この段階では、集団の自発性と創造性を高め、集団としての一体感や親密感を感じるためにサイコドラマの技法を取り入れた。それまで、集団の中に埋没し、自分を表現せず、じっと心の中に押し込めていた自己を、少しでも回復し、「一人ひとりが主役」となって、新しいホームを作っていってほしいと思ったからである。

 これを現実に取り入れる前に、私はサイコドラマの講習会に参加したり、さまざまなワークショップに参加し、自分自身もそれを体験してみた。ある意味でサイコドラマは劇的な出会いと強烈なインパクトがある。しかし、老人にはもっと穏やかな、過去回想のようなかたちで取り入れることができるのではないかと考えた。
 まず、「うさぎとかめ」の童謡に合わせて、軽いリズム運動をし、次に、二人の人に出てもらって、この物語を演じてもらう。演じるというより、みんなに歌ってもらいながら、ジェスチャーで追っていく程度のものだったが。そして、最後にこの二人に、うさぎとかめとして、感想を述べてもらった。

 次に、少しボケ症状の始まっている老人だが、過去の記憶がとてもはっきりしている人がいた。昔はスポーツが得意で、何でもやっていたということで、剣道の型を見せてもらった。新聞紙を細長く丸めただけの竹刀ででみごとに演じてくれた。さらにテニスが大好きだった人は、大事に部屋にしまってあった古いラケットを持ち出し、得意のポーズをとってくれた。その時は、別のもう一人が、自分もテニスは得意だったと、二人で試合を演じてくれた。観客も、いつもと違うかれらの一面にびっくりして、拍手を送ってくれた。
 日本の新聞に、一夫婦の子供の数が1.53人になったという記事があり、それをきっかけに、お年寄りたちの兄弟数を発表してもらった。中には十人兄弟という人がいたので、この家族をみんなで演じてみることにした。正月に家族みな集まって、記念写真を撮ろうという設定で、本人に兄弟姉妹を一人ずつ呼んでもらう。それに対して、役になった人は、受け答えをしながら集まってくるわけだ。例えば、
「○○姉さん、記念写真を撮りますから、集まってください」
「へえ!写真?じゃあ、着物を着がえて、化粧もせんと。ちょっと待っててください」
という具合で進む。一通りメンバーが揃い、写真屋さんまで決まる。すると、まだ役についていない老人が、あわてて、自分も入りたいと言い出し、年始回りに来た近所のおじさんを演じてもらうことにした。ドタバタ劇ではあったが、とても愉快に仕上がった。

 時には絵を描く訓練もしたかったので、子供の頃の家のまわりの景色を描いてもらった。
「うちの庭には大きな池があってね、そこにはコイがようけ泳いでいました。私は棒でそのコイをつっついては、よく母にしかられたものでした」
「祖父とよく舟で釣りに出ました。祖父はあごひげをたくわえていました。後ろには緑の山々がとても美しかった」
「わしは遊んだり、楽しいことなど何もなかった。小さい時から、アメンドイン(ピーナツ)やカフェ(コーヒー)を作っとった」
「私も小さい頃、おもしろいことなんて何もありませんでした。髪結いの母と彫刻師の父の手伝いばかりやらされてましたから」
「家の近くに小川が流れ、そこかしこに…バナナの木があって…」と、脳溢血のために不自由な体で、いっしょうけんめいに描き、話してくれた人もいた。どうしても描けないという人には、私が代わってお話を絵にして、みんなの前で発表してもらった。

 別の日には、一番楽しい思い出を語ろうということで、ある人が一家でピクニックに行った話をしてくれた。そこで、その家族を演じてみることにした。姉妹は、おにぎり作り、兄弟は舟のしたくをする。舟に乗って川を下り、目的地に向かう。ブラジルではシュハスコ(バーベキュー)をしたり、釣った魚を焼いたりして一日楽しく過ごすが、それをみんなで演じた。本人は、昔を思い出してちょっぴり涙していたが、決して暗い雰囲気にはならず、みんなのおどけた演技に笑いがおこった。

 
 
ある大家族の正月の記念撮影を演じる
昔を思い出して剣道のけいこを演じる

また、この頃、工事の真最中で、かれらは気分的にイライラしていて、目や体の不自由な人や精薄の人たちに対する強い反感が存在していた。こういう時こそ、お互いに相手の気持ちになって助け合おうと、それぞれが不自由を体験してみることにした。目をつぶって歩く人をもう一人がリードする。進行方向には障害物をいくつか置き、それを避けるようにリードするというものだ。ところが、手助けしようとすると、職員にしかられるという意見がでてしまった。そこで、みんなと話し合い、なぜしかられるのか問題点を出し、職員の話も後から聞き出した。こういうことは、往々にして、両者のすれ違いから起こることが多いのだが、間に通訳のようなかたちで入ると、けっこううまく収まるものだ。

 この段階の最後には、より創造性を高めるためにピクニックを実現した。これも、具体化するまでにほぼ一年かかってしまった。行き先、安全性、車、運転手、ランチの用意等々。事務局長、福祉部長、ホーム長、主任寮母と立場の違う人の意見調整がつかず、なかばあきらめかけていた。しかし、若いスタッフの協力で何度も上司と話し合い、やっとOKがとれた。全員は連れていけなかったが、理事が運転を引き受け、サントス市内の海岸、植物園、水族館めぐりをし、ランチを食べて帰った。車でならこういう場所まで、10分くらいなのに、初めて来たという人ばかり。久々に戸外でのびのび過ごした。


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