鶏飼い時事(じじい)…『サルモネラ問題と卵』



昭和60年4月号の雑誌ミセス80ページに『ここまできて篠原さんは「昔の味をといっても、どこまでもどればいいかわからず、たとえばまた地面で飼いだし、絶滅させたはずの雑菌を復活させる危険性が…」』と書いてある。

雑菌とは、昭和30年代にかけて、一部種鶏で大問題となった雛白痢の非特異反応事件で菌検索の際、引っ掛かる食中毒菌サルモネラ・エンテリティディス(SE)を指したつもりだ。当時の教科書、平戸勝七編「獣医微生物学」277ページに「わが国で1949〜1957年の間に分離されたSalmonella」という表が乗って居る。そのSEの項ではウシ16、イヌ145、キツネ、ミンク19、ネズミ32、マウス48、モルモット163、ヒト21、そしてタマゴ30などと分離数が記載されている。

最近ではよろず《清浄国論》のせいかSEは外国か持ち込まれたとされているが、少なくとも当時はむしろ我が国に一番多い種類だと解説されている。当時、われわれはそんな事情から畜舎に多いネズミ原因説を唱えて検体確保のため軍手をはめて手で捉える練習をしたりツベルクリン針による尻尾からの採血を試みたりした。それが昭和40年代にはいりケージ養鶏が普及するとSEはまるで影を潜め、代わりにtyphimuriumが出てくるようになった。そしてそれも出なくなって行く。だから雑誌に「絶滅」と云った。鶏、卵に出なくなったと云う意味である。

その直ぐ後に、動物愛護運動の高まりから地面養鶏にもどったイギリスでSE騒ぎが起こり女性の農相の警告発言でSEは世界的な知名度を得た。我が国でもSEの新規海外流入説の白田氏の論文などで最近はそれが鶏原因説とともに定着している。一旦定着すれば、その仮説に沿った論文ばかりになる傾向はBSEの場合と同様である。

さて、さながら絶滅したかと思わせた昭和40年以後は手集卵による解放ケージの全盛期で、加えてGPセンターの普及により、一時的に卵とサルモネラは絶縁状態になっていた。そして新たに問題が発生したのが都内施設での中毒事件であった。そしてそれ以後、ティラミス事件、家庭で生卵によるとされた事例が報告され、卵原因説は抜き難いものとなり、「生卵にサルモネラ菌をブチュー」とやった自然界にあるまじき実験をもとに70度加熱の指導がなされ、都内のホテルから生卵が一掃されてしまった。

そして、それはそれとした最近の醤油による<卵かけご飯>ブームの中で起きた今朝の東大阪の不幸な事件は今後嫌でも週刊誌にも取り上げられるだろう。その卵を出荷した養鶏農家などからは菌は検出されなかったと聞くが、繰り返すようにSEそのものは卵に限ったものではなく、動物のあるところ何処にでもいると思った方がいい。確かに卵は栄養が豊富で菌が付着すれば繁殖しやすい。だからこそ種の保存の為にも微生物の侵入を許さない構造の卵殻を備えて居るわけである。

健全な殻から取り出した直後の生卵は安全そのものである。その信念と永年の実績を元に私達も注意深く仕事を続けて居る。本来的には、老人、子供、弱ったときには卵と牛乳である。ただし健全な卵の構造と管理は欠かすことは出来ない。それがあっての安全性でもあり何でも良いというわけでは無論ない。

H 18 7 11. I,SHINOHARA.




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