、風を見せてくれる音楽って何ですか?

 

悔しいな。  五月十三日

 久し振りの、綴り方。

 さっきこのファイルを開けたら、更新はしていなかった
書き掛けの"綴り方"を発見。
忘れてたー。日付は三月上旬。
 しかも内容が、「小冊子の内容について迷っている」といった
ことで、なんだか既に懐かしい気分に。
確かに、迷っていました。
だって、詩をまとめたりするのとは全く違った作業だったの
ですもの。
難しかったです。
 読んで下さった皆様、有難う。
どんどん良くなっていったらいいな・・と思っています。

 それにしても、ブログてのひら帖 と綴り方を書き分けて
いるのだけれど、綴り方 は、ほんとうにじっくり書きたい
事の為にしか開いていない気がします。
なかなか・・ううむ。
 でも、やっぱりここは大切な場所です。
たらたらと、書いてポン の場所しかないのは落ち着きません。
わたしの身体の八十%が水である様に、わたしの暮らしの殆どが、
書くことで形成されているのです。

 前置きが長いです。

 只今、ドリコムブログが調子が悪くて(近頃いつも悪いですが・・)
あちらに書けないので、ここを開いています。
 今週はあっぷあっぷと水面ぎりぎりで呼吸をしながら過ぎて
ゆきました。
旅の前にやっておきたかったこと、やらなきゃと思っていたこと、
どれもこれも終わらなかった!!
悲しくて悔しくてもう、厭。
 その理由のひとつとして、生理になりました。
今回の生理はまあ、いつもよりはましでしたが、やっぱり辛かったな。
なのに、いつも通り仕事を抱えて、他のことも二つ三つ急遽抱えて、
神経を細かく使うことが、よりによって多かったんです。ふう。
 でも、旅前に生理になっておいて良かったです、ほんと。
それがとても気掛かりだったので。友人のおうちに泊めて貰ったり
するのもあって。
これだけが、唯一の救いでした。今週の救い。

 実は、函館の旅日記を書いてしまいたかったんです。
明日できるかな・・わかんない。無理かな。
つくっておきたいものもあったんです。嗚呼、やっぱり無理かな。
 なんだか悲しいなあ。あたしってば。
今週は、なにをやってたんだろう。あたしの今週って何?
ぽかすかぽかすか。

 旅は、関西です。近畿三都物語。
♪昨日今日明日ぅ〜♪(古い。しかも昨年も云ってた様な・・)
 冬に、急に決めたことです。
目的は、いちばんの目的は、身体の調子を悪くした友人に逢うこと。
もう、逢いたい!って思いました。こころが破れそうになるほど。
泣いちゃうほど。いえ、泣きました。
だから、全く考えてもいなかった旅だったけれど、決めたのです。
 今回は、ゆったりと、逢いたいひとに逢ってきます。
勿論、お店巡りも、あちこち考えてます。
 薄着できるのも、とてもたのしみです。
ストーヴ炊いてますから、こちらは未だ。
 ランニング(白)一枚で歩き回ってきます(嘘)。

 暫しお別れですが、ブログは携帯から送ってみます!ささっと。
生中継でお届けします。
多分です。

 それではまた来週ー。じゃんけんぽんっ。

 

東京事変live tour2005 "Dynamite!"  二月二十五日

 ちょうど一ヶ月前、東京事変の実演を堪能した。
とても寒く、雪も降った冬らしい晩。

 この度のテーマカラーはグリーンだった様で、とても良かった。
深い緑が。
 林檎嬢のお召しものも、鮮やかな緑の軽やかなドレスで、細部にまで
凝られたデザイン。
実演本編はずっとこのドレスだったのだが、わたしたちの眼を
飽きさせない。
ふわりと翻る度、新鮮で、アシンメトリな形が素晴らしかった。
 アンコールは、ちょっぴりラフな可愛いお洋服で出ていらっしゃり、
それが叉、林檎嬢のチャーミングさを表していて良かった。

