農村パラダイス『第七章』

 一郎はユンボを使って、来年の西瓜畠を堀り起している。文字どうり畑違いの、上木作業機である、この小型パワーシャベルは、山あいの小さな田畑の深耕には、持ってこいである。大型のプラウは、とても持ち込めないし、手作業では大変だ。

 ここから東南に見える阿蘇の煙りは、その中腹から、今日は真直ぐ立ちのぼっている。例によって、小泉がやってきた。「いやあ、三角さんがユンボと言った時には、どんなもんかと思ったが、やっぱりたいしたもんじゃ。去年の稲は根の先が三尺近くも伸びちょった。動物でも植物でも、うまいもんば食わさんと、うまかもんは出来ん。ろくに耕しもしないで、化学肥料だけに頼ってきた、アメリカ式大型農業では、新陳代謝の阻害や塩害だけでなく、肝心の植物自体が、旨いものを探す努力をしなくなるから、根は張らなくなるし、品種の改良も、それにそって行なわれるから、ますます根の退化を促すことにもなる。旨いものがどんどん無くなっていく道理じや。」

ごちゃまぜの、何処のとも分からぬ小泉の言葉だが、当を得ている、と一郎は思った。

 軽ダンプに厩肥を満載して福田が来て、替わりましょうと言う。まだ陽ば高かったが小泉を伴って一郎は我が家へともどる。裏山から引いてある架け樋の清水も、手を洗うと、すっかり暖かく感じられるようになっていた。

「あーあ、まきだごが食いたかね、奥さん。」
食うことの好きな小泉は、そのくせ作るほうは苦手だ。
「そうそう、今夜後藤さんがみえますよ。すこし沢山つくりましょうよ、あなた。」
得たりやおうと一郎は立って、早速、小麦粉を練り始めた。からいもを、うどんの生地で包み、茅の葉を敷いたセイロで蒸しただけの、まきだごは、小泉の大好物だった。

昔、熊本駅に降り立った彼は、売店で、くだんの物を見付けて小躍りしたが、なんと、それには餡まで入っていて、まったく別の名が付けられていたという。『熊本の駅で見付けたまきだごはいきなりだんごと名をかえており』と歌までつくって嘆いた小泉の様が見えるようである。

そういえば、後藤も、まきだごはお気に入りで、この歯ごたえと、さつまいもの素朴な味が何ともいえぬと言い「熊本にば朝鮮飴ぐらいしかないと思っていたら、こんな旨いものが有るじゃあないか」と誉めるのか、くさすのか分からぬことを言っていた。「残りは、だごじるにしましょうね」澄子が言うと、甘いものに目が無い一郎は「それなら、あずきだごじるにしろよ」信州地方の「あずきほうとう」である。