有害産業廃棄物の行方

  私はこの夏、市川市民会議の議員と香川県の豊島(てしま)を視察しました。「二十四のひとみ」で有名な瀬戸内海の小豆島の西に位置する15km2、人口1500人の島です。今日その名は「ゴミの島」「産廃の島」として全国に知られてしまったため、島に渡る船着き場の観光用地図には豊島という文字が消されてしまっていました。

この美しい海に浮かぶ小さな島での出来事は、まさに日本の高度成長期の大量生産・大量消費時代には考えられなかった大量産廃の問題を私たちに突きつけています。

この事件の発端は1975年、悪徳業者が産廃の持ち込みを計画し住民の反対があったにも拘わらず、香川県は木屑など安全な四品目に限り持ち込んで行うという、ミミズ養殖業者に許可を出してしまいました。しかし、83年頃からシュレッダーダストを持ち込んで野焼きを始め、県はこれも合法な金属回収業者と言い続け、黙認。7年間に50万トンもの産廃が運び込まれてしまいました。

90年に兵庫県警が業者摘発、香川県は廃棄物の撤去命令を出しましたが、罰金50万円、廃棄物も1300トンを撤去しただけで安全宣言を出してしまいました。この間の裁判記録によると、県は13年間で118回もの立ち入り調査を実施し、違法行為を知っていたのに脱法を正当化するための入れ知恵さえしていたというのです。

豊島
豊島にて

住民は93年に公害調停を申請、国の再調査では土壌中のダイオキシン最大値で39000pg/g、平均値で3400pgという値でした。
ドイツでは100pg以上だと、子供の土との接触禁止になるといいますから、ここは当然立ち入り禁止になっているでしょう。

97年7月、住民は苦渋の選択として中間合意をし、現在科学者がどのようにプラントで処理するか実験・調査しているということです。

私は改めて「持続可能な開発・経済」について考えさせられました。次世代のために思い切って生活を過去に戻す必要があるのではないかと・・・

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