 そう、余り知られていないかもしれないが林檎嬢は、
セクシィ且つ、真っ直ぐで可愛らしい、女性から見ても大層
チャーミングな女性。
実演でも、客席と「なあに?」「そうなの。」などとお喋りしたり
なさって、MCの間はとてもアットホームな雰囲気。
ゆっくりとした語調で、美しいことば遣い。
女性として、見習うべきところを多々お持ちの方だ。
 唯、お唄の間は、余計な素振りや煽りは一切無し。
間奏は、客席に背を向けて黙っていらっしゃるか、ギターを
弾いていらっしゃる。

 お声は絶好調の模様で、満喫した。お上手な歌唱。
しあわせ。
会場には豪快に響き渡り、そして、それぞれの胸には静かに響く。

 前にも、実演のことを書いたことがあったけれど、
今回は、メンバは一緒でも、「東京事変」と云うバンドとして
五人が集まりつくりあげられた舞台だったので、一層緊張感があり、
また、リラックスしたムードもあって、改めて最高のメンバなのだと
感じた。

 前にも書いた、わたくしお勧めの 鍵盤担当 H是都M 氏は
叉叉素敵でいらっしゃって、もう、凄かった、じぶんの中が。
ヤバヒの。
 只今人気急上昇中だと云う、ギターの晝海幹音氏も、とても
素敵だった。貴公子。王子。そんな雰囲気で、きっと、彼を見詰める
フアンの方々もそんな心持ちなのだろう。
お召しものも騎士、の様。美しき騎士。

 演奏は、当然のことながらプロフェッショナルで、
魅せられた。
派手な演出はなく、とろ長いMCも無く、ひたすら唄って
ひたすら楽器がかき鳴らされて、お客も、こぶしを振り上げたり
振り付けをつけて踊ったりと云うことは殆ど無く、聴いていた。
聴きに行く、それが、林檎嬢の、東京事変の実演。

 毎度、泣いてしてしまうのは何故だろう。
前回は、初めて手にしたチケットでの経験だったので、
幕が開いた途端に涙が、と云う驚きの始まりだった。
 今回は。
「同じ夜」と云うだいぶん古いお唄を唄って下さり、その意外性に
先ず胸が高鳴ったのと、そのお声がもう、兎に角善かったの。

 思春期の林檎嬢の、揺れる心の詞。もう何年も前のことば。
それを今の林檎嬢が唄われると、レコードに吹き込まれた当時とは
とても違う様に感じる。
あの頃のじぶんを少し俯瞰して見る様な、
でもその頃の想いを今、叉噛み締めて居られる様な力強いお声。
 あくまでもわたしには、当時と今のギャップ ― それは、心、とか
身体、とか、環境、とか少女からをんなに、とかいろんなところでの
時間の経過― を凄く感じさせるお唄だった。
巧く書けないけれど・・。
 確実に林檎嬢は変化を遂げられおとなのをんなに、そして今、
とても幸福でいらっしゃるということが、ひしひしと伝わった。
これは、このお唄だけではなく、全編を通して感じたのだけれど。。

 そしてその「同じ夜」と云う唄は、H是都M 氏(PE'Zの方)の
ピアノだけで唄われ、会場に圧倒的な静けさをもたらしたのだった。
 わたしは知らず泣いていて、ちょっぴり恥ずかしくて、早く
泣き止みたいと思っていたのに、「同じ夜」から途切れる事無く
「現実に於いて」と云う、ピアノだけの曲へと静かに移って行った
ので、涙はそのまま続行してしまった。不覚。

 そうして、中盤やはり泣いてしまったけれど、それは友人には内緒。
恥ずかしいぢゃん。

 圧倒的な力が真っ直ぐ放出される舞台。
否応無しに、彼らの表現に大きな憧れを抱いた。
数少ない、羨ましいと思える対象。
 そして、表現する と云う行為が、人間に与えられた才の中でも
際立って美しいのだと云うことを改めて思い知った。
 わたしもいち早く帰って何かをしたい、という想いが、実演中
身体の中で吹き荒れていた、嵐みたいに。 

