世紀末の風景2
                                           作:ko2001


  ふう,やっと着いた。
  成田を発ってから18時間,ここはオーストラリアの南西部の町スモールウェールズから
  北西に500km走った小高い丘の町。名前は...なんていったかな?

  こんな砂漠の真ん中の小さな村で,これから国際会議が始まろうとしている。
  いや,もう始まっている。要するに遅刻したのだ。日本代表のこの私が...

  あれは,先月末のことだった。しがないSF作家の私は,最近までのSF不況で,
  すっかり執筆依頼もなくなったことから,総理府の刊行誌の編集のアルバイトを
  して食いつないでいた。

  私にも書きたいものはある。
  ただ,それは、短編バカSFなので,誰も相手にしてくれなかったのだ。

  そうして,再来月刊行の誌面の打ち合わせを行なっている時,不意に余った
  スペースに,私の短編を載せてはどうかという話になったのだ。
  総理府刊行物のスペースに。それも,なんでもよいのだと言う。

  それならばと,私は,最近暖めていたネタを話して,それを書きたいと懇願した。
  だが,担当者とその上司は,首を縦には振らなかった。
  時期的に,社会的問題があるかもしれないという理由で。
  そのネタとは,「1999年ノストラダムス預言」に関するバカSFだったのだが。

  しかし,その担当者からしばらくして連絡が入った、
  「 刊行誌への掲載はやはり無理です。すいません。
   でも,その手の話にお詳しい先生に,折り入ってお話が...」

  突然の先生への昇格である。これはあやしい。しかしなんだろう。

  総理府側の説明はこうだ。長いので要約すると,
  ・・ 実は,1999年の世紀末預言に関しては,もう10年以上前から,世界
  ・・ 各国の有識者による検討会議が秘密裏に行われているという。
  ・・ 今年に入ってからは,2ヶ月毎に行われているのだが,日本代表が病気
  ・・ で参加できなくなって困っている。ついては,私にその代わりに参加
  ・・ して欲しい。
  ・・ もし,参加してくれたら,私の作品の出版の機会さえ与えてくれる。
  とのことだった。確かに,その内容についての基礎知識は持っているので,
  問題はないし,タダで海外旅行が出来るとあっては,OKしない手はない。

  そんなこんなで,私は今ここにいるのだ。
  (前任者は,行方不明になっていたと聞かされたのは,その3ヶ月後だったが...)


  私は,とりあえず,その村の中に建つ,小さな建物に急いだ。
  そこには,確かに指定された名前が書かれていたが,はっきり言って,
  日本ならさしずめ,大きな公園の公衆便所といったところだろう。
  そんな中の,いったいどこに会議場があるのかと思ったら,なんと
  その地下には,1000人は入ろうかという大会議場が存在した。

  まさにSFチック...私は嬉しくなって,原稿を手に席についた。
  日本を発つ間際になって,提出用資料を手渡されていたのだが,
  全文英語なのと,発表の必要もないことから,私はそんなものには
  目もくれず,帰国後の出版に備えて,以前,刊行誌に載せようとした
  短編の膨らましにかかっていた。
  ここに来る乗り物の中で,プリントアウトしてきたワープロ原稿を
  必至に読んで加筆していたのだ。

  私は,会議そっちのけで,原稿と戦っていた。
  よし,後はオチだけだ。さて,どうしたものか?

  今まで使い旧されてきた,ノストラダムスネタなので,恐怖の大王を
  何にしようかと頭をひねったが,アイデアが出てこない...

  こんなことを20年以上前から研究/出版してきた,我が心の恩師 後トウ勉氏
  なら,どうしただろう。(しかし.あの人はどうやって食っているのだろう?)
  後トウ勉,後トウ勉,後トウべん,後トウ便....そうだ。便だ。

  最悪のオチである。でも,疲れで投げやりになっていた私は,世紀末に
  大便を降らせることで,その小説を締めくくってしまった(全くのバカである)

  やれやれと思った頃,丁度,会議の休憩時間になったようだ。
  なんだかデスクがなんとか言っているようだが,早口の英語で解らない。ま,いいか...
  ちょっと外に出て腰でも伸ばそうと考え,席を立った。
   この会議場の中は,涼しく空調は利いていたが,ちょっと風がきつかった。
  机の上の原稿が飛びそうになっているので,私は,他のみんながしているように
  机の左上のスペースに伏せて挟んで置いた。
  いやー,腰が痛いなー。んーーっと。


  昼食も済ませた1時間半後,席に戻った私は驚いた。

  原稿がない.....盗まれた?..誰に?....

