農村パラダイス『第一章』

「農地は耕作者自身が所有することを最も適当と認め・・・」
新しい農地法の第一条の書き出しは、皮肉にも昔のそれと全く同じだった。

十年前、米の自由化に怯えて政府や全農が進めた大農家育成は無残な矢敗に終った。莫大な資金を突っ込み、一応はアメリカのあとを追ったものの、農村の過疎化は進み、投下資金の償還を別にすれば、一応のコストダウンば図れたが、肝心の農地は疲弊し、外国産に比べて旨い筈だった米の味は、ブロイラーや卵と同じように、みるかげも無くなってしまった。

 農畜産物の味は品種にあるとばかり思い込み、古来の篤農技術を、挙って弊履の如く捨てて、技術革新と規模拡大にのみ走った大きな報いだった。矢張り農村には耕す人が必要で、大勢が楽しむ農業にすることが最も有効な過疎対策だと悟った田中総埋は、いくら合併を繰り返してもにっちもさっちも行かなくなった全農にも働きかけて、もう一度昔の五反百姓の創設を、法制化させたのであった。

 第二次農地開放は、はき捨てられた田畑が、全国至るところに山積していたこともあって、むしろ時流にあったこととして歓迎され、農村パラダイス化の構想のもとに、なんなく施行されたのである。新農地法の趣旨は、自給自足型の五反百姓を数多く創設して農村人口を殖やし、農村を活性化することにあったから、それに伴うありとあらゆる施策が講じられた。

 具体的には、例えばドブロクやワインを作ったり、豚を共同屠殺して自家製のハムやソーセージに加工することも、牛乳からバター、チーズを作ることも、自家消費については自由にできたし、一定の監督のもとに共同施設を設置すれば自由に売ることも出来るようになった。当然のことながら、自分で作って消費出来るのだから、独特の旨いもの造りにみな精魂を傾け、すっかり忘れ去られていた篤農技術や精神まで見直され、古くからの農村文化が一斉に蘇生し、花開いたものの、過疎地もまだ、そこここに残っていた。

 二00一年、篠原一郎68才、妻の澄子と、熊本県鹿本郡の或る山村の小さなあばらやの縁先で、ぼんやり空を見上げていた。気の合った仲間、今では五家族と、この過疎の地に移り住んで五年目の夏である。

「 庭先に 桃栗ありて 我が家かな 」

ずっと以前、どこかでみた誰かの句を口すさむと、一郎は、よっこらしょと立ち上がった。電話が鳴ったのである。テレビ電話の画面に娘の祐子と孫娘の笑顔があった。
「明日の朝の かいもん で着くから西瓜とっといてね、おじいちやん・・・バイバイ」
「相変わらず、ぶっきらぼうな電話だよばあさん」
「安心しきっているせいですよ、きっと」ぶつぶつ言いながら、それでもふたりはうれしそうに、それぞれの準備を始める。
「朝の三時起きはつらいな」

一郎が手入れを始めた三菱のミニカは、こっちへ来るときに、友達の後藤から只で譲り受けたものだったが、十万キロを越えた今でもまるで故障知らずだった。「三角さんが、しょっちゆう診てくれているから、、」まるで、あんたや車が良いせいではないと、いいたげな澄子に「ところで西瓜は大丈夫だろうな?」と一郎が聞く。「さっき糖化計で診ておいたのがあるけど、祐子達に食べさすのはもったいないくらいよ」澄子が笑った。その糖化計とは、一郎達の要望で、ああでもない、こうでもないと、後藤が、さんざ考えて創った傑作で、ここでの西瓜作りには、欠かせないものとなっていたが、当の後藤に言わせれば「他で売れないものなんか造っても一文にもならない」と言う代物でもあった。

 一郎と糖化西瓜との出会いは六十年近くにもさかのぼる。この村を初めて訪れた一郎が味わった西瓜は、関東のそれとは似ても似付かないものだった。西瓜の中一面がすっかり糖化してまるで砂糖のように甘かった。一郎の父に秘訣を聞かれだ貞さんは「硫安ちゅもんば、ちっとやってみなっせ、そうにやうまか西瓜になるけん」とほこらしげだった。硫安を少しやって、うまい西瓜が出来るとは今では信じられないが、当時の農家が化学肥料をどんなに有難がっていたか分かる話である。

ここに住んで三年目、あこがれの実生糖化西瓜が出来たとき、時あたかも田中内閣が誕生し、テレビ・リポーターあがりの初めての首相として話題を集めていて、リポーター時代の縁で政治家嫌いの一郎が、あえて献じた糖化西瓜がテレビでの祝賀会に供され、そっと置かれれたにもかかわらずまるで弾かれたように割れたものだから、農家出身の首相が感激し、自ら「八方破れ」と命名してくれたところから、爆発的な人気をよんで、一個五万円の高値を呼ぶほどにもなった。

