農村パラダイス『第二章』

二日前に埼玉を、自作の省エネ・カーで出た後藤が、明日の昼頃着くとの連絡があった。ハイウエイを二日間走り、更に、ここのオフロードでテストするのだそうな。僅か80CCの省エネ・カーが、随分と進歩したものである。それにしても90キロの巨体と省工ネ・カーの組み合わせは、どうもピンと来ないと言うと「冗談いうな、線香みたいなドライバーが乗った省エネ・カーが実用になるかい」と言い返す後藤であった。

 澄子が「後藤さんが、お好きだから」と、去年の、いくり酒を出してきて、しきりに宮めて居る。一郎が見かねて「おい汚いじやないか」と言うと「なーに、わかるもんですか」と澄ましている。今年は天気が良かったので、いくりも豊作とみえて、あたり一面あま酸っばい香りが満ちている。そう言えぱ「いくりの匂いをかぐと、アレルギーが直るんだよなあ」と、後藤ばよく言っていたものである。いくりとは、プラムの一種でこの地方の特産品であった。折よく、数日まえ、中小家畜屠殺員と言う面倒臭い肩書きの小島が廻って来て、豚を一頭屠殺ったところだったから、ご馳走には事欠かない。その豚も、かねがね仲間の三角が「トーモロコシで育った豚は肉が青臭く、つんつんして旨くない。やっぱり麦ぬかと芋でなくては肉の香りが付かない」と言って共同飼育していたものだから、市販のそれとば一味も二味も違っていたのは言うまでもない。

後藤も、ここへ釆ると、食い物が旨い、空気が旨いと言うくせに「うちば家内が百姓は嫌いなんてな」と言って仲間には入ろうとしない。尤も省エネ・カーのテストには、埼玉と熊本は、丁度いい距雌なんだそうである。「オフロードのテストだけなら傾斜40度のここは、打ってつけなんだけどなあ」と言うのが法螺半分と間いても、一昔前のオフロード・カーのテストを省エネ・カーがやろうと言うのだから、恐れ入谷の鬼子母神である。

後藤と三角の機械談議はいつ果てるとも知らない。自家製の熊酎を飲み交すうち夜もしらじらと明けてきた。この辺りの夜は驚くほど涼しい。「この温皮差が西瓜や果物の糖化を促すんだよなあ、埼玉じや駄目だ」三角がしみじみ言う。むこうで梨を作っていた経験があるからだ。

「今日もいい天気だ。みんなで一走り山鹿温泉に行こうや」
一郎が齢を忘れて言う。
「俺の省エネじやあ四人は無理だぞ」後藤が冗談ぽく言うと、
「心配するなよ」と三角が真顔で答えた。
三角の車は古いとはいえマジェスタのGであった。

『農村子日く』

 さて、いくら「清貧」に甘んじるといっても、物質的には、あらゆる贅沢に慣れてしまった日本人だ。我々老入とて、その例外てはない。「疎食をくらい、水を飲み、肘をまげて、これを枕とす」では、人がついてこない。やはり、ある程度のものば必要であろう。

農家の出稼ぎが多くなり、兼業が多くなると、かえって能率の良い大型の農作業機が要るようになり、小型のそれは、多くが見捨てられたまま放置されているが、楽しむための五反百姓には、うってつけの機械だ。そのかわり修理や整備は、全部自分でやる必要がある。これは新しいものを、やたら売り付けられないためにも、修理屋不足に対処するためにも、必要な条件の一つであろう。更に大切なことば、少なくとも、自分が作ろうとするものに関しては、専門的な、正しい知誠を持つことである。

 たとえば最近「自然養鶏の奨め」などという類の、時流におもねた内容の本が、沢山出ているが、専門的にみると、その内容は、ほとんど噴飯物に近い。こういうものを、そのまま信じると、とんでもないことになりかねない。いわゆる「生兵法は大怪我のもと」である。そうして、それぞれの農家が、我こそ日本一というような篤農技術を持てば、もう鬼に金棒であろう。ところが、得てしてこういうものは、市場に出すと、規格外品で買い叩かれてしまう。だから、そのようなものは、時間をかけて、まず知り合いから口こみで販路を広げていくようにしなければならない。私の卵にしても亦しかりであった。

 ここでば西瓜を取りあげたが、作品にする以上、予めそのイメージを創り上げておくことが大切で、例えば「糖化西瓜」のイメージを問われたら「西瓜の中に、かき氷が、詰まっている」というふうに答えられないといけない。あとば、それに一歩でも近づける努力をすることだ。このような創造的な仕事を、どうとらえるかで、農業は楽しくも楽しくなくもなる。そうして、そこまで行けば「農業とは芸術である」と言えなくもないだろう。

 どうも日本人は、自分の判断で、独り歩きすることが苦手らしい。農耕民族特有の、「みんなで渡れば」意識が、しばしばメデイアの報道に流され、ひとつのものだけに飛び付くダントッ現象が起きたり、有機農業とやらが流行語として流行れば、化学肥料の有難さも忘れてしまう。農薬の場合も同じことで、何でも極端に走ってしまい勝である。西瓜に例をとれば、どれもこれも割れにくい「とうがん西瓜」ばかりになってしまい、ほんとうに旨い西瓜は種すら残っていない有様だ。全く情けないくらいである。

「白い羊の中に、黒い羊がいない群れは繁栄しない」とは、西洋の諺だそうだが、黒い羊と見れば追い出してしまおうとする、民族の傾向にも困ったものである。