 

それぞれの10年   一月十七日

 阪神淡路大震災から、10年。

 あの頃より今の方が、
より深く、よりしっかりと痛みを感じるのは何故だろう。

 わたしは大阪に居て高校生で、
余りの出来事に当然大きなショックを受けたものの、
じきに、目の前にあるたのしいこと、
目の前に居る愉快な友人たちに、
眼を奪われた。

 本震のことは、実は余り憶えていない。
その後、皆でテレビにかじりついている時に起こった余震や、
被害の大きさを報道で知れば知る程恐ろしくなり、
昼頃まで、ぺたんと座り込んだまま、身じろぎひとつ
できなかったこと、友人に何度も何度も電話を掛けたこと、
位しか憶えていない。

 実はあの日からずっと、
真っ暗な中で独りで眠る、と云う行為ができなくなり、
夜、部屋に戻ると、テレビやラジヲをオフタイマにして
ぎんぎんと点けっ放しにして漸く、布団に入る様になった。

 なのに。それでも。
あれは、映像で観るだけの震災、だったのだ。
あの頃の、若くて無知なわたし。

 今。
各地で災害が次々に起こり、
ここでも地震が頻繁に起こり、
わたしはおとなになっていて、
社会にて生活を営んでいて、
怖いと思うものが、随分と増えた。
怖いもの、失いたくないもの、生とか死とか。

 途方に暮れて、
前も後ろも見られないで、
でも唯、命はあって、生きてゆくことを迫られた方々。
想いを馳せて、胸が、張り裂けそうになる。
わたしにもできることがある筈。
今、現実的に、明白に、そう思える。

 あの時、あんなに近くで起こった大地震だったのに、
今の方が遥かに、遠くで芽生えた痛みや絶望や無念に、
真剣に目を向けている。
 そして、
10年経ち、今の方が遥かに、
あの震災を、重い日本の歴史と受け止めている。
多くの死、炎、叫び、別離。

 若いとは、時に罪で、
 無知とは、時に残酷で、
 青春は、時にひとを酷く傷つける。

 2005年1月17日。
日が昇ってから落ちるまで、落ちてからもずっと、
あの日のこと、
あの日以降のことを、
考えていた。 

 

極寒と胃と本   一月十四日  晴れ・・て欲しい

 本格的に、食べられないものばかりになってきた。
ちょっとクッキーを食べても、腹痛、そして吐き気。
風邪で胃腸を壊したのかな、程度に思っていたけれど、違うのか。
お薬が効いている間だけ、穏やかなのは。
それと、何も食べていない時。

 ケーキ、珈琲、お菓子、油を使った料理。お肉。
食べられないもの。
なのに好きなもの。

 これを食べたら叉おかしくなるのか、と思ったら、
夕飯を前に涙が出た。
だから、おじや、昨日は。
 怖いから、食べない。
知ってる、それがいけないのは。
どんどん、食べられないものに囲まれてゆく。
そして、食べたい食べたい食べたい、と呪いの様に心で叫ぶ。
あれ美味しそう、これも美味しそう。
 何もしたくなくなる。
する元気もないのだけれど。
食事の用意もしたくなくなる。
大した栄養も入っていない身体で、毎日仕事にゆく。
今年も可愛くできた、と思う寒中見舞いの続きは進まない。

 春に催しを予定しているので、ほんとはぽっかり
やすんでなぞ居られないのだけれど、暫く、ぽかんと
過ごそうかと思う。
 思えば、ずっと走ってきた。
わたしなりにいつも、やるべきことやりたいことを抱えて、
ここ一年ほどきた。
どれも、得るものがたくさんあったし、素敵な出逢いもして、
ひとつも無駄なことは無かった。
だけれど、
「ああ、今日は何をしよう。本でも読もうかな。」
なんてことを思わなくなって久しい。
あれやってこれやったら、次はあれ。
そうやって過ごしている。