「見込みどうりだったな」と一郎は笑ったが、なに見込み違いもある。埼玉で養鶏をやっている長男の伸太郎からは、仕送りどころか金送れの催促ばかりである。

『農村子日く』

今まさに、米の自由化間題がかしましい。私は、しかし、自由化してもしなくても、このままでは日本の農業は駄目になってしまうだろうと考えている。

農業が駄目になる原因の第一に、多くの人は経済的な理由を挙げる。農業でば儲からないから若い人にも魅力がないんだと。そして農業後継者の不足を嘆き、こうなったらアメリ力並みの大規模農業を目指して、本当にやる気のある少数の人達に日本のそれを任せるしかない。そんな全く見通しのない馬鹿気た考えが、今や主流になっている感さえある。私の親父は、戦時中、六十才近くになって百姓を始めた。当時の農業だから、たしかに肉体的には重労働だったが、親父は、その晴耕雨読の生活に満足していた。だからこそ戦後は図に乗りすぎて、ここ東松山で開墾百姓を始め、こんどは文字どおり、死ぬ苦しみを味わった。

 当然その生活を共にしてきた私は、どうしたら楽しめる農業が出来るかということだけを考えてきた。最初の熊本では、天下一品の西瓜が出来た。気候土壌の関係か、何を作っても旨いものが採れた。が、東松山のほうは、特に旨いものは何もない。さりとて畜産物は、屠殺は出来ない、販売は出来ないなど制度上の制約が多すぎる。依って唯一つ自由な採卵養鶏を始めたわけであった。

以来「卵は作品である」を標榜して、ここまで来たが、あらためて、何が楽しめる農業を阻害しているのか考えてみることにした。

 先ず挙げられるのが、前述の、がんじがらめの諸制度である。なんで伝え聞く、旧西ドイツやフランスのようなやりかたが出来ないのだろうか。農業は国の基本だと持ち上げながら、その実、搾取と重労働を強いてきた封建時代のそれを、日本の農政は、まだ引きずっているといえまいか。そのどこにも「楽しむ」要素がない。かろうじて「苦しいから助ける」「言うことを聞けば金をやる」ということで、まるっきり概念が違うのである。金儲けと、物質的な豊かさだけを追い求める現代の風潮を、快く思わない人ば大勢いるはずだ。質素でばあるけれど、心の豊かな「清貧」を懐かしむ入も多かろう。そんな人達にとってこそ、農村パラダイスが必要なのだと思う。巷に食料があふれ、外国からば買え買えとせまられている時、大規模省力化による増産を考えること自体がナンセンスだ。

まず自らが楽しみ、それを通して、日本人の心や文化を考えるようになったとき、もっと住みよい日本があるに違いない。そしてそれに手をつけるのは、少なからぬノスタルジアをもちながら、経済の復興と金儲けだけに全精力を突っ込んできた、我々老人でなければならぬと考えたのである。今の農業は、適度な機械化をすれば、決して重労働でばない。五反百姓くらいなら、老人パワーの活用で充分である。自分で整備さえできれば、小型の農業機械は中古がいくらでもある。唯一、小型のそれでは深耕が出来ない。甫場が狭いことも考慮して、小型パワーシャベルの利用を考えた。現在我が家でも中小三台が稼動している。こうして、生産して出荷する農業から、自給自足の楽しむ農業へと、発想を転換すれば、昔と違って、機械を扱える老人は沢山いる訳だし、わすかな年金でもあれば尚更のこと、彼らは正に、ゆとりのある健康的な余生を送ることが出来るというものである。そしてそのような人々が殖えることによって、自然に農村人口は多くなり、いやでも活性化するようになるだろう。

私の専門の養鶏一つをとっても、インチキ書が奨める、平飼いや放し飼いでは、手数はかかる、土壊は汚染して病気はふえる、野犬や狐狸の被書は受けるはで、まったく取り柄はない。何でも自然というような時流やムードに乗っかって、半可通の素人が書いたりするからそういうことになってしまう。これには、昔流行ったバタリーといううまい方法があるのだが、いまだに誰も着目していない。こんな盲点となっている埋もれた技術はいくらでもある。

 それにしても、繰り返すように今のがんじがらめの制度を、何とかしてくれなければどうしようもない。ドブロクもつくれない、豚も屠殺できない、肉や乳の加工ももままならないでは、独自の旨いものなど出来っこない。また今、家庭菜園などをやると、種子と肥料代だけで赤字になってしまうだろう。特に種子代がべらぼうに高いのである。どれもこれもF1で自家採種出来ない。そしてそれらの種子には、家庭菜園には全く必要のない要素まで盛り込んであるばかりか、多くの場合、いちばん肝心な味が犠牲になっているのだ。

そこで、もっと単純な、味だけ良ければという、もとの種子を探しても、そんなものばどこにもない。驚いたことに、原種を保存すべき国や都道府県の種場までが、功名心にかられるのか、おばけのような交雑種を作って売り出している。嘆かわしいことこのうえない。近頃よくいわれる、消貫者の二−ズに合せるということは、逆に生産者の主体性を失わせる結果にもなっている。その上、消貴者の二−ズといいながら、その実、流通業者の都合であることがあまりにも多いから、扱いにくい旨いものはどんどん姿を消し、みてくれ本位のものばかりが残ってしまい、遂には、その味に消貫者ば慣らされてしまうのだ。