業(カルマ)


男は,目だたぬように立っていた。
ここは,JR中央線▲▲駅,言わずと知れた自殺の名所。
ホームの柱の影で,ひっそりとたたずんでいた。

−−−

男は,かつて働き盛りの会社員であった。
一人身の気楽さから,残業も積極的にこなした。
稼ぎが増えるうちに仕事が人生と思えるまでになった。
会社のためとに,がむしゃらに働いた。
そしてある日突然,解雇された。

「何故,この俺が...」

男は無力感にさいなまれ,友人を失い,家族を失い,....男は死を選んだ。

ローンも払いきれず,明日が退出期限となった,最後の家の庭にある木に
ヒモをかけ,台にした箱を蹴って宙を舞った。
しかし,彼の体重がヒモに掛かった瞬間,ブツッという音と共にそれは切れた。
切れたヒモの先が顔をたたくというおまけつきで。

男は,死ねなかったものの,大変苦しかった。
ようやく気力を取り戻した男は,今度こそと太いロープを持ち出した。

そして,また宙を舞った。ギシッギシッとそれは首に食い込んだ。
激しい苦しみの中で,今度こそはと確信した。

その時,折れる筈のない太い枝が突然落ちてきた。
彼は苦痛の局地を味わいながら,また地面に転がった。
それだけでも地獄の苦しみであったが,更にその枝が男の頭と背中を直撃した。

(頭蓋骨陥没骨折,及び脊椎損傷)

男は,救命治療を受け,二ヶ月の昏睡状態のあと,両手と左足のマヒを残し
ながらも,生き長らえた。

「死ねなかった...」

それから,男は必死で死のうとした。

ガス自殺,飛び降り,自動車への飛び込みなど,思い付くままに,次々と
試していった。
しかし,その試みはいつも間一髪のところで致命傷に至らず,逆にまさに
死にそうな苦しみを何度も味わう羽目になった。
そう,いつもあと一歩のところで邪魔が入るのだ。

「冗談じゃない。何故死ねないのだ。今度こそ,片をつけてやる」
男はそう決心して,あることを思いついた。
「そういう場所に行けば,死者どもが招いてくれるに違いない」
そうして選んだのが,JR中央線であった。

−−−

男はホームの柱の影で,ひっそりとたたずんでいた。
もうすぐ通過列車がやってくる。これで片がつく。

男は不自由な足を引き摺りながら,ホーム端へとゆっくり移動した。
そこには,見知らぬ乗客が,一人立っていた。

「もし,あの乗客に止められでもしたら,また失敗するかも知れない」

そう考えた男は,その乗客の死角になる,やや斜め後方に位置して,
その時を待った。

「来た..!!」

男は身構えた。そしてジャンプする機会をうかがった。
橙色の点が,どんどん大きくなってきた。そして,その姿が大きな
波として彼を包もうとした時,彼の残された自由,右足に満身の力を
込めて跳んだ。

だが,その視界に,彼のほんの少し前を飛ぶ,もう一つの影が映った。

「やつも..だったのか...」

男と,その前にいた乗客は,シンクロするように綺麗な弧を描いて,
電車への吸い込まれていった。

だが,男の方がほんの少し遅かった。

先に激突した乗客にはじき飛ばされる形で,男は線路に落ちた。
列車は,その上を金きり声を上げながら通り過ぎて行った。

−−−

男は,まだ生きていた。完全看護状態で。
だが,身動き一つ出来なかった。
その両足が無くなっていることに気付いたとき,男は悟った。

「俺は死ねないのか?..何故だ...何故なんだ...」


その夜,見知らぬ,背広を着た男がその枕元にたたずんでいることに
気づいて目が覚めた。
「あ、あなたは,...神ですか....」

男は,笑顔で答えた。
「いいえ,私は神なんかではありません。私はこういう者です。」

差し出された名刺にはこう書かれてあった。
「アカシック情報研究所 主任研究員 斎藤次郎」

背広男は,静かに語り始めた。
「私どもは,アカシックコードの解析を行っています。
アカシックコードとは,そう,すべての生物の過去から未来までの
すべての情報が記録されている,高次元の電波みたいなものです。
長年の研究により,この情報を解析することで,その人の前世での
人生すべてを解析することが可能となったのです。」

(はぁ?)
背広男は続けた。

「私たちは,すべての人類の前世情報を調査し,クライアントの希望に
最適の人間を探していました。それがあなただったと判明したのは,
今から1年前です。
クライアントからは,前世でもっとも人を苦しめて殺したことのある
人間を捜せと依頼されました。いえ,これは機密漏洩にあたりません
ので御心配なく。
あなた前世は,首切り役人だったのです。人々に非難されながらも
数多くの罪人の命を絶ちました。
まあ,これ事体は仕事ですから仕方ないことかもしれませんよね。
しかし,その172人に及ぶ死刑執行にあたり,あなたは,その
6割にあたる102人の受刑者の首を,一撃で落とすことに失敗
しています。焦ったあなたは,何度も何度も切り付けましたが,
結局,その受刑者達は,長時間にわたって苦しみぬいて死んで
いきました。
その,なんと言うか,罪みたいなものが,今のあなたに作用して
簡単には死ねなくなっているのです。
俗にカルマと言われるものですね。」

「そんなもの知るか。大体,クライアントってなんなんだ。
そんなものを調査してどうするつもりなんだ?俺にどうしろと言うんだ?」

「ここからは,私から説明しましょう。私はそのクライアントサイドの者です」
もう一人の背広男が姿を現した。(何処にいたんだ,このハゲは?)
そのハゲは,一気にまくしたてた。
「私たちは,運命的に死に難い人間を捜していました。その人にある条件で
実験に参加していただきたかったのです。私たちは不死の研究をしています。
不死と言っても遺伝子的に寿命を伸ばす研究などではなく,不死の肉体,
つまり機械の体を与える実験です。普通の肉体を持つ人がこの実験に進んで
参加してくれる訳もないので,実験に参加するしかなくなるまでお待ちして
おりました。そして,やっとその時期が来たのです。
もちろん,個人の意見を尊重する旨の通達もありますので,いくつかの選択肢
はあります。我々の実験への協力,新薬開発用モルモット,おっとこれは失礼
または........ただ,今すぐに死ぬという選択肢はありません........」

次第に遠ざかる意識の中で,男は祈っていた。
一度も信じたことのない神に向かって,必死に願いを伝え続けていた。

「死なせてくれ....」

                      END


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