小さな天使


                                      作:ko2001


その日も,老婆は天井を見上げていた。
テレビも何もない部屋で,たった一人で。

たくさんの子や孫の長として,走り回ったこともあったが,
それも遠い昔のこと。
今は,薄暗い部屋で一人ぼっち。

(みんな,どうしてるんだろう? 私のことを覚えているのだろうか?)

(こんな年寄りに,この先なんの楽しみがあるというの。
いっそ死んでしまえたら,どんなに楽だろう。)

こんな,寒い,薄暗い日に考えることは,いつも一緒。何度も,何度も。


ふと,老婆は気がついた。
入り口の隙間から,だれかが覗いていることに。
(こんなところに,いったい誰だろう)
だが,入り口の影は動かない。

老婆は,不自由な体にむち打って,そっと入り口の隙間に近づいた。
そこには,一人の見知らぬ小さな子供がいた。
つぶらな瞳で,じっとこちらを覗き込んでいた。

(なんてキレイな目なんだろう。これになんて白い肌なんだろう)

老婆は,そっと手を振った。
その子は,一瞬ビクッとしたが,次に静かな笑みを浮かべた。
そして,子供は走り去った。

(いってしまったか。そりゃそうだよねぇ。こんな婆さん見ても仕方ないものねぇ。
でも,なんて澄んだ目をしてたんだろう。)

そうして,また静かに,天井を見上げ始めた。


次の日も,寒い一日だった。
老婆の心は,ますます,すさんでいくようだった。

(昨日の,きれいな目をした子供が,また来てくれないかねぇ)

所詮,無理な願いだとはわかっていたが,冷え切った老婆の心には,
そんな希望しか浮かばなかった。

(あっ,あの子だ。また,来てくれたんだね。こんな婆のところに)

その子供は,老婆の姿をしばらく見ていたが,そのうち,手に持った
お菓子を,入り口にそっと置いた。

老婆はうれしかった。うれしくて,また手を振った。
子供は,大きな笑みを浮かべ,帰って行った。


それから,その子は毎日来るようになった。
お菓子を持って。
老婆が手を振り,子供が微笑む。たったそれだけの交わりだけれど,
一人ぼっちの老婆には,かけがえのない時間だった。
老婆は,生まれて始めて幸せを感じていた。


そんなある日,急に子供が来なくなった。
(どうしたんだろう。昨日,咳をしていたようだから,病気でもしたんだろうか。)

次の日も,また次の日も,子供は来なかった。また,次の日も。

老婆は,待っていた。恋人を待ちわびる少女のように。
(あぁ,どうして来てくれないんだろう。また,あのつぶらな瞳が見たい。
あの,澄んだ目と天使のような微笑みが見たい.... )

老婆は見る間に衰弱していった。もう,体を動かすことさえできなかった。

(神様,どうかもう一度だけあの子に会わせてください。これが最後のお願いです。)

老婆は必死に祈った。この小さな祈りが天まで届くように。いつまでも,いつまでも。
薄れゆく意識の中で,子供の笑顔だけを糧に。

そして,奇跡は起こった。

入り口の向こうに,あの子供の顔が見えたのだ。

(あぁ,神様。ありがとうございます。ありがとうございます)

その子は,手に持ったお菓子を半分に割ると,その一方を入り口にそっと置いて,
老婆の姿をじっと見つめていた。

(なんてやさしい子。最後に一目会えて,本当によかった。私は幸せ....)

そして,老婆は息絶えた。子供に手を振ることもかなわずに。
しかし,この顔は,苦悩一つない,晴々とした笑顔だった。



−−−−−−−−−−−−−−−

子供は,じっと見ていた。
いつものように,お菓子を置いて。
でも,何も起こらなかった。

「ちぇっ,つまんない。今日は手を動かさないんだ。」
子供はそうつぶやくと,クルッと後ろを向いて帰ろうとした。

最後に,もう一度だけ,そこを覗き込んで見たが,さっき置いたお菓子の近くの,
大きなゴキブリは,二度と手足を動かすことはなかった。


                         END

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