『サルモネラとにわとり』  しのはらいちろう



このことは、とっくに解決済みと思っていたのに、昔からの経緯やら鶏の飼養環境の変化のことなど何もご存じない一部の学者の勝手な推量をもとにマスコミが大騒ぎしているのを見ると、つい黙っていられなくなり、あたりさわりもあるからとこらえてきたことも含めて、ちょっと一言ということになった。

ここに昭和39年養賢堂発行の獣医微生物学という本がある。その277ページにわが国で1949〜1957年の間に分離されたSalmonellaという表があり当時すでにサ・エンテリティディスが一般の犬猫ネズミなどのあいだに広く存在していたことが記されている。いや今の菌種は当時のとは異なると強弁する学者は私にいわせれば、その方が都合良しとする行政機関のまわしものだ。

当時、地面の上で農林省の13−30号系原種鶏を飼っていた私は、いくら淘汰を繰り返しても次々と出てくるサルモネラ・プロラムに手を焼いていた。家内と二人、診断液を使って血液検査をするのだが陽性反応のまだら模様が目に焼き付いて眠れない程だった。

これは単なる血液の非特異反応だという説もあったがサルモネラ陽性は陽性である。
菌検索の結果を見なければわからないがサ・プロラムと同じ診断液でひっかかるものに人間に腸チフス様症状をおこすサ・エンテリティディスがある、したがって放っておけなかった。陽性化の原因としてはネストに入る鼠の排泄物、種雄の交尾、陽性鶏の糞、土壌の汚染があるという。仕方なく当時輪入されたばかりのケージに鶏を移して習い覚えた人工受精を始めた。そしてそれ以後二度と陽性鶏は現れなかった。

期を同じくして採卵養鶏でも卵が糞で汚れず高く売れ能率もいいということでケージが日本中にひろまった。種鶏も土を踏まなくなり、卵もGPセンターで洗って一個ずつ独立してパックにおさまるようになると当然のことながらサ・プロラムもサ・エンテリティディスも姿を消して行き、あとには鼠由来のサ・ティフィムリュウムが残った。

それから20年、卵は全く安全な食品になったかにみえた。ところが喉元過ぎれば熱さを忘れる、イギリス辺りで始まった動物愛護運動は燎原の火のごとく広まり、またぞろ鶏を地面に戻した。おまけに全く食卵つくりには意味がないうえ危険きわまりないサルモネラ未検査の雄を配して平然としている無神経さ、土の上で排泄物と一緒に集団で暮らすこと、そのことによる環境汚染、性病の間題、数が増えた今微生物などによる自然の脅威は鶏も人間も全く同じなのに。

果たせるかなサルモネラ間題はイギリスで始まった。同じころアメリカやオランダなどでは、ウインドウレス鶏舎がはやりだし集卵ベルトの上を鼠が我が物顔に走りだした。一旦消えたサ・エンテリティディスが復活するのは当然と私は思い、すでに昭和60年4月号のミセスでそのことをしゃべっている。
ただこれらはあくまで私の我説に過ぎない。

だがサルモネラによってほとんどの雛が斃死した昭和20年代、種鶏のサルモネラ検査は必要不可欠だったし、養鶏家は皆、サ・プロラムやコクシジュームから雛を守るためいかにして土から雛して飼うか悪戦苦間した。そんな貴重な体験を弊履の如く捨て去った養鶏界がまた同じようなことで悩むのも歴史の流れだろう。そして当時最新のケージ、今では在来のそれによって私がサルモネラを遮断したことは事実なのだ。

平成10年5月28日談



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