岸駒(がんく) (1756〜1838)
本姓は佐伯氏であったが、岸氏に改め名を駒といったので、音読が通用している。号は同功館、可観堂、華陽。加賀国石川県金沢に生まれ京都に出て有栖川宮の侍臣となって天保7年に蔵人所衆、従五位下、越前守に任官す。定まった師はいないが円山、四条派を学んで折衷的な画体を創り、特に筆法に鋭い覇気があって個性的である。その長男 岱、養子の良、義子の連山を初め、河村文鳳、森鳳洲などの高弟や多くの門人を出して、高名な四条派に対抗して一派をなしたので、これを岸派という。
状態:本紙に経年の弱いオレ少々あるもあまり気にならない程度。
コメント:虎描きの名手による大鷹図は珍しいです。動物描写が得意だけあって、鷹も眼光鋭くとても覇気ある作品に仕上がっています。川の上の岩で羽を休めるも猛禽類の眼光は衰えず。迫力ある大鷹図です。 |