馥郁という言葉 @



 馥郁という言葉から連想する良い匂いとしては、焼きたてのパンなどと共に卵もその一つに上げられた。あくまでも昔はの話である。童謡でも「お母さんて良い匂い お料理していた匂いでしょう 卵焼きの匂いでしょう」と歌われていた。それが何処から来ていてなぜ失われたかといえば、すべては卵の原料である鶏の餌がすっかり変わってしまったからである。

 わたしの母はつねづね養鶏場の卵は不味いと言って、自分で数羽の鶏を飼い、その餌をしつらえていた。麸と乾鰯と刻んだ青菜を残った味噌汁にお湯を加えて溶き毎朝与えていたその香りこそが卵の匂いの原点だった。
 鶏の餌として利用した糟糠類は沢山あるが、卵に香りを付ける意味では麸をおいてほかにない。米糠などは脂肪が多く、脱脂すると香りも嗜好性も悪くなる。発酵させるともともとの香りは失われる。
 麸と煮干と青菜を練ったものなど人間が食えたものではないが、香りだけは卵に移行する。人が直接食えないものを家畜の腹を通してうまい肉や卵にする、これこそが畜産の本道である。

 自然のものを利用すると色々な卵が出来る。エビガニをやれば真っ赤な黄身、タニシを与えれば黄身の縁の黒い卵、卵の黄身の色に標準などどこにもない。
 昔、あるところからキャビアのビン詰をもらった。生臭くてうまくなかったので、試しに一羽の鶏に与えた。出来たのはタニシの卵と同じだった。原価一万円の卵の発想はここにある。

 昔の卵と今の卵の一番の違いは餌のカロリーである。昔の卵を作ろうとするなら少なくとも餌1キログラムあたりのカロリーを2500キロ以下に落とす必要がある。産卵は激減してしまう。大食いの鶏は一朝一夕では出来ない。 まあざっとこれらが私の卵作りの根本にある。
昔の鶏は産卵能力が低かったから穀類などを多給するとすぐ腹に脂肪が付いた。だから玉蜀黍や米などはあまりやっては駄目だといわれた。米を与えるなら専らモミシイナである。因みに当時の養鶏指導者の高橋広治さんはトーモロコシを苞米と書いた。形態的にぴったりである。

 戦前、高橋さんは指導者として全国を飛び回った。その鞄持ちを自認していたのが、ヤマコ飼料の水島顧問だった。そこで聞いたうわさ、新宿、渋谷界隈で馬糧を広く扱っていたのが小山さん、沢山の馬繋場(OKコラルの決闘でいうコラル、本来コラルを牧場と訳すのがおかしい)も持っていて最大のお客さんがエビスカレーの前身の馬力屋さん、戦後はどっちもひっくり返してエスビーカレーとヤマコ飼料になったという話。浅草カンノンカメラがキャノンになったというのと似た話だろう。

 余談はさておき美味かったはずの日本の卵が急に不味くなったのが昭和35年である。日配の西川博士の渡米を期に取り入れられた高カロリー低タンパク飼料導入からでダシの味が消え、すっかりアメリカナイズされたものになった。尤も料理の素材としての卵ならそれで一向に差し支えない。日本料理だったらダシを加えればいい訳だし西洋料理ならそれも必要ないからだ。ただ日本独特の食文化ともいえる卵かけ飯やゆで卵の場合はどうにも旨くない。味にこだわるとすればそんなところに対してだろう。ただ繰り返すが風味だけは争えない。いみじくも昔、森山サチコさんの言われた「出来立ての香りを楽しむのか、臭いをさましてから食べるのか」の違いともなる。

(地卵つくりあれこれ)から
しのはら いちろう