 どれも大切なことで、どれもしてみたいことで、
どれも届けたい形。
だから、ひとつも捨てられない、諦めきれない。
 欲張りなんだと思う、実際。
見てみたいのだ、その先を。
どんな風になるのかな。
心で描いた風になるのかな。
 思い付いた事を、止めたくない。
乗りかかった船から、あっさり降りたくない。
ラフスケッチのまま、仕舞い込むことができない。

 でもそれは別に、無くても良いものだ。
無くたって、やらなくたって、大きな狂いは生じない。
誰かがそれを見たって見なくたって、大きな差は無いんだ。
 そんなことごとを、時間を掛けて一所懸命(わたしなりに)
やっている。
不思議だなあ。
乗りかかった船も何も、そこにもともと船はあったのか。

 まあそんなことで、春に向けてちょっとぽかんとします。
ちょっとですよ、ちょっとだけ。
ケーキも食べられる様になりたいし。
 すっかり弱ってしまったわたし。
外は寒く、いや、冷たく痛く、雪だらけで呼吸も辛い。
きっと、この寒さも影響していると思います。
 そんな昨夜、テレビから流れてきた歌に自然と涙が溢れました。
平原綾香の歌でした。

 書きたいことは次々に出てくる筈なので(あ、と思ったら
手帳やカレンダに書き留めている位)、てのひら帖 は時折、
ほんとうに時折書くと思います。
とまり木も覗きます。
 叉、遊びに来て下さったら嬉しいです。
こんなわたしなんですけれど。

 

昨日も今日も明日も   一月六日  

 あたらしい年。

 今年の目標っ、みたいなものは無い。
気持ちは新たに、なる。
なんとなくすっきりしたり。
よしやるぞ、って思えたり。
でも相変わらず、昨年から練っていることを頑張ったり、
今年に入ってから閃いたことにどきどきしたり、おんなじ。
年の境は、無い。

 初夢を観た。
それは、直接的な内容ではなかったけれど、
これからのわたしの行き先・・方向、を見せてくれたもの
だったと翌日辺りに気付いて、ちょっと震えた。
 その瞬間、とは、夫に今思っていることを語っていた時。
これからこうありたい、とか色々語っていた。
あ、これって昨日観た夢と繋がってるよ。
無意識のうちに、わたしの中の想いが強く濃くなっていたんだ。
って気付いて、驚いた。

 この初夢は、大切にしたいと思う。
内容は今は書かない。
辿り着いたら書こう。
それは、今年とか云うんぢゃない。
とても大きいことだし、確実にあたらしい一歩だから。
ずっとずっと、胸に留めておこう。

・  ・  ・

 昨年の12月のことになるけれど、お誕生日プレゼントを
戴いた。ほんとは10月なのだけれど、ずっと渡せずに居たと、
云って下さり、ゆっくりとお逢いする機会に戴いた。

 本だった。
中は写真集で、それも身近な風景で、感動した。
知っている、町。
音が聴こえてきそう。
 小さなノートに、写真を一枚ずつ印刷して切り貼りされた本。
可愛い、てのひらサイズのたからものみたい。

・  ・  ・

 今、気に入ってたのしみに覗いているサイト。

いちにちスプーン

 おーなり由子さんがネット連載(毎日!)していることば。
大和書房のサイトから行かれてみて下さい。

・  ・  ・

 先日やっていた、ドラマ 冬の運動会。
凄く良かった。
向田さんの物語が素晴らしいのは当然なのだけれど、
ドラマとして、静かで、狙った演出も無く、色合いも冬らしく、
役者さんも皆、とても素敵だった。
岡田くんのフアンと云う贔屓目を除きに除いても 笑、
冷たくて温かい、良いドラマだった。
長谷川京子ってちょっと・・と永らく思っていたけれど、
このドラマでは良かったと思う。ぴったりだった。
岡田くんは、やっぱり良いなあ。素晴らしい役者さん。
9日のクドカンドラマもたのしみっ。

 以上、近頃のわたし。

 

  一月一日  

      

 


戻り読み