狩野 晴川院 養信(かのう せいせんいん おさのぶ) (1796〜1846)
号は玉川、後で晴川院、会心斎。狩野栄信の長男で文政二年法眼、天保五年法印となる。江戸城を初め多くの障壁画を描き、筆力強く努力家で多くの模本縮図を伝え、その記述の「会心斎年記」は狩野家の研究の必須文献である。単に木挽町狩野家だけでなく、全狩野派の中で最後の大家であった。
状態:概ね良好
コメント:山水図の双幅の中に七福神と松竹梅がそれぞれ散りばめ描き込まれた面白い作品。祝時には当然ながら普段掛けの双幅山水図として狩野派古画をお楽しみいただけます。 |