農村パラダイス『第十章』

「戦後五十年たってもまだ健康食品のままか」炬燵にあたって農業新間を読んでいた一郎が記事を指さしながら澄子に手渡す。

そこには[鶏卵栄養価ほぽ同じ個性化より安全性追求を]という見出しで日本獣医畜産大学の石橋教授の研究成果報告の内容が書かれてあった。「西瓜作りだって何だって栄養価だけでどうこういわれたら、こんなつまらないことはないよな」と一郎は澄子に同意を求める。

「そう云われれば」と澄子
「そんな食品は卵だけかしら」そう答えながらもそれ以上の興味は無いと見えて洗い物の後片付けに台所に立つ。

一郎にとって運がいいことに縁側から小泉が現れた。
「なあどう思う」といわれて遠近両用めがねをづりあげてその記事を読んだ小泉は、うんうんとうなづいて眼鏡をはづしておもむろにふきながら

「たしかにこの先生、色やトリメチルアミンなどが卵黄に移りやすいとしながら それを欠点として取り上げているだけで、飼料による卵の味の変化の可能性については味覚音痴かもしれぬ先生達による官能試験やアンケートの結果にまかしてしまっている。ここらに学者先生の限界があるんじゃが、でもなあおぬし、おぬしは養鶏をやって居た頃から、生卵にも日本の食文化があるというていたが、日本の農村の貧しさのなかでは、そんなもん育たなかったんと違うか…」

「確かに」と一郎もうなづいて
「味のことまでとやかく言えなかった貧しさ、それこそが日本人がこんな豊かな現代にまでひきづっている卵の文化というわけか」

「ワインと比べてみればわかるじゃろ」と小泉は続ける
「ソムリエの確立こそが、とりも直さずワインの文化じやよ。ソムリエが、そのわづかな味やかおりの違いからどこの何年物と当てるだけでワインの価値も上がる、そこには百人に間きましたなんてものの入り込めない文化がある。大体、ものの味なんてアンケートの多数決できめるもんじゃなかろうが、そのなかのだれかが家に持ち帰ったら三歳の孫がこれしか食わないといった、案外そんなところから始まるんじゃろ。まあその結果がワインでいえば赤王ポートワインだったりするんじゃろうが」

「なあんだまた茶化されたか」なかば憤然とする一郎だったが、いつの間にかもどってきた澄子がニコニコしながら茶をいれている。
「あれ、鶴屋吉信の銘菓じゃね。いいところへ来たな」
「伊藤達也様の奥様からの頂き物ですのよ、インフルエンザも治られたそうですの。
寒卵のおかげだって俳句までいただきましたわ。
小泉さん、かわりに御返句をお願いしてもいいかしら」
うなずいた小泉、「寒卵ねえ、」といいながら便せんにすらすらと書いたがお世辞にも達筆とはいえない。それでも出来た一句

病癒えたとの 便りもうれし 寒卵         龍 義