『サルモネラ関連のホームページなどを見て』



総じていろいろな文献の寄せ集めが多く、やはり必要な川上情報が少ない。確かに生産現場からの情報は、我田引水的で科学的根拠が無さそうに取られがちだが決してそんなことはない。自然の摂理や生産現場を無視した室内の実験結果や変わることが前提になっているような学説の羅列はいたずらに混乱を招くばかりで百害あって一利なしだと思う。

あれほど世の中に広まった卵のコレステロール問題も、元がウサギを対象とした実験結果だと分かって最近はどこかへ行ってしまった。こんな自然界ではあり得ない、また生産現場をまるで無視した勝手な実験をもとにした文献類を並べ立てられたらたまったものではないし、それらから結論を引き出しておいて、その部分だけ前後の脈絡なしに後から訂正したりしてあるのはなんとも解せない。仮に生産現場でそれらの情報をなんの見境もなくとりいれて行ったとしよう。生産どころではなくなる。消費者側でもそうだ。そんな危険な生卵は食べるのはよそうということになってしまう。百害あっての一利なしといったのはそのことだ。

しっかりした生産現場は皆それぞれに、卵の安全性についてもノウハウを確立して居るはずである。それぞれの研究や実績にもとずいた確信が無ければ、何十年も無事故で顧客に生産物を提供できるわけがない。料理する側にとっても、生卵かけ御飯は日本独自の食文化としても、卵のうまさを引き出す料理のほとんどは生か半熟として調理して居る。いろいろな文献と称するガセネタをそのまま受け入れたら卵を使ったうまい料理は出来なくなってしまうし、永年良質なタンパク源として卵を利用してきた病人やお年寄りは、明日から栄養失調の憂き目を見ることに成りかねない。

繰り返すように生産現場は自分の基準をもっているから、それに合わせて情報を選択出来る。必要な情報はとことん追求し、野外ではありえない実験結果などはガセネタとして排除する。昔からわれわれは現場にもとずかずに文献だけを披瀝する人達を文献屋と称したが、やはりそれぞれの立場できちんとした基準をもつべきである。

たとえば私の卵作りは、健康な鶏の卵の中は無菌であるはずという前提で始まっている。あれほど悲惨なエイズでも母子感染は分娩時血液と触れることで行われるという。体内で子宮はそれほど守られた器官であって中に細菌が入ることは本来許されないことだ。鳥類にあって卵はその子宮にあたり健全な種の保存の為には無菌でなくてはならないのだ。と、まあここまでは自然の摂理とはいえあくまで原則論である。実際にはそれぞれの現場で、それを保つようさまざまな努力研究を重ねて卵の安全を維持してきたのである。

われわれの世代は鶏に対するサルモネラの恐ろしさを知っている。昭和30年代のあるときバタリー飼いの全羽数がチアノーゼをおこして沈鬱状態となり産卵も停止した。すぐ農林省家畜衛生試験場細菌研究室の安藤室長にお出でを願ってとりあえず、ヒナ白痢の診断液で凝集反応をしらべたら今まで見たことも無い強陽性、病性鑑定の結果は 鶏チフスであった。このように実験室内で簡単に菌を食わしたり、卵に注射したりして不自然に人意的につくるものと違って、野外では広範囲に重篤な症状を伴いとても看過できるものではない。

本来、血中に菌がまわる菌血症や敗血症は人間にも鶏にも死をもたらすもので、それでなくても日夜にわとりの観察を怠らない生産現場からすれば、とんでもない実験である。ただ戦後あれだけ猖獗をきわめたサ.プロラムをふくめたサルモネラが一時期まったく影を潜めたのは数パーセントの糞つき混入は普通だった初生ヒナから、それがなくなったことにみられる種鶏管理の徹底と、確かに一時はニトロフランンなどに頼った面があったにせよ一段ケージの普及によるところが大であるとし、構造によってはまたぶり返す恐れがあることを指摘{昭和59年ミセス4月号}しつづけてきたわれわれとしたら、いままでの経緯からしてもS.Eが輸入鶏にくっついて来た鶏特有のサルモネラだとするような珍説にともなう作られた実験結果など到底受け入れられるものではない。

S.Eはどこにでもいる。胎生動物の子宮と全く同じに安全な卵の殻を割ったらもう安全は保証されない。すみやかに調理し、すみやかに食することだ。徹底して管理された種鶏、汚染されない環境、よく観察された健康な親鳥が産んだ健全な卵は、繰り返すように自然の摂理からも安全でない筈が無い。私の長い卵作りもそれを証明している。

篠原 一郎



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