  参ったなあ。まあ,朱書き主体だったから,帰ってからでも,また書けそうだが...
  一応メモしておくか....あー,面倒くさい。どこの誰だ。まったく。


  ふと,気が付くと,会場がざわざわと騒がしくなっていた。
  なんだろうと思っていると,司会者たちが私の方を見て拍手しているではないか。
  おまけに,手招きまでしている。
  私は,訳も分からぬまま,フラフラと壇上に上がった。
  会場のみんなが,私を拍手で迎えていた。

  その後の展開は,正にバカSFそのままだった。

  休憩前にみんなが机の上に置いていたのは,各国からの預言解釈の報告だったのだ。
  私も,出発前にそれを貰っていたのだが,代わりに原稿を提出してしまったのだ。

  だが,なぜか各国代表に好評のままに受け入れられ,今回の会議での推奨結論とまで
  なってしまった。あの,バカSFが。

  それからその報告書は,米国内部資料として,極秘(!)に公開され,世界中の人の
  知るところとなった。

  不思議なことに,全世界の,例えば,英国の洗練された?スラップスティック魂,
 ,アメリカの心底くだらない物好きのジョーク世界,フランスの正当なノストラダムス派
  の寺院達,バチカンを中心とするカソリック達,プロテスタント,ブードゥー教,仏教,
  儒教,神道,その他,それこそ,ありとあらゆる人々の共感を得る説となってしまった。

  世紀末にクソが降る...

  結局のところ,みんな不安におののいていたのだろう。そこに,公式見解として
  出てきた「クソ魔王」。
  みんな,笑いで誤魔化して,不安を払拭したようだ。

  後トウ勉氏のキリスト降臨説も,またまたぶっ飛んでしまったが,先月緊急出版された
  最新版では「緊急入手!! キリストはクソだった」と,ものすごい題名のを書いている。
  さすがに,身の危険を感じたか,どこかに隠れてしまったようだが。


  1999年6月のある日,私は,またしても例の会議に出席していた。
  今度は,もうこそこそする必要もなく,なんと,あのベルサイユ宮殿を借り切っての
  豪勢な会議となったのだ。
  もちろん,私は貴賓扱いで,参加していた各国首脳からも祝辞をいただいたりして
  毎晩のようにパーティと,それはそれは,天にも昇る思いだった。

  それでも,一応,会議の名目を守るために,最後の日に大食堂での報告会が実施された。

  しかし,今までように報告を提出する者はいなかった。
  世界中の意見が一致してしまった今では,新しい解釈など必要ないからだ。

  それでも,ただ一人だけ,果敢に報告の機会を求めた人がいた。
  名前を,ライアル・ワトソンJrといい,動物学者の息子だと自己紹介した。

  ライアル・ワトソン? ああ,あの日本でも某企業TOPが本にして有名になった説の...

  ワトソンJrの報告が始まった。(以下,和訳)
  「 ええ,今まで,全世界の頭脳でこの預言の意味を解いてきましたが,結局,
   全ての人が納得できる,統一見解は現れませんでした。
   それで.現在の見解が広まったわけですが。。。 」

  奴は,チラっと私の方を見て,露骨に嫌な顔をした。(ように私には見えた)

  「 私は,その統一見解の無さに注目して,そちらからのアプローチを開始し,
   ようやく,その真意に気付いたのです。
   結論から言えば,預言の解はなかったのです。最近まで。

    私の父は偉大な動物学者でした。そして偉大な発見をしてこの世を去りました。
   そうです。100匹の猿 と呼ばれている理論です。この知識の融合と同時に
   われわれの未来が決定されたと考えます。・・・ 」

   私は,目の前が真っ暗になった。
   いったい,なんてことをしてしまったんだ....


   おりしも,長雨の続く東アジア地域で,茶色の豪雨が降ったとの報道がされたのは
   その一ヶ月後であった。

   そして,世界は...


                            END

      (なお,本編はフィクションであり,文中で使用された人名等は,実際の人物とは関係ありません)


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