農村パラダイス『第十一章』

今年の八月は、関東地方などは未曾有の暑さ続きだったらしいが、西日本はさほどでもない。それでも今日は干天の慈雨というところか。

ここ数年の小泉は将棋に凝っている、とはいってももともと博才がないうえに六十を過ぎての晩学ときているから一向に強くならない。それでも月に数度は熊本市内にある将棋道場に通って席主の指導棋士、田川六段から個人指導を受けている。六枚落ちから始まって今ようやく二枚落ちまで進んだが、実戦では、皆それぞれ得意技をもち一癖も二癖もある近所の老人たちに勝てない。まあそれでも諦めないところが小泉の小泉たる所以である。

一郎のところにきて日経新聞の将棋欄で羽生、屋敷戦をみていた小泉が経済欄に目を移すとやがてうなりだした。小泉は日本経済研究センター研究員杉原茂氏の記事の一部を指さし一郎を呼び寄せた。

「ここにこう書いてある。つまり資産の時価総額と負債の関係を八十年代前半程度まで改善するために削減しなければならない負債額を過剰債務とすると、製造業では八兆円と少ないが、非製造業では百五十八兆円もある。とな。そしてこれはいわゆる不良債権とは異なるとは云っているがその根っこにこれがあることはまぎれもない事実だ。そしてもっと大事なことはこの過剰債務とやらは一般企業に限らずわれわれ国民のひとりひとりにいたるまでがっちり背負いこんでるということだ。考えてもみい、バブルの最盛期、日本の地価総額でアメリカが四つ半買えるといっていた。そんな異常な地価が国の基準地価のもとになった。以後今年で九年間すこしずつ下げているとはいえ、素人計算では今だってアメリカが二つ三つ買えるはずだ。もともとの価値からいえばこれも素人考えながらアメリカの二割といえばいいとこじゃろう。だから日本の銀行などが放出した担保土地などが外資企業に十分の一、二十分の一に買い叩かれるといったって実はそっちのほうが本当の時価なんじゃとわしは思う。そうやって地価がふくれあがっているときは不労所得だといって重税を課しておきながら、それがはじけても相続税をかける路線価などはろくに変えない。
まあわしら何もないからいいがそんな基準で持っていかれた人のなかには政府を恨んでいるのも多いだろうて。こうなると土地の相続税を払うのは物納しかないがそれすら国の基準で掛けておきながら目抜きのところしか取らない。それさえも実際の地価相場とかけはなれているから取るには取っても処分はできず活用もできぬまま費用をかけて抱え込んでる有り様じゃ。かといって基準地価を時価に合わせれば、地本主義でやってきた銀行などは総つぶれじゃ。そうなれば国民の金融資産の千四百兆円なんてあっというまに雲散霧消さ。だから政府だって財界だって日本の地価が下がること、いや実際はもっと下がっているのは分かっていても、おおっぴらに認めたら困る。だから銀行だって担保をとった相手が倒産すると土地が時価処分されるされるのを恐れて大きいところは倒産させないようにしている。不良債権処理をうながしている政府だって根っこの事情は同じだから、本気でやるわけはないさ」

新聞のほんの二、三行の記事を取り上げて、滔々と自己流解説する小泉を一郎は呆気にとられてみていたが、やがておそるおそる聞いてみる

「それで日本経済を正常化するなにかうまい方法は? 週刊誌になにやらシュミレーションがでていたが 」

小泉、例によって胸を張る。
「ぬし、聞いとらなんだか、容易いことよ。政府は土地の基準価格総額をたとえばアメリカのそれの20パーセントくらいの国際基準まで下げる。銀行も企業も預貯金も政府の借金も株も国債も給与も全部パアとなり、日本はまた一から出直す。すべてがバブルの地価に拠ってる国、良くなると思うかい」