1992年「市川女性問題懇話会」の山田愛さんに「何とか自分たちの手で、女性を政策決定の場に送りたい」と熱く語られたのが、昨日のことのように思い出されます。
1993年3月に、「市川に女性市議をふやそうネットワーク」が立ち上がり、11月の補欠選挙へ向けて活動を開始しました。暗中模索の厳しい日々でしたが、「議員はみんなの代理人、みんなで政策を考え、議会に提案し、政策を実現しよう!」という様々な先進的な運動体の女性たちに話を聞きながら、進めてきました。そしてついに、市川市の女性たちが動き出し、カンパとボランティアの手作り選挙で戦い、石崎たかよという市議を誕生させていただきました。この選挙が「改革を求める新しい風」の見出しで新聞に取り上げられ、市川の女性たち(多くの専業主婦)が大きな政治運動を展開し、1人の女性議員を誕生させたことが評価されました。
私は、世界的な男女平等の推進という流れの中で、千葉県や市川市で努力してきました。
2001年には県内市民派議員とともに、千葉県知事に堂本あき子氏を担ぎ出し、当選させることができましたし、2002年には「市川市男女平等基本条例」を全会一致可決する事ができました。しかし、今議会で全廃され、基本法にも逆行する条例に変えられてしまったことは悔やまれてなりませんが、気持ちを切り替え、新たな論議を始める必要があります。
また一方で、1997年千葉光行市長が誕生し、新しい感性の市政が始まったと思いきや、市行政も経営だと、民間の企業手法を行政に持ち込み、行財政改革、人件費削減、福祉教育予算の削減等々ますますのリーダー振りを発揮する中、常に論戦をしてきました。
こうして私は今日までの4期13年間(運動期間を含めて15年間)、とにかくがむしゃらに戦い続けてきましたが、これも、自ら4期までと目標を定めたからこそ、がんばれたのだと思います。1人の議員が長期に担うとどうしても、新鮮味に欠けてきますし、果ては議長や委員長等の「ポスト取り命」となるのが現実です。又は個人の権益を守るために「親族に世襲」という選択さえ取られています。私は、議員は既得権ではなく、市民の代理人となる人に、政策のたすきをリレーのようにつないでいく必要を感じています。
このたび、私は引退し、「市民派の政策」を引き続き提言していくために、長年ともに活動をし、このたび、「市民ネットワーク・市川」から候補者として選出された、秋本のり子さんに「政策のたすき」を渡したいと思います。
どうぞ、市川市で展開されてきた、女性運動の長い歴史を絶やすことのないよう、皆様の温かいご支援を、秋本のり子さんへとつないでいただき、引き続き、ともに政治へ参画していただくことを、心からお願い申し上げます。
14年間本当にありがとうございました!
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