私の訪問は一五日ごとで、訪問時間は朝9時から午後3時頃までだ。突然やって来た日本人の私を、老人たちは不審そうな目で見ていた。
『こんにちは!お変わりないですか?』とひと声ずつかけながら近づいていくが、なかなか心を開いてはくれない。前任者の心理士は、一人ひとりについてよく知っていたが、私は彼女から引きついだ断片的な情報しかない。そこで、各々の老人の名前と特徴を覚えることから始めた。訪問後は、事務所にあるケースレコードを読み返し、どんな経緯で入居に至ったのかを調べる。それらをもとに個別に面接をしていった。

 とにかく、私がまずしなければならなかったのは、かれらと私との信頼関係を築くことだった。何回か定期的な訪問を続けるうちに、初めあった不信感もなくなり、次第に話をしてくれるようになった。私は、どんな話題ならば、意志疎通ができるのかと、各人の興味や関心事を探っていった。職員からも毎回話を聞き、今、どんな困難があるのか、何が必要なのか、その障害は何かなどについて話してもらった。
 初めは、相手の訴えに耳を傾けた。老人たちからも、職員からも。そうして表面に出てきた山のようなグチの中から、本当に必要なことは何か、問題点はどこにあるのかを、福祉部のスタッフと話し合った。帰りのバスの中、みんなから聞かされた不満の山に、押しつぶされそうな重い気分で帰宅したこともあった。しかし、そんな時も一人では背負い込まない。チームで背負うということで問題解決に当たった。

 少し慣れてきた頃、私は何かみんなでレクリエーションをしてみたいと思った。そこで、現場の職員とも相談し、午前中は今まで通り個々の面接にまわり、午後の一時間、食堂に集まってもらってグループ活動をすることにした。しかし、初期の頃は集まりも悪く、一人ひとりを呼びに細長いホーム内を走ってまわらねばならなかった。何しろ、老人たちはその時間を食後の昼寝の時間と決め込んでいるのでなかなか集まらない。しかし、少数でも集まって始めていると、回を重ねるにつれ、何かやるのだ、ということがわかり、参加者も次第に増えていった。

 
 
一人ひとりの訴えを、ただひたすら聞くことから始まった私の活動
レクレーションを始める。歌やゲームを取り入れたりその時々のニュースについて話し合う。

 

プログラムとしては、
  • 昔懐かしい歌を歌って大声を出す
  • 手足を動かす簡単な体操をする
  • 握手、肩たたきなどで隣の人に触れる(これは互いの閉鎖性をとくために)
  • 本の読み聞かせ
  • 最近のニュース(外社会とのつながりがほとんどなく閉鎖的だったので、訪問日には、最近のブラジル、日系社会、日本、世界のトピックスを持参し、簡単に説明した。新聞や雑誌に載る写真も見せた)


 何しろ、精薄・分裂・ボケといった障害のある老人から、正常で教養の高い人までいるのでどこに焦点を合わせるか、たいへんに難しい問題で、時には、途中でスーッと消えられてしまう淋しい思いもした。私一人が大声で歌ったり踊ったり、くたくたになっても誰も一緒にやってくれず、私はいったい何をしているのかと自問したこともあった。しかし、わかってもわからなくても、おもしろくてもつまらなくても、誠意をもって訴えよう、話しかけようと思い直した。そして、このような一見つまらなそうにみえることが、いかに脳を刺激し、心や体のためによいかを、いつもかれらに話した。
 私のかけ声についてきてくれ、一緒に歌が歌えるようになったり、手足を号令通りに動かせるようになるまでに、半年くらいかかっただろうか。受身ではあるけれどレクリエーションを楽しみにしてくれるようになった。


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